悪魔と十字架祭の殺意
【問題】
天使だけが住む天使村と悪魔だけが住む悪魔村が合併し、一つの村ができました。
長い年月が経ち、この村の住人は、自分が天使か悪魔のどちらかであったのかも忘れてしまいました(ただし、村の全員が、村に悪魔が少なくとも1人はいることは知っています)。
現在のこの村の人口は200人いて、その内訳は、天使が100人、悪魔が100人です。
その村で、1000年に1度の祭りがありました。その祭の最終日(もっとも、何日目が最終日かは決まっていません。)には、必ず村にいる天使のみ全員が祭壇に立ち、神に祈りを捧げなければなりません。この祈りの際に、祭壇にすべての天使がいなかったり、悪魔が1人でも混じってしまったりしていれば、神の怒りを買い、この村は滅亡します。
祭りの初日、会場で200人全員に十字架が配られました。この十字架を他人にかざすことで、その人が天使か悪魔か分かります。この十字架は自分自身にはかざすことはできません(つまり、自分自身の正体を十字架によって知ることはできません)。また、村の掟によって、他人に対してその人の正体を話すことは禁じられており、この掟を破ることによっても神の怒りを買い、話した者には死が与えられます。
自分が悪魔だと分かった者は、その次の日に祭から抜けなければなりません。
祭の参加者は、1日目に十字架によって自分以外の全員の正体を知ったものとします。
このとき、祭から悪魔が全員抜ける(最終日の祈りを捧げられる)のは何日目でしょうか。
ただし、村の人々は論理的思考しかせず、勘や一般論では行動しないものとします。
10日目の祭が終わった。
会場から家に帰ると、ジェームスが疲れ果てた様子で、ソファーに沈み込む。
「ママ、僕、もうウンザリだよ」
ローザにはジェームスの言わんとすることが分かっていた。しかし、わざとそれが分からないフリをした。
「ジェームス、どうしたの? 何がウンザリなの?」
「だって、こんな不毛な祭をずっとずっと続けなきゃいけないんでしょ?」
「しょうがないでしょ。この村の決まりなんだから」
ローザは叱りつけるような口調で言ったが、ジェームスは表情で不満を露わにした。
「いくら村の決まりだからといって、不毛過ぎるよ。不毛なだけじゃない。この祭はめちゃくちゃ気マズイんだ。もし自分の正体が悪魔だったら、村人から『早く抜けろよ』って煙たがれているんでしょ? そのことに気付かずに祭に参加し続けるなんて、生き恥じゃないか」
ジェームスの言わんとすることは分かる。とはいえ、この祭はそういう性質のものであり、参加者はそうせざるを得ないのだ。
ローザが夕飯の準備のために台所に向かおうと踵を返すと、ジェームスが引き止める。
「ねえ、ママ、この祭は一体あと何日続くの?」
「ジェームス、あなた分からないの?」
「なんとなくは分かるんだけど、あんまり自信ないんだよね。僕は子どもだから、他の村人よりも論理的な思考が苦手なのかもしれない」
たしかにジェームスの年齢を考えれば致し方ないかもしれない。ジェームスはまだ500年程度しか生きていない幼子なのだ。
――この祭は一体何日続くのか。
それは最終日の祈りを捧げるまでであり、それはすなわち、悪魔が全員抜けるまでである。
その答えを導くのは簡単ではない。
しかし、すでに何千年も生き、論理的思考を十分に身につけた村人たちにとっては、自明なことだった。
帰納法の考え方を使って、村にいる悪魔が1人の場合から順に考えればよいのだ。
仮に村に悪魔が1人しかいないのであるとすれば、1日目の祭の会場で十字架を使った結果、天使の目には悪魔が1人見え、悪魔の目には悪魔が1人も見えないはずである(自分自身が悪魔であるから)。とすると、村人はこの村には少なくとも1人以上の悪魔がいることを知っているから、悪魔が1人も見えなかった者は自分自身が悪魔だと気付き、2日目の祭には参加しないこととなる。つまり、村に悪魔が1人しかいないときには、2日目に悪魔1人(全員の悪魔)は不参加となる。
