第四十話
「うわああああああ!」
引き攣った悲鳴が幾重にも響き渡る。敵味方関係なく誰もが正門を見上げ、恐れ戦いた。
魔物だ。
猫のようにしなやかな体躯。赤瓦を踏む足は大きく、それに比例するように口腔も、牙も、大きい。
「……マヤー?」
何が起きているのか。
目の当たりにしている光景を、うまく処理することができない。
魔物だ。
確かにそこにいるのは魔物だ。
けれどその魔物はゼンたちの知己で、意味なく人を襲うことはない。
それなのにどうしてマヤーの牙は、アガリエの胸元を貫いているのだろう。
脳裏を過ぎるのは、楽しそうにじゃれ合うふたりのこと。
知らぬ仲ではない。
この城に滞在している間、マヤーはゼンと共にいたし、ゼンは可能な限りアガリエの傍にいた。必然的にマヤーとアガリエも触れ合う機会は多かった。
なかなか他人に心を開かないアガリエも、顔を合わせたその瞬間こそ魔物だと驚いていたものの、人ではないからか、マヤーに対してはさして警戒する様子を見せずにいた。
ふたりは仲が良かったのだと思う。
それが、どうして。
再び骨の軋む音がしたかと思うと、魔物の口から女王の体が滑り落ちた。くわえなおそうとして、掴み損ねたかのように。女王の首や胸元に空いた穴から溢れた鮮血は屋根の上から滴り落ち、地面を覆う石畳を赤く濡らしてゆく。
女王がすでに事切れていることは、誰の目にも明らかだった。
「天罰だ!」
口火を切ったのは誰だったのか。守人クムイだったようにも思えるが、ゼンにとっては些末なことだった。
「魔の女王チマジムに天罰が下ったのだ!」
魔物を仕留めようと火矢が飛び交う。そのうちのいくつかが門に引火し、豪奢な装飾が盛大に燃え上がった。
魔物は女王の亡骸を再びくわえると、門の上から大きく跳躍した。
血の雨が降る。
マヤーはその場にいた隊士を踏み倒しながら前庭に降り立つ。かと思えば城の奥へ向かって駆け出した。
頼むからもうやめてくれ。
もう充分だから。
そう伝えたいのに声が出ない。足も動かない。
マヤーは石壁を飛び越え、斎場の方角へと姿を消した。そこかしこから悲鳴が湧き起こっている。
「ゼン、行きますよ」
ただ茫然と立ち尽くすゼンの肩を揺らす手。
気づけば隣にタキがいた。
「行くって、……どこへ」
「なぜマヤーが女王を襲ったのか聞き出さなくては。いくらイリたちと敵対する相手とはいえ、これはあまりに酷い……」
酷い。そうだ、酷い死に方だ。
実に悪名高い魔の女王にふさわしい。
確かめなくては。
この惨劇の裏に隠されている真実を。
ゼンはタキとともにマヤーの後を追った。
*
リウ王国正史において初の女王ティーラ。
月神女カーヤカーナでありながら王位を欲した彼女は魔物を使役し、継承権のある王子たちを次々と暗殺、あるいは廃し、ついにはその座に就いた。
在位三日。
国を腐敗させ、己の私利私欲のために数多の民を虐げた魔の女王チマジム。
彼女の名の下に失われた命は数十、数百とも語られるが、その正確な数は定かではない。
さらには当時、国中に蔓延していた疫病でさえ彼女の仕業であるとする者もおり、仮にそれが事実だとすれば、死者数は倍増することになる。なにしろ国の半分を滅ぼしたと伝わる疫病だ。民はその病を、女王の呪いと揶揄していたと云う。
天はそんな女王を許さなかった。
その証として、太陽は闇に覆われ、死んだ。
死した太陽を再び甦らせるため、神々が遣わした魔物は玉座に座す彼女を喰い殺した。
その亡骸は正門に吊るされ、決して甦ることがないよう門ともども焼かれたと史実は伝える。
――しかし。
何故、女王を焼いた場所が日々多くの者が行き交う正門であったのか。
何故、魔物を使役できたはずの女王が魔物に喰われたのか。
その理由を語り継ぐものはない。
魔の女王チマジム。
後世にまでその悪名は轟き、恐れられている。




