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33.旅路の夜、揺れる心

 二日間にわたり野営を重ね、セリオス神殿への道をひたすら進んできたルカとユナ一行。

 石畳の割れた街道沿いに、ようやく小さな村の灯りが見えたとき、ルカは手綱を握る腕越しに、前に座るユナの様子をそっと伺った。

 鞍の前に座るユナの背中が、道の揺れに合わせてわずかに揺れている。

 その肩には微かな疲労の色が滲み、裾には道中の砂埃が淡く絡んでいた。

 ルカは視線を前に戻し、静かに口を開いた。


 「……今夜は、ここで休もう」


 その言葉に、ユナは軽く振り返り、少し驚いたように目を見開いたが、すぐに安心したように小さく頷いた。

 村の宿屋――木造の古びた建物ながら、入り口からは薪の匂いと灯のぬくもりが感じられる。


 「二人部屋が二部屋だけ空いております」


 女将が言うと、


 「では、一室はオレとフィロで使わせていただきます」


 と、すぐにヴィゼルが応えた。

 その言葉に、一瞬ルカが口を開きかけて――やめた。


 「……よろしくお願いします」


 落ち着いた声音でそう返したユナに、ルカは視線を逸らすようにして小さく咳払いをした。


 「宿の奥に大きな浴場がございますので、お使いくださいね」


 女将の言葉に、ユナの顔がぱっと明るくなる。


 「嬉しいです……もう汗と砂で大変だったので」


 女将から簡素な宿の部屋着を受け取った一行はそれぞれの部屋に向かった。

 部屋に着くと、それぞれ荷を解き、ユナは手早く着替えを抱えると、にっこりと笑って部屋を出ていった。


 「では、先にいただいてきますね」


 扉が閉まった後、ルカはしばし部屋を見回してから、重いため息を吐いた。


 「……はあ、オレも行くか」


 浴場では、すでにフィロとヴィゼルが湯に浸かっていた。


 「あっ、ルカ様! お疲れ様です」


 フィロがぱっと声を上げる。

 その顔には、どこか何か言いたげな気配が浮かんでいたが、遠慮がちに湯の表面をなでていた。

 しばし沈黙が続いた後、フィロはおそるおそる口を開いた。


 「あの……その……ユナ様って、あの時フィノアの街に現れた上位の魔物を倒した方ですよね……」


 言いかけてから、彼は視線を泳がせる。

 ヴィゼルが無言で頷き、低く短く言った。


 「見た……あれは、まさしく断罪の光だった」


 「やっぱり、あの方……聖女様なのでしょうか?」


 勇気を振り絞るように、フィロが言い切る。

 ルカは静かに湯に浸かりながら、目を閉じた。


 「……それは、まだ分からん」


 湯気の中に、淡く呟いたその声。


 「だが、一つだけはっきりしている。今はセリオス神殿にいる“あの聖女”に、直接会わなければならない」


 湯面が静かに揺れる。


 「詳しいことは、セリオスに着いてから話す」


 言い残して早々に湯を上がったルカは、部屋へ戻ると宿の灯りの下でぼんやりと手のひらを見つめていた。

 そこに、ユナが帰ってくる。


 「……いいお風呂でした」


 湯上がりのユナは、肩を露出したワンピースの部屋着をまとい、タオルで髪を押さえていた。

 ほのかに朱をさした頬。いつもはまとめられている髪が肩先に流れ、濡れた髪先から雫が静かにぽとり、ぽとりと落ちていく。

 ルカの胸に、なぜか微かな鼓動が走る。


 「……髪、全然拭けてないな。魔法で乾かしてやろうか?」


 「魔法で髪を乾かす……!? ルカ様……そんなことができるんですか?」


 ユナは目を丸くして少し身を乗り出した。


 「そんな便利な魔法があるなんて……!」


 濡れた髪をタオルで押さえながら、その目はわずかにきらめいていた。


 「……是非ともお願いします」


 微笑とともにそう言って、ユナは素直に背を向け、座った。

 ルカはそっと立ち上がり、手をかざした。空気がわずかに震え、風のように温かな魔力がユナの髪を撫でる。

 だが、雫が肩に落ちていくのを目にした瞬間――ルカは動揺した。

 露わな肩に、銀色のしずくが滑り落ちる。その肌の滑らかさと儚さに、視線を逸らすように、自らの外套を手に取る。


 「……湯冷めしそうだ、これをかけておく」


 そっとユナの肩に外套をかけてから、もう一度手をかざし魔力を送る。

 その瞬間――

 指先から伝わる、絹のような髪の感触。

 その奥に、確かに“聖なる気配”が静かに満ちていた。

 あたたかく、柔らかく――

 けれどそれは、聖職者として触れてきたどの光よりも、澄みきっていて、どこか甘く、心の奥を撫でるような魔力だった。

 肌に触れずとも、内側からじんわりと染み込んでくるような優しさ。

 それはまるで、祝福に似て――それ以上に、どこか無防備な魅力を孕んでいた。


 (……なんだ、この感覚は)


 ただ守るべき存在として、手を差し伸べたはずなのに。

 こうして触れていると、少しずつ境界が曖昧になる。

 護る者としての理性が、ふとした拍子に揺らいでいくのを、ルカは自覚していた。


(……甘い。俺らしくもない)


 乾いた毛先を指で梳くたびに、ふんわりと漂う香りが心を掻き乱す。

 思考を逸らすように、ルカはそっと最後の一束を拭い、手を離した。


「……終わりだ」


 声は低く、わずかに掠れていた。

 ユナは振り返り、微笑を見せた。


 「ありがとうございました。……とても、心地よかったです」


 ルカは目を逸らしたまま、小さく


「……そうか」


 と呟いた。

 夜の静寂の中、火灯しの明かりだけが、ふたりの影を淡く重ねていた。

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