第21話
4月12日、日曜日。
世界の崩壊まで、あと19日。
朝の五時半。
外はまだ薄暗い。山の稜線がかろうじて見えるくらいの、夜明け前のあの時間だ。
「マナ、起きてるか」
ドアの外からゲンタの声がした。
「起きてる」
私はすでに作業着に着替えて、コーヒーを淹れていた。昨夜、蒼から対空防衛の設計図を見せてもらった瞬間から、頭が勝手に動き続けていた。寝たのか寝ていないのか、自分でもよくわからない。
ドアを開けると、ゲンタが図面を片手に立っていた。その横に蒼がいる。二人とも、もうすっかり戦闘モードの顔だった。
「蒼の設計図見た。俺の方でも材料の洗い出しをした」
ゲンタがテーブルに図面を広げる。
城壁の断面図だ。高さ二十メートルの壁の上部に、三種類の構造が書き込まれている。
「まず城壁の天端に、内側に向かって斜めに突き出す鉄杭を等間隔で打ち込む。飛んで突っ込んできた魔物が刺さる仕組みだ。角度は蒼に計算してもらった」
「上空から急降下してくるタイプを想定した。翼を広げたまま突っ込んでくるなら、この角度が一番刺さる」
蒼が淡々と言う。
「次に、杭の間にワイヤーネットを張る。細かい魔物の群れが抜けてこないようにするためだ。モグに頼めば、ワイヤーを城壁に固定する金具を土ごと作れる」
「作れる!」
いつの間にかモグが部屋に入ってきていた。小さな体で図面を覗き込み、「ここと、ここと、ここだね!」と指を差している。
「最後に、監視塔の上部を改造する。今は四方を向いた狙撃ポイントが地上向きについてるだけだが、そこに上空向けの台を増設する。俺が仰角で狙えるようにする」
「了解。施工の順番は——」
「杭とネットが先。俺の台は最後でいい。足場さえできれば一人で設置できる」
二人の会話を聞きながら、私はコーヒーを飲んだ。
このパーティは本当に仕事が早い。前世で私が属していたパーティは、作戦会議だけで半日かかった。リーダーが自分の意見に固執して、他の人間の提案を潰すのが常だったから。
ここは違う。誰かが穴を見つけたら、全員が即座にその穴を埋めにかかる。
「一日で終わりそう?」
「モグの力があれば余裕だ。昼前には杭とネット、夕方までに俺の台、日が暮れる前に全部終わる」
「じゃあ私は結界の再展開を並行してやる。今の結界は地上を覆う半球形だけど、天頂部を厚くして完全なドームに張り直す。物理的な壁として機能させる」
ゲンタが少し目を細めた。
「それができれば、杭とネットと結界の三重になるな」
「蒼の狙撃まで入れたら四重よ」
「……堅いな」
「堅いのが好きなんじゃないの、ゲンタは」
ゲンタが苦笑した。珍しい顔だ。
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午前六時、作業開始。
モグが城壁に沿って土の足場を次々と生やしていく。高さ二十メートルの壁の天端まで、らせん状の土の階段が三分もかからずに完成した。
「モグ、毎回思うけど、それ本当にすごいね」
「えへへ! 褒めてくれた!」
「ちゃんと固い?」
「固い固い! コンクリートより固い! シノが言ってた」
「そうよ。モグの土は圧縮密度が通常の三倍はあるわ。データ取ったから確かよ」
シノが白衣のままやってきた。手には複雑な形をした金属の装置を持っている。音響センサーの試作品らしい。
「シノ、高いところは大丈夫?」
「問題ないわ。高所は慣れてる。研究所時代に屋上でよく実験してたから」
私が尋ねると、シノは足場を登りながら答えた。
「気流の研究よ。風のパターンによってウイルスの拡散速度が変わるから——」
「話は後で」
「わかったわ」
シノが足場の階段をさっさと登り始める。その後ろで、ネロが遠目に眺めながら「気をつけて」と短く言った。めったに人を気遣う言葉を言わない人間なので、シノが振り返って少し驚いた顔をしていた。
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私は拠点の中央に立って、目を閉じた。
体の中心から、魔力が広がっていくのを感じる。
【結界魔法・展開】
現在の結界は地面から半球形に張られている。地上からの侵入に対しては完璧だが、天頂部——真上から来る存在に対しては、壁が薄い。崩壊後に出現する飛翔型の魔物のことを考えると、ここを強化しない手はなかった。
魔力を上空に向けて集中させる。半球の頂点を押し広げるように、ゆっくりと形を変えていく。
これが難しい。地上向けの結界を維持しながら、天頂部だけを厚くするのは、水の入ったバルーンの一か所だけを膨らませるような感覚だ。
息を整えながら、集中する。
五分。十分。
汗が額に滲んだ頃、システム通知が視界に浮かんだ。
【結界魔法:形態変更完了】
【展開形状:完全ドーム型】
【天頂部防御強度:Lv.3 → Lv.5】
「よし」
私は目を開いた。拠点全体を覆う結界の光が、わずかに変わったのがわかる。夜明け前の光の中で、薄く青白い膜が空を覆っている。
「終わった?」
背後でゲンタの声がした。