次に、村に悪魔が2人の場合には、1日目の祭の会場で十字架を使った結果、天使の目には悪魔が2人見え、悪魔の目には悪魔が1人見えるはずである。このとき、悪魔は、自分に見えている1人のみが悪魔なのか、自分も含めた2人が悪魔なのか分からない。そこで、祭は2日目に到達する。すると、2日目の祭の会場で、悪魔は、自分に見えている1人の悪魔が参加していることを知るが、前述のとおり、村に悪魔が1人しかいなかったならばその1人は離脱しているはずである。そのため、村には悪魔が2人以上いることが分かり、悪魔が1人しか見えていない者が、自分自身が悪魔であることに気付く。そのため、3日目には悪魔2人(全員の悪魔)が不参加となる。
村に悪魔が3人の場合も同様だ。悪魔が2人しか見えていない者が、3日目に見えている悪魔が2人とも参加していることが分かり、自分自身が悪魔であると気付き、4日目に悪魔3人(全員の悪魔)が不参加となる。
これを一般化すると、悪魔がn-2人しか見えていない者が、n-1日目に悪魔がn-2人とも参加していることが分かり、自分自身が悪魔であることに気付き、n日目に悪魔n-1人(全員の悪魔)が不参加となる。そこでn日目には天使しか残らないこととなり、祭は最終日の祈りを迎える。
ローザが祭の会場で見えている悪魔は100人である。ローザ自身は、自分が天使なのか悪魔なのかは分からないが、仮に天使であれば、悪魔の総人数は100人であり、仮に悪魔であれば、悪魔の総人数は101人ということになる。
つまり、ローザが仮に天使であれば、祭は101日目に終わりを迎え、ローザが仮に悪魔であれば、祭は102日目に終わりを迎えることになる。
ローザは、この答えをジェームスに言うかどうか悩んだ。
この村の掟では、他人に対してその人の正体を話すことは禁じられており、この掟を破れば、話した者には神によって死が与えられることとされている。
ローザが祭の終了予定日を告げることは、「他人に対してその人の正体を話すこと」には当たらないだろうか。
おそらく当たらないようには思うが、少し怖かった。
そこで、
「100日くらいかしら」
と少し濁して答えた。
この祭の具体的な仕組みについては、いくら子どもであるといえ、ジェームス自身に考えてもらわなければならないのである。
「100日!? 長過ぎるよ!! 正直、僕にとってこの祭はとてつもなく苦痛なんだ。なるべく早く苦痛から解放されたいんだよ」
「そんなわがまま言わないの」
「ねえ、ママ、僕とママは家族だから、仮にママが天使だとすれば、僕も天使ということになるのかな?」
ローザは口を噤む。
ここ数日、ローザ自身同じ疑問を抱き続けていた。もし、ジェームスの父親が天使であり、ローザも天使であるとすれば、その子であるジェームスも天使ということになるかもしれない。しかし、ジェームスの父親はすでに他界しており、彼が一体天使だったのか悪魔だったのかは判別のしようがないのである。
「ママには分からない」
ローザはそう答えるしかなかった。
「ママ、僕は、せめて僕自身が悪魔ではないという可能性だけ消したいんだ。自分が悪魔なのに祭に参加し続けるということだけはどうしてもしたくないんだ」
「気持ちは分かるけど、自分自身が天使なのか悪魔なのかは誰にも分からないのよ」
「それがすごく嫌なんだ!!」
次のジェームスの言葉は、どうしても無視できないものだった。
「僕、もうこの祭をボイコットしようかな」
「それはダメ!!」
そんなことをしたら、この祭を支える論理が崩れてしまう。
この祭は、n日目にn-1人の悪魔が一斉に抜けることによって、天使のみが残る仕組みなのである。その理から外れて誰かが祭から不参加となれば、論理が成り立たなくなるのだ。
「ジェームス、そんなことはママが絶対に許さないからね!! 明日もちゃんと祭に参加するのよ!!」
ローザは怒鳴ったが、それがジェームスにとっては逆効果だった。
「嫌だ!! 絶対に嫌だ!! きっと僕は悪魔なんだ!! みんな僕のことを煙たい目で見てるんだ!! 今日だって何人か僕を睨んでる人がいたよ!! それなのに祭に参加し続けるなんて、僕には耐えられない!!」
駄々を捏ねる我が子に対し、ついに堪忍袋の緒が切れた。
ローザはつい口を滑らせてしまったのである。
「ジェームス、あなたは天使よ!!」
場を静寂が包む。
ジェームスは目と口を大きく開き、ローザの顔を見ている。
ローザは「天罰」によって、自分の命が奪われることを覚悟したが、しばらく待っても何も起きなかった。
「……ママ、僕の正体、言って大丈夫だったの?」
ジェームスが心配そうに聞く。
不安な気持ちはローザも同じだった。
しかし、この話題を続けてはならない、という冷静な判断が、ローザの次の行動を規定した。
