31.再会の灯
「どういうことですか! マナ様が幽閉されたって――それ、本当なんですか!?」
リリーの声が神殿の廊下に響いていた。 牢の入口で、彼女は神殿騎士たちに詰め寄っていた。
「……カリオン様のご命令だ。私たちには逆らえない」
厳めしい表情をした騎士が短く答える。
「でもっ……あの方は何もしていません! たとえ本当に聖女じゃなかったとしても、あんなやり方、許されるはずがないでしょう!」
拳を握り締め、リリーの瞳には怒りと悔しさが浮かんでいた。
「お願いです。中に入れてください。少しだけ、少しでいいんです……マナ様とお話しさせてください」
「それは……できない」
騎士たちは目を伏せ、困ったように首を横に振った。
「――おい、なんだ騒がしいと思ったら、お前か。リリー」
低く、けれどどこか懐かしさを含んだ声が響いた。
「ライナルト様……!」
リリーは振り返り、思わず声をあげた。
そこに現れたのは、第一神殿騎士団の副団長ライナルトだった。
かつて、身を投げようとしていた彼女を助け、セトのもとへと導いてくれた騎士だった。
「ライナルト様! どうか……お願いします。マナ様に会わせてください……あの方を幽閉するなんて間違っています!」
リリーは頭を深く下げながら、必死に声を張る。
その声は震えていたが、真っ直ぐだった。
ライナルトは、わずかに眉をひそめながら視線を落とした。
その瞳の奥に、一瞬だけ思案の色がよぎる。
――リリーから何度も聞かされていた。
異世界から来た聖女マナは、どこまでも遠慮深く、けれど誠実な少女なのだと。
誰よりも丁寧に人の言葉に耳を傾け、与えられた役目に真っ直ぐ向き合おうとしていたこと。
自分を“聖女”と呼ばれることさえ戸惑っていた彼女が、それでも逃げずに努力を重ねてきた日々。
リリーが心から慕い、守りたいと願う相手――
その姿を、まだ自分は直接見たことがない。
だが、それでも。
あのリリーが助けたいと願うのなら、きっと――その人は、そういう“存在”なのだ。
ライナルトは目を上げ、静かに頷いた。
「……オレが責任を持つ。この子を通してやってくれ」
「ライナルト副団長……分かりました……」
騎士は頷き、手にした鍵を牢の扉へと滑らせた。
***
扉の鍵が静かに回る音がした。 鉄の扉が重く開かれ、淡い灯の差す中に、リリーの姿が現れた。
「マナ様……!」
その声に、マナが顔を上げる。
「リリーさん……」
リリーは小さく駆け寄ると、格子の向こうから手を伸ばした。
「大丈夫なんですか!? ケガとか、なにも……っ」
その真っ直ぐな心配に、マナは思わず微笑む。そして、静かに首を横に振った。
「……うん。大丈夫。なんともありません」
本当は、胸の奥に押し込んだ痛みも不安もある。
けれど、今リリーにまで心配をかけたくなかった。
リリーは少し涙ぐみながら、それでも笑った。
「よかった……マナ様が無事で、それだけで……」
リリーが安堵の表情を浮かべた時、マナの腕の中で声がする。
「キーキー」
リリーの視線がマナの腕に抱かれた小さな存在に向いた。
「……その子、マナ様が連れてきたのですか?」
「ううん……実は、さっき行われた選定の儀のとき、癒しの力を見極めるために、使われた子なんです」
マナはそっとイタチの柔らかな背を撫でながら、静かに語り始めた。
「儀式の途中で、お腹を刺されて……死にかけていた。でも、牢に来て、しばらくしてから、胸の中で小さく鳴いたんです。見たら、傷が……全部、癒えていて……」
「えっ……」
「私……自分の魔力でこの子を癒したの。ちゃんと、癒しの魔法が使えたです」
そう言ったマナの瞳には、ほんの少しの自信と喜びが宿っていた。
「遅かったけれど……でも、私、初めて自分の力で、誰かを癒すことができた」
「マナ様……」
リリーの頬を、涙が伝った。
「この子、外の世界で生きてほしい……お願いです、リリーさん。この子を、逃がしてあげてください」
マナはそっとイタチを差し出した。
しかし、イタチは小さく「ククッ」と鳴き、マナの胸元にしがみついた。
「……あら……」
マナは少し驚いてから、くすりと笑う。
「……離れてくれないみたいです」
リリーも微笑んで、イタチの頭を撫でた。
「この子きっと……マナ様が、自分を救ってくれたって、わかっているのですね」
そしてリリーは表情を引き締め、低く声を落とした。
「ノエリア神殿に向かったセト様には……必ず、このことをお伝えします」
「……リリーさん……」
「セト様さえ戻ってくれば、きっと、マナ様をここから出してくださいます。だから……それまで、少しだけ、待っていてください」
マナはその言葉に、静かに頷いた。それは希望という名の灯を、再び胸に灯すような仕草だった。
「……はい。私、セト様を信じて待っています」
小さな囁きのような声。それでも、それは確かな誓いだった。
牢の中の少女と、その小さな命。
ふたりのぬくもりが、暗い部屋をほんのり照らしていた。
***
リリーが去った後、牢の中には再び静寂が戻ってきた。扉の外からかすかに響く足音が遠ざかり、やがてそれさえも消える。
マナは木の寝台の上に腰を下ろし、小さく深呼吸をした。
「……セト様が、きっと……助けに来てくれる」
その言葉を口にした瞬間、不思議と胸のざわめきが和らいでいくのを感じた。不安と孤独に押し潰されそうだった心が、少しだけ穏やかさを取り戻していく。
胸元に抱えていた小さな命が、くるりと動いた。
薄茶色のふわりとした体。
マナの手のひら二枚分ほどの大きさ。黒曜石のようなまん丸い目が、じっと彼女を見つめている。
その首もとには、三日月のような白い輪の模様。
鼻先と足先には、ほんのり黒い毛が混じっていて、それがどこかアクセントのように見える。
「……かわいい……」
イタチは、小さな体をマナの腕や胸元に一生懸命擦り寄せてくる。
まるで安心を求めるように、ぴとっと彼女の指と指の隙間に鼻先をうずめた。
「なんだか……ネコみたい」
そう呟いて、マナはふふっと小さく笑った。彼女は猫が好きだった。昔、家で飼いたいと願っていたことを思い出す。
「名前……つけてあげたいな」
小さな頭を撫でながら、マナは首をかしげる。
「なんとなく……女の子みたいな気がする。柔らかくて、優しい感じ……胸元にある三日月模様……」
しばらく考えて、ふっと目を細めた。
「……カグヤ。そう、カグヤって名前にしよう」
イタチが「ククッ」と鳴いて、くるんと丸まりながらマナの鼻にすり寄り、チュッと鼻に口づけをした。
「ふふ、くすぐったい。名前気に入ってくれたってことかな? よろしくね、カグヤ」
その名前を口にしたとき、マナの中で何かが確かに変わった。
守るべき存在ができた――そう思った瞬間、ずっと胸を押さえつけていた重たい感情が、少しだけ軽くなった気がした。
牢獄の暗がりの中、小さな命と少女は寄り添いながら、静かな時間を過ごしていた。




