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19.静かな敵意

 「そこです。魔力を循環させて……そう、そのまま」


 マナはこの日も神殿の訓練場でセトと鍛錬に励んでいた。

 セトの声に導かれながら、マナは集中して手のひらに力を込めていた。まだ不安定ながらも、空気の震えが微かに魔力の存在を伝えてくる。

 

 「……っ、ふう……どうでしたか?」


 「いい流れです。急ぐ必要はありません――今の感覚を覚えておいてください」


 セトが柔らかく微笑みかけたその時だった。


 「まあ、ご熱心なこと。まるで、本当の聖女様みたい」


 艶やかな金の髪を揺らしながら、王女アリアナ・グランディアが二人の前に姿を現した。

 装飾の施された華やかな淡紫色のドレスを身に纏った彼女は、気品に満ちた容姿とは裏腹に、冷たい視線を隠そうともしなかった。

 アリアナは初対面から丁寧な言葉を使いながらも、終始マナを見下すような態度をとっていた。

 一見礼儀正しいが、その微笑みや言葉の端々には、マナを“偽りの聖女”と決めつける冷たい棘がにじんでいた。


 「アリアナ様……ごきげんよう」


 マナが戸惑いながら頭を下げると、アリアナは微笑を浮かべたまま、まっすぐにマナを見据えた。


 「でも、ちょっとだけ不思議ですわね。聖女様ならもっと……魔力を自在に操れるものだと思っていたのだけれど」


 声は優美で、口調も丁寧。けれどその奥には、見えない針のような悪意が隠されていた。


 「……まだ修練中なので、未熟で……すみません」


 俯きながら答えるマナの声音は、小さく震えていた。


 「謝ることではありませんよ、マナ。人は誰しも、始まりは未熟なものです」


 セトの声は静かだったが、その言葉にははっきりとした意思が込められていた。

アリアナはその視線を受け止めながらも、気にも留めないように笑みを浮かべる。

 

 「まあ、セト様がそうおっしゃるのなら……わたくしも口を慎まなくてはなりませんわね。

 もっとも、“聖女の座”というのは、そう簡単に務まるものではありませんから。ご無理なさらないでくださいね、マナ様」


 柔らかな微笑の奥にひそむ、静かな敵意。その一言が、マナの胸の奥をじんと冷やした。

――聖女の座。

 この国を護り、人々の希望を支える存在。

 自分は……その期待に、本当に応えられるのだろうか?

 アリアナの瞳には、疑いも迷いもなかった。

 この国で生まれ、王族として誇りを抱きながら育ってきた少女。

 そのうえ、召喚の儀が行われるまでの長い間、聖女候補として誰よりも熱心に修練を積んできたと聞く。

 神殿内では、彼女の持つ“聖なる力”はマナに劣らぬのでは――とささやかれることもあった。

 実際、アリアナの中に宿る聖性は確かに強く、周囲を癒す力にも秀でていた。けれど――肝心の魔力量が決定的に足りなかった。

 精霊石に魔力を注ぎ、結界を維持するには、その力はあまりにも小さすぎたのだ。

 だからこそ、“外の世界”から、真に強い魔力を持つ存在が求められ――

 名も知らぬ異邦から、自分が呼び出された。

 マナはうつむきかけた視線を、かろうじてこらえる。

 その時――

 セトが、さりげなく一歩前に出る。

 静かに、しかし確かな意志をもってマナの隣に立った。

 

 「彼女は毎日この国のため、真摯に鍛錬を積んでいます。

私は、彼女が真にこの国を導く聖女となる日が来ると、信じています」


 一瞬アリアナのその笑みの端が、かすかに硬くなったように見えた。


 「アリアナ様、申し訳ございませんが鍛錬の途中ですのでそろそろ……

 もし私に何かご用件がございましたら、あらためて時間を設けさせていただきます」


セトの声音はあくまで穏やかだったが、そこには明確な一線が引かれていた。


「……ええ、もちろん。ご迷惑をおかけしてはなりませんものね。では、また」


 アリアナは軽く微笑むと、すれ違いざまにセトの手の甲にそっと触れた。

礼を装ったその仕草は、ほんの一瞬で離れたが、わずかに指先が名残惜しげに滑った。

セトは表情を変えずそのまま見送ったが、その横顔に影が差す。

マナは一歩後ろで立ち尽くし、ただその静かなやり取りを見つめていた。


 アリアナは石造りの回廊をゆっくりと歩いていた。

 姿勢は完璧に正され、裾が床をかすめぬよう優雅な足取りを保っている。だが、その背後には目に見えない熱が渦巻いていた。


 (……あの程度で、この国を導く聖女になるですって?)


 唇の裏側をそっと噛み、苛立ちを押し殺す。誰もいないとわかっていても、表情を崩すことはしない。


 「癒しの力もろくに使えない異国の空から降って湧いたようなあの子が、

 聖女として当然のようにセト様の隣にいるなんて……」


 彼があの娘に手を添える姿、その声……すべてが、癇に障る。


 (教えられて、褒められて、守られて――滑稽。まるで庇護されるだけの雛鳥じゃない!)


 アリアナはかつて、神殿で聖女候補として厳しい修練に耐えてきた。

 父の名を、母の影を背負い、誰よりも努力してきたつもりだった。

 聖なる力は確かに備わっている。周囲もそう言っていた。だが、選ばれたのはあの子。


 (何も持たない少女が、急に現れて国の希望になる? 笑わせないで)


 セトの表情が頭をよぎる。

 いつも冷静なその目が、あの子に向けたときだけ、わずかに揺れる気がした。

 それが気のせいであると証明できなくて、胸の奥にざらついたものが残る。


 (……聖女の座も、セト様の隣も――ふさわしいのは、他でもない私よ)


 アリアナは立ち止まり、装飾の施された柱にそっと指を添える。


 (いずれ、あの子が偽物の聖女だってことを証明してみせる)


 かかとを鳴らして歩き出す。

 その足取りは、誰よりも気高く、そして――誰よりも冷たかった。

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