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遥かなるチェッカーの先へ LAP2  作者: 綾部 響
2.優駿玉女の祭典
12/87

知者の遠略

レースは、いよいよ後半戦クライマックスへ!

猛追する勲矢那美と、マシンの消耗著しい本田千晶。

このままでは、千晶は那美にただ抜かれて終わりとなるのだが……。

 レースは25周を消化し、残りはいよいよ4周となっていた。このまま千晶が逃げ切れば当然優勝なのだが、背後より追い縋る那美がそれをさせないと雄弁に物語っている。

 更にはその後方より、3位グループが迫っていた。そう遠からず、トップ争いは混沌とするだろう。


「……ここからが!」


「……勝負ね」


 奇しくも殆ど同時に、千晶と那美は同じセリフを口にしていた。それだけを聞けば、双方のこのレースに掛ける気合や、先頭を譲らないと言う意気込みが感じられるのだが。


 ―――実際は、その意味に(・・・・・)隔たりがあった(・・・・・・・)のだった(・・・・)


 完全に千晶を捕らえた那美は、そのまま千晶のマシンの後輪と彼女のマシンの前輪が触れ合うかと思う程の接近戦(テールトゥノーズ)を仕掛け出した。残り周回数、千晶のマシンの疲労、自身のマシンの状態、そして双方のラップタイム差を考えれば、早々に抜き去りトップを獲得したいと考えるのは当然だろうか。

 この行動は前方を走る千晶にプレッシャーを与えつつ、相手の隙を見つけて即座に仕掛ける事の出来る距離を維持するもので、那美はすぐにでも千晶を抜き去る気でいたのだが。


「……ちっ。少し強引だったか。……なら」


 第一ヘアピンでインを取ろうとした那美だったが、そこは千晶が見事なブロックラインで那美を阻止し、そのまま順位変わらず立ち上がった。それでも、那美の方には未だ焦りは無かった。

 この攻防で、彼女には確信を持てた事がある。それは、やはり千晶には那美を抑え込め続けられるだけの〝体力〟が残っていないと言うものだった。

 ここでいう〝体力〟とは、本当に千晶のスタミナや集中力と言った状態を言っているのではない。これはマシンの方の耐久値を言っているのだ。

 僅かな時間とは言え、マシンはそのレース中に酷使され続けている。走れば走るほど、様々な箇所が劣化して行くのだ。

 ライダーはそう言ったマシンの状態も視野に入れつつ、ペースを配分して完走を……上位を目指さなければならない。


「……中々にしぶといな。流石は本田千晶と言った処か……」


 第二ヘアピンのツッコミをも凌がれて、那美は思わず毒づいていた。

 テクニカルなコースでは、ラップタイムに多少の差があった処で抜くポイントはかなり絞られてしまう。1周2,000m強のこのコースでは、ストレートもそう長くはなくマシンの性能差も出にくいのだ。

 バックストレートを経て最終コーナーへ。ここは100Rが200m以上も続く大きな右回りコーナーだ。


「なら……ここでっ!」


 那美はストレートエンドで千晶のマシンの左手へマシンを振ると、そのまま外側から抜きに掛かった。かなり強引だとは自覚していたが、互いのタイヤの残量(・・・・・・)を考慮しての英断だった。

 車体を右に傾け、バンクしたまま並走する2台。それだけを見ればまるでTVのCMのように息の合った動きのようにも見えるのだが、実際の速度がそれを否定している。


「……まだタイヤが持つのか!」


 スタートで無理をした千晶のタイヤは、誰がどう考えても最後までは持たない。実際、すでに千晶が思い描くラインを望んだ速度でトレース出来なくなっていた。

 しかしだからと言って、極端にスピードが遅くなると言う訳ではない。トップライダーは、タイヤが摩耗したのならばそれ相応の走りが出来るものなのだ。

 そして何よりも、千晶のマシンのタイヤはまだグリップ力が絶望的に衰えた訳ではなかったのだった。


 読み違えたと判断した那美は、千晶を抜くには至らないまま彼女に先行を許して最終コーナーを立ち上がった。そしてそこで、驚愕の事実を……知る。


「……何っ!? 1分02秒25だと!?」


 ホームストレートを超えてヘッドセットからの通信を聞いた那美は、そのラップタイムに思わず大声を上げていた。

 このつくばサーキットにおける勲矢那美のベストタイムは56秒98。言うまでもなくこれはコースレコードだ。

 当然の話ではあるが、予選タイムトライアルと同等の速度で走る続ける事は不可能であり、実際のレースでは随分とタイムは遅くなる。周回を重ねる毎にガソリンが減り車体は軽くなるがタイヤは摩耗しグリップ力が損なわれのだ。結果として、レース中のラップタイムは数秒遅くなるのは仕方のない事だろう。

 だが那美ほどのライダーともなれば、その差を最小に留める事が出来る。具体的には2秒ないし3秒だろうか。それは、レース終盤でもそれほど崩れない。

 それでものこり3周を残した状態で尚、本人の予想よりも1秒以上遅く周回していたのだ。これには那美も驚かずにはいられなかったのだった。


(……私としたことが、まんまと彼女の術中に嵌っていたと言う訳か? それでは、彼女の狙いは!)


