40. アニカ、愛に気付く。
三人でアニカの寝室に入ると、ラマズフヴァル城の正門前から真っ直ぐにのびる大通りの先にある広場の喧騒を、遠くに眺めることができた。
可愛らしい春の精霊を模した衣装に身を包んだ少女の前に、次々と色とりどりの魔女の人形が積まれている最中だ。周りには篝火が幾つも見え、その時が近いことが分かる。
「間に合いましたね」
ニコの言葉に、アニカと、ラズが少し遠慮気味に窓辺に歩み寄る。
狐面を着けたまま城内を歩くことはさすがに注目を浴びると分かっていたので、今は外していた。
「結構見えるもんなんだな」
「はい。姉が嫁いでからは、いつもここから見ていました」
ニコが譲った場所から覗き込んだラズに、アニカが振り返って頷く。その近さに驚いて、アニカは慌てて前を向いた。
(そ、そうよね。ここの窓は、そんなに大きくないもの)
だからと言って、別々の窓から見るのは少々間抜けだと、さすがのアニカでも分かる。結局窓の向こうの景色を必死に見続けていると、ラズが「……あのさ、」と言いにくそうに切り出した。
「アニカ……殿下は、いつ俺があの時のガキだって、気付いたんだ?」
あの時のガキ、というのが何を指すのか、アニカは一瞬分からなかった。何のことかと思考しながら、けれど意識は別のところに向く。
(『殿下』……)
ラズは今までもずっとアニカのことを、敬称をつけて呼んでいた。けれど先程倒れそうになったアニカを支えてくれた時には、名前だけで呼んだ。殿下とつくのは、何だか寂しい。
「あの……敬称は、要りません」
「は?」
会話が全く繋がっていないと承知しながら、そう言わずにはいられなかった。すぐ隣に立つラズの顔を見上げ、その近さに怯むことも忘れて訴える。
「アニカと、名前で呼んでほしいです。……先程みたいに」
「っ!?」
ぎょっとした顔で、ラズが大きく後ろに仰け反った。その反応が存外に大きくて、自分でもさすがに遠慮のないお願いだったかと反省する。
「やはり、ダメでしたか……」
「ダメじゃない!」
しゅんと落とした両の肩を、ぐっと掴まれた。驚いて再び上を向くと、真剣な顔で身を乗り出したラズがすぐ目の前にいて。
「人前ではさすがに無理だが……、二人きりの時なら」
しゅらん、とナイフを抜く音が響いた。
「いや! この三人だけの時なら!」
なぜか妙な訂正が入った。だがそれでも、アニカは満足だった。嬉しくなって、福福と破顔する。
「はい」
「ぅおっほん!」
と、背後から大きな咳が上がった。ラズが万歳をして肩から両手を放す。振り返ると、ニコがなぜか、カチンと隠しナイフを仕舞いながらけほけほと噎せていた。
「だ、大丈夫? ニコ」
「えー、全然大丈夫ではないですが仕方ないので大丈夫です」
「?」
しかめつらしく早口でそんなことを言われた。さっぱり意味が分からない。が、ニコは理解を求めているわけではなかったようで、さっさと話を次に移していく。
「それで、生意気で身の程知らずなクソガキが何でしたっけね?」
「いい加減俺への悪意が酷いぞ」
ラズがぶすりと文句を言う。何がと思いつつも、話が本題に戻ったことに気付いたアニカは、気付いたきっかけを白状した。
「クィルシェ様との会話でおっしゃっていた『約束』の言葉で」
「「!」」
これに驚いたのは、二人ともであった。ラズが、代表するように問う。
「聞こえてたのか?」
「はい。夢現ながら、ですけれど」
頷きながらも、アニカは気まずさを誤魔化せなかった。ではなぜすぐ戻ってこなかったのかと、責められると思ったのだ。
