94.想う
夜の空は、雲ひとつなく澄んでいた。月は高く、柔らかな光で城を照らしている。
王都に漂う空気には、どこか張りつめたものがあった。まだ何も起きていないのに、まるで空が呼吸を潜めているかのような夜。嵐の前――誰もが言葉にしないまま、それを感じ取っていた。
ルカは神殿裏の小さな石畳の広場に立っていた。戦の前夜にも似たこの静けさの中、彼は一人、星の瞬きを見上げている。
風が、頬を優しく撫でる。冷たいはずなのに、不思議と心が落ち着いていた。
「……こんな夜に思い出すなんてな」
ルカは小さく笑った。
あの時。陛下に、マナの父親の真実を告げるつもりはないと泣いた彼女に、言葉をぶつけた。
――お前が、陛下のそばでつらい想いをし続けるくらいなら―― 俺が、さらっていくと……
彼女は驚いたように目を見開いて、それから静かにほほ笑んで――
『ありがとう、ルカ。でも……ごめんなさい』
そう言って、ユナは彼の思いを、やわらかく断った。
わかっていた。彼女が選ぶ未来に、自分はきっと必要ないと。
それでも。
「……思いは通じなくても、心は、今でもあんたを想ってる」
言葉が空へ溶けていく。誰にも届かない祈りのように、静かで、真っ直ぐな響きだった。
「戦いが来るなら、俺も剣を取る。誰のためでもなく……あんたが守りたかったもののために」
そう呟いて、ルカはゆっくりと膝をついた。地面に手を置き、目を閉じる。
祈りの言葉は、決して声には出さなかった。けれどその心には、ただひとつの願いがあった。
(ユナ……あんたが、無事でいてくれますように。この先、選んだ道の先で……幸せそうに笑っていてくれますように)
それだけでいい、とルカは思った。
彼女の隣に立てなくても。手を取ることはできなくても。 この想いがある限り、どこまでも見守っていられる気がした。
やがて、静かに立ち上がる。
「さ、そろそろ戻るか……長居すると、未練が顔に出ちまいそうだ」
笑いながら呟いた声は、どこか切なく、けれど凛としていた。
その背に、星の光が静かに降り注いでいた。




