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遥かなるチェッカーの先へ LAP2  作者: 綾部 響
8.エピローグ
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メイルストロム

突如として、常軌を逸したライディングを開始した千晶。

そのスピードは、各チームを動揺させるに十分なものだった。

 突如としてペースを上げだした本田千晶に、彼女を警戒していたチームは俄かに慌ただしい動きを見せた。


「もうっ! どういうことなのよっ!」


 第一宗麟高校モーターサイクルクラブ第一部部長、佐々木原雅などはその筆頭だと言っても過言ではない。彼女はピットから千晶の状況を聞いて、思わず大きな声を上げていたのだった。

 無論、今の雅が千晶とデッドヒートを繰り広げていた訳でもなく、千晶のスピードアップが直接彼女には関係無い。それでも、そんな理屈とは無関係に気になる存在と言うのが……ライバルなのかも知れない。


「それなら私も、こんなところでモタモタしていられないんだからっ!」


 第三集団を抜け出せずにいた雅だが、千晶の動きを聞いて自身もペースアップする事を決断したのだった。


 そしてそれは、他の選手も同様だった。


「あらまぁ、それは一大事ですわね。ここが勝負所という事でしょうか?」


 捷報学院自動二輪俱楽部部長、藤堂香蓮もその1人だ。一大グループ会社令嬢の彼女は正真正銘のお嬢様であり、その話し方もおっとりしていて、とてもレースライダーに向いているとは思えない雰囲気がある。

 しかしその心底は負けず嫌いの努力家であり、何よりも勝つ事を渇望している性格をしていたのだった。言うまでもなくこの性格は、非常にライダーに向いている。

 今でこそ第三集団の後方に位置している彼女だが、何とか抜け出す機会をうかがっていたのは雅と一緒だ。

 そんな彼女がピットからの報告と、前を行く雅の動きを見て、自分もラストスパートに入る事を決断したのだった。


「でも……あと6周。果たして、今のわたくしに最後まで走り切れる体力と精神力が兼ね備わっているでしょうか」


 基本的に彼女は、お嬢様然としているだけあって冷静沈着で物腰も柔らかく、おっとりしているように見られがちだ。だがその本質は、熱く激しい魂を持つ人物に間違いなかった。


「それでも……やり切るしかありませんね! ……たとえ結果が、どうであったとしてもっ!」


 決断すれば、行動までは早い。香蓮は、前を行くライダーを抜きに掛かったのだった。


 本田千晶の動きを聞いて、特に顕著な動きを見せたのは誰であろう、剋越高校バイククラブキャプテン西島喜久李だろう。実際に動きを見せたという事も然る事ながら、何よりも彼女の好戦的な気勢が、周囲を走るライダー達にも感じられるほどに強く発せられたのだ。


「まってたぜぇ、本田千晶ぃっ! こりゃあ私も、のんびりしていられないなぁっ!」


 マシンを操縦していなければ、右拳を左掌に打ち付けてバチンと大きな音でも出していたであろう台詞で、喜久李は前を行く選手に襲い掛かったのだった。


 他にも、このレースに参加している第一宗麟高校所属、小清水明楽にも動きがあったのだが、前を狙いたいが実力が伴わず思うようにいかない明楽は兎も角として、翔紅学園2年の帆乃夏に至っては、特に大きな動きを見せる素振りは無かったのだった。


「部長、がんばるなぁ……。後数周はのんびりしてくれれば良かったのにぃ……」


 一気に色めき立った周囲を横目に、帆乃夏はそんな事を考えて若干引いていた。

 マイペースだと言えば聞こえはいいのだが、彼女は天才肌特有の、何を考えているのか、何がモチベーションとなるのか掴めない性格をしていた。更に言えば、周辺の熱気の波に乗り損ねて、同じようにペースアップしようという発想には至っていなかったのだった。


『こら、帆乃夏。あんまりのんびりし続けていると、このレース終了後に特別メニューを課す事になるけど、それでも良いの?』


「え……ええぇっ⁉ レース終了後なんて酷いですよぉ、疲れているのにぃ……」


『そんなに嫌なら、ちょっとは頑張ってみせたらどうなの?』


「……ふぁあい」


 そんな帆乃夏も美里に無線で窘められ、渋々と言った態でやる気を出す事にしたのだった。もっとも、天才肌の彼女は、自らやる気を出したからと言ってどれほどその効果が出るかは未知数なのだが。