マルセルの恐怖がまだあったからとか、クィルシェの意思を覆せなかったからとか、理由は幾つも挙げることは出来る。だがそもそもアニカがすぐに意識を取り戻していれば、全ての面倒はなかったと言われれば、返す言葉はない。
けれどニコは、怒るどころか安堵の息を吐くだけであった。
「苦しい思いを、されていたわけではなかったのですね……」
「ニコ……」
そんな心配をさせていたとは思いもよらなかった。クィルシェは優しかった。殻に籠るアニカを嘲ったり、焚き付けようとは決してしなかった。
アニカは嬉しくて、申し訳なくて、一気に疲れた顔をしたニコを抱き締めた。同じだけの力が背に返り、また嬉しさが増す。
「だったら、何ですぐに言わなかったんだ」
それを見て不満の声をあげたのはラズであった。
今まで俺の目の前にいたのに! という不満なのだが、当のアニカは背を向けているので、残念ながらニコにしか見えない。
アニカはニコから離れて向き直ると、苦笑しながら弁明した。
「確信はなかったんです。決勝で剣を交えるまで。だって、あんなに泣いていた子が、ラズ様みたいに立派になられているとは、思えなくて」
「なんでそんなところを覚えてるんだ……」
ラズが唸るように文句を言う。
「でも、決勝でラズ様の剣筋を見て、思い出したんです。王立全学校の時、あの子が勝ったら、お庭を一緒に散歩しようと約束していたことを」
ちらりと、答え合わせをするようにラズを見上げる。
だが返されたのは、
「……は!?」
「え?」
素っ頓狂な声だった。
(あれ? ま、間違っていたかしら)
急に自分の記憶に自信がなくなって、頭の中で子供たちの会話を反芻する。確か。
「確か、ラズ様が『おれが勝ったら、おれの家来に――』」
「わああっ、分かった悪かった! それで間違いない!」
確認しようとしたら、突然大声を上げて遮られた。小首を傾げると、視界の端でなぜかニコが再び隠しナイフを取り出そうとしていて、余計に状況把握が困難になる。
アニカの記憶の中ではラズは、
『おれが勝ったら、おれの家来になれ』
と言ったと思う。だがアニカは王族で、多分家来にはなれないから、代替案として、
『一緒にお庭を歩きながら、お話しするのならいいよ』
と答えたと思ったのだが。
(私の思い違い、かしら?)
確かめる術もないまま、小首を更にむむむと傾げる。
と、わぁぁ…、と遠く歓声が湧くのが聞こえた。見れば窓の向こうに、大きな煙と火柱が上がり出したところであった。
「あ、始まったな!」
ラズがことさら大きな声を出して、その場の気を逸らす。ニコも渋々ナイフを収め、アニカも額を窓ガラスにつきそうな程近付けて。
「――――」
息を呑んだ。遠すぎて見えないはずなのに、火の中で大小の人形が踊っているのが脳に直接映像化されて。
「!? ア、アニカっ? どこか痛むのか?」
「――――え?」
ぎょっとした声でラズに呼ばれ、アニカは緩慢に振り返った。見上げたラズの顔が今までで一番慌てふためいていて、アニカは目をしばたたいた。
「ど、どうしましたか?」
「どうかしたのはお前だろう! なんで泣いてるんだ!?」
「え」
言われて初めて、アニカは自分の頬を濡らす温かい雫に気が付いた。指で触れれば、ぽろろぽろろと、涙は次から次へと溢れてアニカの細い顎を伝う。
アニカは、何故という問いに、ゆっくりと思考を向けた。真っ先に浮かんだのは、胸を真綿で締められるような、緩やかな痛みだった。