 勲矢那美が優れたレーサーであるのは、激情と冷静さが高いレベルで同居している部分だろう。激しい動揺に見舞われても即座に立て直し、沈着に物事を分析する事が出来るのだ。


「……これかっ!」


 そしてその直後、第一コーナーが迫った時点で、那美は千晶の目論見を把握する事となった。




 27周目の第一コーナーが迫り自分のラップタイムを聞いて、千晶は僅かに安堵していた。とは言え、気を抜くなどという事はしない。……いや、出来ないのだが。


(……ふぅ。ここまではプラン通り(・・・・・)ね)


 それでも、思っていた以上に思惑通り事が進んで、千晶は心の中でそう独り言ちていた。

 第一コーナーをぐるりとUターンするように旋回すれば、後ろを振り向かずとも後方の様子が伺える。その視界の端には、追いついて来た3位集団が勲矢那美のすぐ後ろに迫っている。


(ここからは、本当の全力勝負(・・・・・・・)ね)


 気を抜いた訳ではないが、千晶は自分を戒める様に改めて決意を固めると前方を睨みつけた。先頭の彼女に出来る事は、今のマシンで(・・・・・・)1つ1つのコーナーを最適にクリアして行く事だけだからだ。


 本田千晶が摂った作戦は、言うまでもなく〝先行逃げ切り〟。これに間違いはない。しかし今回は、通常では考えられない程の〝大逃げ切り〟だった。

 普通の選手(・・・・・)に多少の距離を開けられた程度ならば、他のライダーはそれほど驚かない。単なるスタートダッシュと高を括るだろうか。ましてや勲矢那美ほどのライダーならば、スパートで追い抜けると動揺を誘う事さえ難しい。

 しかし前日にコースレコードを争った相手の大逃げならばどうだろうか。多少の焦りは必ず抱いても仕方のない事だろうし、千晶はそこを狙ったのだ。

 ただし、マシンに負担が掛かり何よりもタイヤの摩耗は避けられない。後半に追い縋られた場合、とてもバトルをして競り勝つのは難しいだろう。

 そこで千晶は、意図的にラップタイムを落として更に後続をも巻き込もうと画策したのだった。


「くそっ! まんまとしてやられたっ!」


「……追い付いた。勲矢那美、本田千晶。勝負は……これから」


 名だたるトップライダーを策に嵌めると言うのはそう簡単ではない。少なくとも、千晶よりも経験豊富だと言って良い者達が各ワークスチームのトップを張っているのだから。

 たった1周の、勲矢那美とのドッグファイト。だが千晶にしてみれば、全てのライダー達を罠に嵌める1周だけの擬態でもあった。

 ただし、実際にマシンは疲弊しており、成功するかどうかは……五分五分だった。

 それでも今回は見事に彼女の作戦が効果を発揮し、これまでマンツーマンだった先頭争いは終盤にきて大混戦となったのだった。


「何だか、あっという間に混戦になっちゃったね?」


「もしかして……本田部長のマシンはもう限界なのかなぁ……」


 貴峰が見たままの感想を述べると、沙苗が不安気に言葉を発する。それは多分、大多数の者が感じる事であり千迅と裕子も同意だった。


「でも……まだ本田部長のピットに動きは無いけどね」


「それに……本田先輩もまだ先頭を明け渡した訳じゃない」


 それに反論を口にしたのはこのみと紅音だった。彼女達の視点は正確であり、つられて千迅達も千晶やピットの動きに目をやる。

 2人の言葉通り、ピットに居る先輩たちはこれまで通りの動き……というよりも落ち着いたもので、現状に慌てている雰囲気は無い。……不安そうではあってもだ。

 更にコース上の千晶は堂々と先頭を走っており、マシンの疲労を感じさせるものでは無かったのだ。


「そうね。それに、千晶本人には慌てている様子が無いんだから、もしかするとここまでは織り込み済みかもね」


 そして何よりも、誰より付き合いの長いであろう美里自身も焦りさえ見せずに落ち着いた感想を口にしたのだ。これは、他の誰が憶測を語るよりも信憑性が高いだろう。


 果たして、この先の展開を千晶はどのように見ているのか。千迅達は、ますます目が離せないサーキット場へと視線が釘付けになったのだった。


乾坤一擲とも言える大きな賭けに出ていた千晶。

果たして、それは功を奏するのか!?

それともこのまま、波に呑まれて終わってしまうのだろうか!?

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