(まったく……。少なくとも、お尻を叩く事は出来たかしらね)


 先ほどのやり取りからも、帆乃夏が心底本気を出すとは思えなかったが、それでも何とかチームを預かる責務は果たせたかと考える美里だった。


 千晶を筆頭に後続がペースアップの気配を見せる。それはそのまま、トップグループにも伝えられたのだが。


(今更少しペースを上げたぐらいで、TOPを狙えるとでも思っているのかしら)


 ピットからの状況報告を聞いて、現在1位を走る岸本美沙は、冷めた思考を巡らせた。

 彼女の考えは、一般的に言えば当然であり間違ってはいない。

 如何にペースアップを図ろうとも、これまでのレース経過による損耗やライダーの疲労、TOPグループとのタイム差などがある。しかもこれからは、その第一集団もラストスパートを掛けるのだから、簡単に距離が縮まるとは考えにくい。他のライダーもそう考えていたし、盛り上がる観客も内心ではそう考えていてもおかしくなかった。

 もっとも、そんな痛快劇を見たいと言う欲求はあるだろうが。


(……来ると思っていた)


 観客の要望に応えた訳では無いのだろうが、美沙や他のライダー達とは正反対の考えを抱いている者がここにいた。言うまでもなくそれは、HRT所属のエースライダー、勲矢那美だった。

 彼女は千晶の猛追が当然の事のように感じているのだろうが、実際はそれを望んでいたのだろう。なにせ彼女は、そのシチュエーションを求めていたのだから。そしてそのために、今期の海外挑戦を先送りにした経緯がある。


(早く……早く上がってこい)


 先頭集団と第二集団との差は、時間にして約5秒ある。モーターマシンのレースにおいて、この5秒と言うのはかなりの差である。ラップタイムにもよるが、残り周回を考えても致命的と言っても良い。何せ、先頭との距離を詰める為には、残り6周で5秒縮めるという事は、単純に1周で1秒ずつ速く走らなければならなくなる。そしてそれが容易だったならば、もっと早い段階で差を詰めていた事だろう。

 更に終盤戦という事を考えれば、先頭集団も速度を上げてゆく。場合によっては、ロングスパートを行う者がいてもおかしくない。そんな状況で、那美が望むように、千晶に第一集団まで追いつけと言うのは些か酷な話だとも言えた。


 ただ今回は、そんな一般常識が覆される事になる。


『おおっとおおぉぉっ! この局面でえぇぇっ! ファステストラップ更新だあぁぁっ!』


 ラストスパートを掛ける終盤戦。余力が十分ならば、ここでこのレース中、最も速く周回したタイム「ファステストラップ」を更新する者が現れてもおかしな話ではない。逆に言えば、それだけ力を温存していたという事なのだから。


『たたき出したのはゼッケン7、本田千晶選手だああぁっ!』


 それが先頭集団の誰かならば納得も出来ようものなのだが、セカンドグループの千晶が記録したとなれば事情が変わって来る。


(へぇ……。ラストスパートなのかしら? それとも……余力があっての行動? それに対して、こちらはどう動く……? 私も、ペースを上げて抜け出すべき……?)


(ファステストラップとか……)


 トップグループの誰よりも速いタイムで迫って来る選手が現れたのだ。各人にその対応が求められるのも当然で、しかもそれは急務である。判断が遅れたり先送りにすれば、その結果により自分の状況も悪くなり兼ねないのだ。

 そして今回は、先頭集団にとって最悪を突く結果となっていた。




 そして、レースは13周を消化した。

 集団がホームストレートを通り過ぎ残り4周となった第1コーナー、先頭集団の最後方を走っていたゼッケン26間宮乃彩のテールに千晶が取りついた。それまでの5秒差と言う距離を考えれば、これは驚異的な追い上げだと言える。僅か2周で5秒の時間差を縮めたという事は、1周につき2秒以上、トップグループよりも速く周回していたと言えるからだ。


「ちょっとぉ、速過ぎるんですけどぉ!」


 あっという間に安全マージンが潰されて、真っ先に食いつかれた間宮乃彩は、思わず声に出して驚きを露としていたのだった。


鬼神の如き速度を見せ、千晶はついに先頭集団を捉える。

1人を除いて、完全に意表を突かれた形となったのだが、この先に待つのは日本のTOPライダー達の牙城である。

満身創痍となりつつある千晶の、決死の挑戦が始まる。

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