(でも、多分これは、私のものではない)
まるで自分の分身が憎しみの炎に焼かれるようなこの苦しさも辛さも、感じているのはきっとアニカではない。アニカの中の、クィルシェの哀しみだろう。
国のために生きた女王は、国のために殺され、死して尚、災厄の象徴として連綿と炎に焼かれ続けている。その仕打ちにも、クィルシェは頑として前を見続けるだろう。
けれどクィルシェの想いが残るアニカの体は、涙腺が弱いのだ。心がクィルシェで、体がアニカなら、泣いてしまうのも無理はないと、アニカは思った。
「クィルシェが……死んだあとも、火に焼かれる程憎まれているのは、なぜかしら」
まだ涙を止められないまま、アニカは純粋な疑問を口にする。
落ちてくる涙を全部受け止めようとするかのように両手をくっつけて慌てていたラズは、その問いに大きく目を見開いた。
一拍の間を空けてから、得心したように頭を下げ、アニカの黄金色の瞳を真正面から覗き込む。
「二人とも、知らないのか」
二人、と言うのがアニカとニコでないことを、何となく察せられた。きっともう一人は、クィルシェだ。
ラズは、アニカの中で眠ることを選んだ女を、忘れないで、蔑ろにしないで、ちゃんと一人と認めてくれているのだ。
(嬉しい)
嬉しくて、また涙が溢れた。ラズが続ける。
「勘違いしてる奴も多いみたいだけど、あれは、火刑じゃない。あれは、最後まで国を強く守った偉大な女王に感謝して、彼女の死後の幸せを願ったものだ」
だから、泣かなくていいと。
ラズがそっとアニカの目尻の涙を掬いとる。その指が自分のものと違って太くて、不器用で、温かくて。目の前にある青灰色の瞳が、あまりにも穏やかで慈しみに満ちていて。
「どうして、ラズ様はそんなことをご存知なのですか?」
ふと、疑問に思った。
五歳の祝いの占断も蔑ろにするような家風で育ったラズが、祭りの由来に詳しいというのは違和感があった。
「どうしてって、それは……あれ、何でだったかな?」
断言する気満々で喋りだしたはずのラズ様はけれど、途中で首をかしげて記憶を探る。誰かに聞いたんだったか、いや学校だったか。
その様を見て、アニカは不思議な確信を得た。
(ラト様だわ)
五百年前の英雄が、宿願を遂げたのか、無念のうちに死んだのかは伝わっていない。春祭りの焚き上げも、時系列的に彼の意思ではないはずだ。
それでも、もし彼が生きてこの光景を見たのであれば、そこに宿る願いはとても切なくて、悲しくて、そして強い。
今のラズの言葉のように。
――必ず伝えておくれ。
遠くとおく、クィルシェのささやかな願いが胸の奥でこだまする。
クィルシェは、アニカに伝言を頼んだ。
でもそれは、アニカ自身がそれに気付いた時には、と指定した。
それ、とは。
(『愛』に、気付いたら)
――『愛している』と、奴に。
ラト・ハハレイシヴィリに。彼の生まれ変わりに。
――アニカよ。もう一人の妾よ。まるで似ていない少女。そなたが『愛』に気付いたら、伝えておくれ。この気持ちを。
(『愛』って誰の? あなたの?)
最後の問いに、クィルシェは微笑む気配ばかりで答えをくれることはなかった。ただ、伝えてくれと重ねて願った。だから必ず伝えると、アニカは深く深く誓ったのだ。
(その意味を、あの時はとても深いところで理解できた気がしたのに)
今は、ラズの顔がきらきらと輝いて見えて、目がちかちかして、それどころではなかった。頭がくらくらして、呼吸さえままならないような気さえしてくる。
(こ、これは、なに? 病気かしら?)