「天頂部の強度が上がった。今の結界に石を投げても、跳ね返るくらいの硬さはある」
「じゃあ杭とネットと合わせて——」
「三重どころか四重よ。結界、杭、ネット、蒼の狙撃。空から来た魔物はまずドームに弾かれて、どうにか抜けても杭とネットがある。それも突破したところで蒼が仕留める」
「突破できるやつはいないと思うが」
ゲンタが腕を組んで、ゆっくりと空を見上げた。
私も同じように空を見上げた。「でしょ」
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午後。
城壁の上では、ゲンタとモグが鉄杭を打ち込む作業が続いていた。モグが土で金具を固定し、ゲンタがハンマーで杭を叩き込む。規則正しい音が山に響く。
ユリが麦茶を持って足場の下に来た。
「ゲンタさーん、飲み物!」
「おう、ありがとな」
ゲンタが足場を降りてきて、一気に飲み干す。ユリが「次の分も持ってきます!」と元気よく走っていく。
「あの子、役に立つな」
「でしょ。世話好きなのよ」
「……蒼も懐いてるじゃないか、最近」
「本人は否定すると思うけど」
ゲンタが苦笑した。
夕方近く、四つの監視塔のすべてに上空向けの狙撃台が設置された。蒼が最後の一台を自分で取り付けて、台の上に寝転がって仰角の確認をしている。
「射線は問題ない。どの角度からきても対応できる」
「お疲れ。降りてきていいよ」
「もう少し確認する」
「……わかった、降りてきたら夕飯ね」
「何?」
「モグがカボチャを収穫してた。シチューにしようと思って」
しばらく間があった。
「……わかった」
降りてきた。やっぱりこの人は食べ物に弱い。
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夕方六時。
全員がホールに集まった頃、シノが音響センサーの最終確認を終えて戻ってきた。
「設置完了よ。城壁の内側に合計十六基。飛翔型の魔物が半径五百メートルに入った時点で検知できるわ。警報音と連動させたから、ネロの端末にも通知が飛ぶようにしてある」
「さすが」
「当然よ」シノが眼鏡を押し上げた。「今日のデータで面白いこともわかったわ。センサーの精度確認のために鳥の声を分析したんだけど、山鶏と山鴉の羽音の周波数が思ったより近かったの。それでも魔物との差異は明確に出るから問題はないんだけど——」
「シノ」
「なに」
「夕飯食べながら話して」
「……そうするわ」
カボチャのシチューをよそっていると、ネロが情報処理室から出てきた。
「報告がある」
「どうぞ」
「今日、施工中にシステムのステータスを確認していた」
ネロがタブレットを卓上に置いた。画面にはシステムウィンドウが表示されている。
【拠点ステータス更新】
【防御レベル:MAX(上限到達)】
【現在の防衛構造:結界ドーム・城壁・対空杭・ネット・音響センサー・高圧電流・堀・ドローブリッジ・地上監視塔・対空狙撃台】
ホールが静まり返った。
「MAX」
ユリが小さく声に出した。
「防御レベル、MAXになったのか」
蒼がタブレットを手に取って画面を見る。その横からゲンタも覗き込んだ。
「……やったな」
ゲンタが短く言った。それだけだったが、十分だった。
私はシチューの鍋を火からおろして、全員を見渡した。
「一日でやり遂げたね」
「モグのおかげ!」
「ゲンタの設計があってこそよ」
「蒼の指摘がなければそもそも気づかなかった」
「シノのセンサーが最後の一手だった」
「ネロが確認してくれてた」
全員が少し黙った。
誰かのおかげというより、全員がいたから完成した。そういう一日だった。
「さ、食べましょう」
私はシチューを皿によそいながら言った。
「完璧な要塞には、完璧な夕飯が必要よ」
「それは関係ないだろ」
蒼がぼそりと言ったが、椅子に座って皿を引き寄せた。
「関係あるの。体が資本なんだから」
「そうよ、栄養管理は戦略の一部よ」シノが人差し指を立てる。「カボチャにはβカロテンとビタミンEが豊富で、免疫機能の維持に優れているわ。特にこれから感染症が——」
「いただきます、しましょうか」
「……いただきます」
夜の山は静かだ。
外の世界がどう動いていても、ここには届かない。
防御レベルMAXの要塞の中で、私たちは今夜もカボチャのシチューを食べる。
「ところで」
ゲンタが匙を置いた。
「防御レベルはMAXになった。だがひとつ、まだ甘いところがある」
全員がゲンタを見た。
「地下だ」
静寂。
「城壁の外側——堀の向こうに穴を掘ってトンネルで侵入してくるやつがいたとしたら、今の構造じゃ対応できない。地上と空は完璧になった。次は地下だ」
私は思わず笑った。
この人は本当に、仕事が好きなんだ。
「わかった。地下シェルターの計画、明日から本格的に動かしましょう」
「ああ」
「モグ、一緒にやれる?」
「やれる! 地面、掘るの得意!」
「決まりね」
世界の崩壊まで、あと十九日。
要塞は完璧になった。
次は、足元を固める番だ。