「ママはご飯作らなきゃいけないから、ジェームスは漫画でも読んでなさい」
ローザは台所に向かう。ジェームスは今度は呼び止めなかった。
2人きりの食卓で、ローザが時間をかけて煮込んだビーフシチューを、ジェームスが大きめのスプーンで口に運ぶ。
お皿はほとんど空になっている。ローザがおかわりを勧めるかどうかを迷っていると、ジェームスが口を開いた。
「ねえ、ママ」
ジェームスがローザに話しかけたのは、件の会話以来だった。それまで夕食の席ではお互い黙り込んだままだったのである。
「僕、やっぱりこの祭を終わらせたい」
「どうして? 自分が天使だって分かったんだから、普通に参加してればいいんじゃない?」
「僕考えたんだけど、やっぱりこの祭は不毛だよ。1日でも早く終わった方がいい」
「それはそうだけど、どうすることもできないのよ」
「ううん。僕ならこの祭をすぐに終わらせることができるんだ」
ローザは嫌な予感がした。
「さっき、ママは僕に僕の正体を教えてくれたけど、今もまだ無事なままだよね? だから、他人に正体を教えてはいけないという掟は、実はザルなんだ。別に守る必要はないんだよ。だから明日の祭で、僕は村人全員に誰が悪魔かを伝えるんだ。そうすれば、祭はあさってには終了するからね」
「絶対にダメ!! それは掟違反よ!!」
「言っとくけど、先に掟に違反したのはママだからね。ママには僕を止める資格はないはずだよ」
ジェームスはビーフシチューの最後の一口を掬い上げ、口に入れると、「ごちそうさま」も言わずに自室へと駆けて行った。
ローザはこのままだとマズイとは思いつつも、一体この状況をどのように対処すればよいのかは分からなかった。
ジェームスの部屋のドアがバタンと閉まる音を聞いた後も、ローザは固まったままだった。
一体何時間の間、考え込んでいただろうか。
時計を見ると、時刻はすでに深夜2時を回っていた。
ローザは、ついに決心をすると、台所にあった包丁を拾い上げ、それを右手で強く握り締めた。
そして、ジェームスの部屋へと向かった。
ジェームスを殺害すること――それが、ローザが導き出した最善解だった。
ローザはジェームスに対し、ジェームスの正体は天使である、と伝えたが、それは嘘であった。
十字架をかざした結果、ジェームスは悪魔であった。
ジェームスは、自分が悪魔であれば祭をボイコットする、と言ったため、ローザは、ジェームスが天使であると突発的に嘘を吐いてしまったのだ。
村の掟の存在にもかかわらず、ローザに「天罰」が下らなかったのは、おそらく、ジェームスの正体が悪魔であるため、天使であると伝えても、「正体を話す」ことにはならないからだろう。
ローザの嘘によってジェームスが今後も祭に参加し続けてくれればよい、そうすればいつかジェームスも祭の仕組みに気付き、論理的な行動をとってくれるだろう、とローザは考えていたが、そうはいかなかった。ジェームスは「村人全員に誰が悪魔かを伝える」と宣言したのである。
これはどうしても止めなければならなかった。
なぜなら、そうすることによって、ジェームスにも天罰は下るし、それだけでなく、ジェームスに正体を告げられた村人が不用意に祭から離脱することによって祭の論理が崩れる可能性もあるからである。
祭の論理が崩れてしまえば、祈りは失敗し、村ごと滅ぼされてしまうかもしれない。
ジェームスを止めるために、ローザがジェームスに真実を伝えるという手段もある。つまり、ジェームスに、ジェームスが悪魔であると正直に話すのである。
しかし、この方法をとれば、ローザ自身に天罰が下る。
ローザが死ぬだけで済むならまだマシだ。より問題なのは、もしもローザが天使だった場合に、本来祭壇に立つべき天使が1人減ってしまうということである。祭の開始時にいた天使全員が祈りを捧げなければ、祭は失敗となってしまうだろう。
ジェームスを殺すことにより、祭の参加者は急に1人減ることになるが、祭の参加者全員にローザが、ジェームスが死亡したことを説明するしかない。その上で、ジェームスは「生きているもの」として祭の論理を貫徹してもらうしかないのだ。
言うまでもなく、ジェームスは悪魔であるため、最終日に祭壇に立つ必要はない。
ローザはジェームスの部屋のドアを、音を立てないようにそっと開けた。
常夜灯のみが灯る薄暗い部屋のベッドで、ジェームスは眠っている。