頬が火照り、胸がどきどきと煩いくらいに暴れている。ついにはラズの顔をまた見られなくなり、バッと下を向いていた。
「アニカ? どうした、今度は顔が真っ赤だぞ」
それに応じるようにラズも慌ててその顔を覗き込む。その心配ぶりがあまりに本気で、アニカは益々顔を上げられなくなった。
「だだ、大丈夫、ですので、その……は、離れ……」
両手で顔を覆い後ずさりながら、アニカが必死にラズを押し留める。
そうだ。今は何よりラズから距離を取りたかった。いつものように走って逃げるくらいの。
けれどそれはしたくないと、本能が抗う。
結果、足はまるで動かせないでいた。
だが突然泣いたり赤くなったりしたアニカに、ラズの心配は簡単には止まってくれない。
「大丈夫って、足がふらついてるだろ。やっぱり、今日の疲れが出たんだな。早く休んで」
「や、休みますっ、休みますから、それ以上……」
やっと足を一歩後ろに下げられたアニカだが、ラズは気付かずぐんぐん迫ってくる。その両手が背と膝に伸ばされ、今にも横抱きにされそうになった時、
「実は」
「!」
「?」
唐突に第三者の声が割って入った。それまで沈黙を守っていたニコである。
あまりの唐突さに、二人そろってニコを振り返る。軽く低頭したその顔は、その場に似つかわしくない程深刻だった。
「ど、どうしたの、ニコ?」
「ずっと、姫様に言い出せないことがあったのですが」
侍女頭として失敗したところなど見たことのないアニカとしては、ニコこそ体調不良なのかと心配になった。そう言えば先程から、何度も隠しナイフを出したりしまったりしていたし、何か不安事があったからかもしれない。
だが切り出されたのは全く別のことであった。
そう言えば、最初にラズと東屋で会おうとしていた時も、何か言いたげにしていたなと思い出す。
「最初に姫様のお部屋から取り上げた侍女のお仕着せですが」
「え? あぁ、剣や藁人形と一緒に」
そう言えば、まだ侍女のお仕着せだけは返されていない。いつ返されるのだろうと、純真無垢な目でニコを見詰めるアニカ。
だがその傍らでは、ラズがみるみる青褪めていた。
「嫌な予感がする……」
と小さく呟いている。そんなラズをニコがちらりと一瞥してから。
「隣の空き部屋に仮置きしていた間に、忽然と消えてしまいまして」
「え」
「げっ!」
全く見当違いの話をされて驚いたアニカだが、最後の奇声を上げたのは、この件に無関係なはずのラズであった。
「え?」と見やると、ラズが顔面蒼白になってその場に頭を抱えて蹲っている。
「ど、どうしましたか、ラズ様っ?」
驚いてその背に手をかけようとしたアニカに、ニコが更にぼそりと呟く。
「侍女のお仕着せ」
「ぅぐ!」
胸を抑えるラズ。まるで呪いをかけられているようである。全く意味が分からなかった。
「え、え? 二人とも、一体どうしたの?」
しかし狼狽えるアニカはほっぽって、ラズが反撃とばかりにくわりとニコに食って掛かった。
「テメェ、最初から知ってたのか!」
「いえ、東屋での会話を聞いて、もしやと」
「それでも今ここで言う奴があるか!」
「今ここで言わずしていつ言えと言うのですか」
「嫉妬にかられた姑かお前は!」
「事務処理です」
二人が喧々囂々と言い合う中、アニカはすっかりついていけずに取り残されてしまった。ふと見れば窓の向こうで、焚き上げの火の粉が、輝く星に導かれるように天に昇っていく。
王立全学校では一度も口をきいた様子のない二人が、意外にも仲良しだったことに少しばかり寂しさを感じていたアニカだが、それもまた良いことだと赤々と燃える火を眺めやる。
「きれい」
そう零したアニカの顔は、今までで一番晴れ晴れしかった。
だが。
その裏でいまだ言い合う二人の会話の内容が、実はアニカの侍女のお仕着せを間違ってラズが女装に着てしまったことだとは、露も気付かないアニカであった。
とかなんとか言いつつも、きっと三日後くらいにはバレて一週間くらい避けられているでしょうが、それはまた別のお話ということで。
これで、アニカと面倒臭い男たちのお話はおしまいです。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。