ローザは、ベッドの縁にゆっくりと座ると、ジェームスの首筋に包丁の刃を近付けた。
せめて苦しまずに死なせてあげたい、という思いで、ジェームスの頚動脈を探す。
髪をかき分け、首筋に線状に膨らんだ部分を見つける。
ここに思いっきり刃を立てれば、血が吹き出し、ジェームスは即死するだろう。
あとは少しだけ手に力を入れるだけである。
しかし、すやすやという平穏な寝音が、ローザの手から力を奪っていった。
――無理だ。我が子を殺すなんて絶対にできない。
いずれにせよ明日の祭で、ジェームスは天罰によって死亡する。
どう考えても、今ローザがジェームスをここで殺めるのが最善のはずだ。
そうすれば、村が滅びるリスクを回避することができる。
しかし、理屈で子どもを殺すことなど無理だった。
それが親の性というものだ。
ローザは刃を立てる代わりに、ジェームスの首筋にそっとキスをすると、そっとベッドから離れた。
翌日、11日目の祭が始まった。
ローザは、これが最後になるかもしれない、と思いつつ、ジェームスと手を繋ぎ、祭の会場へと向かった。
暗い表情のローザとは対照的に、ジェームスの顔色は晴れ晴れとしていた。退屈な祭に終止符を打てる、と考えているからであろう。
今日はジェームスにとって「最終日」なのであるから、それがたとえ誤解に基づくものであれ、ジェームスが笑顔でいてくれることは、ローザにとってはほんのわずかな救いだった。
「お母さん、見ててね。僕、とっておきの方法を考えたんだ」
祭の会場に着いたジェームスは、会場にすべての村人が揃ったことを確認し、ローザの手を離した。
そして、会場の中心にある祭壇へと駆けていった。
ローザはその様子を、目に涙を溜めながら見ているしかなかった。
祭壇の中央に立ったジェームスは、大きく息を吸い込むと、会場中に響き渡る声で叫んだ。
「皆さん、聞いてください!! 僕は知っています。この村には99人の悪魔がいます!! ですので、今98人の悪魔が見えている人は、次の日には祭に参加しないでください!!」
……ジェームスの身には何も起きなかった。
ローザは祭壇に駆け出すと、満足げな表情のジェームスを抱きかかえ、祭壇を下りた。
「ママ、僕、頭いいでしょ? こういう風に言えば、1人1人に誰が悪魔かどうかを伝えなくても、誰が悪魔かを全員に伝えられるんだよ。僕、天才でしょ?」
「そうね。ジェームス、あなたは天才よ」
ローザはジェームスを抱きかかえながら、ジェームスの頭を撫でた。
翌日の12日の祭の光景は、ジェームスにとっては予想外のものだったが、ローザにとっては予想どおりのものだった。
誰1人欠けることなく、200人の村人全員が参加していたのである。
当然である。この祭において、98人の悪魔が見えている者など1人もいないのだから。
ジェームスは自分が天使であると勘違いし、自分が見えている悪魔の人数が99人であるため、悪魔が見ている悪魔の人数は98人だと判断し、祭壇であのような発表をしたのだろう。
しかし、実際にはジェームスは悪魔であるため、悪魔が見ている悪魔の人数は99人なのだ。天使はそれより1人多い100人の悪魔を見ていることになる。
いずれにせよ、ジェームズが祭壇でした発表は天罰の対象にならない「嘘」であり、かつ、祭の参加者の誰の行動も左右し得ないものだったのである。
「え? なんで? どうして??」
しきりに疑問を口にする我が子に対し、ローザは言う。
「ジェームス、この村の人はあなたみたいな子どもの言うことは誰も信じないのよ」
「ええ!! そんなのひどいよ!! どうして??」
「あなたが論理的じゃないからよ。この村の人は、自分よりも論理的でない人の話は信じてくれないの」
「そうなの??」
「そうよ。悔しかったら、この村の誰よりも論理的になるのよ」
「……分かった」
「まず、手始めにママよりも論理的にならないとね」
「……どうすれば、ママより論理的になれるの?」
「ママの言うことを簡単に信じなければいいの。今、ジェームスは、ママに教わった自分の正体を信じてるでしょ?」
「うん」
「それじゃダメよ。他人の言うことを丸呑みにするのは論理的じゃないわ。ママに教わった正体はいったん忘れて、自分の頭でしっかり論理的に考えなさい。そうしないと、ママより論理的にはなれないわよ」
「……分かった。そうする。僕、明日からもっと論理的になるね」




