第三二話
城壁の上から火矢が放たれる。
長い旱により乾ききった家屋はよく燃えた。
そこかしこで屋根を支え切れなくなった柱が崩れ落ちる音が鳴り響く。轟音とともに飛び散る火の粉。
それはまっすぐに東を目指して飛んでゆく。
不自然に吹くその風は、城壁に立つゼンがマナを操り、行き先を制限していた。被害を最小限に抑えるために、延焼は東へ広がってもらわなくては困るのだ。
一昼夜燃え続けた炎の後には、黒く焦げた城下町が残った。
城から太陽が昇る東へ、町のはずれの平原まで、まっすぐに伸びる焼野原。
それはまごうことなき道であった。
異臭が漂う。
イリは眉を寄せ、口元を袖で隠した。
「守るべき町を己が手で燃やすことになろうとは、夢にも思わなかったわ」
潤む瞳はつらそうだが、彼女が必死に訴えるので、ゼンやタキ、そしてシシたちも随分と苦心し、完璧とまではいかないまでも手を尽くしたのだ。
城下にはまだ生き延びている者たちがいた。
そのほとんどが疫病に感染しており、満足に動くこともできなかったが、それでもこの苦難の時を必死に生きていた。
彼ら全員を救うことができないと、イリも重々承知したうえで、せめて彼らを避難させたいと望んだのだ。
事前の打ち合わせにより、火を放つ区画は城から東の方角、王都への最短経路と決まっていた。
その区画に住む者たちを事前に別の場所へ誘導する。それは言うほど簡単なことではない。なにしろ城の門を閉じたのも、こうして町に火を放ち家屋を燃やすことになったのも、城下に蔓延する疫病を防ぐためなのだ。これから戦をしようというのに、出陣する隊士が病を得ては勝つものも勝てない。
そこで白羽の矢が立ったのがゼンとタキだった。
マナ使いの体は人とは構造が違う。ゆえに人の病には感染しない。
とはいえ人の戦に表立って協力するのは具合が悪い。
この提案にはタキも渋り、公の場ではにべもなく断った。
断ったが、火を放つとわかっていて、そこに生きる人々を見殺しにすることもできない。
ふたりは秘密裏に城下へ降り、生存者を見つけては避難させた。
日が落ちてからも走り回ったが、なにしろ城下に関する情報が少なく、規模に対して人手が足りない。一人も取りこぼすことなく完璧にとまではいかなかっただろう。
しかし出立が一日遅れるたび備蓄は減り、戦に不利となる。
これ以上は城にいる者たちを危険にさらすことになると判断し、折を見て引き上げた。
そうして今度は町に火が放たれると風を操り、火の勢いを加速させると同時に進行方向を定めた。
城から出陣する隊士たちが通れるように、けれど最小限の被害に収まるように調整するのはなかなか骨が折れる作業だ。
あのさ、と口を開きかけたゼンを抑えて、隣にいたタキがぴしゃりと窘めた。
「わがままを言うのも大概にしてください。きみの罪悪感をぬぐうために、一体どれだけの人に迷惑をかけたと思っているのですか」
「……そうね。わたくしが間違っていたわ。ごめんなさい」
「不甲斐ない。主君たるもの易々と謝るべきではありません。それとも我々マナ使いを私利私欲のために利用し、町に火を放つ前に生き残った民を逃がしたことは間違いであったと認めると?」
「ああ、もうっ。そなたは減らず口ばかり! そなたたちの働きに感謝していると、そう言えば良いのでしょう!」
「わかっているのなら、最初から無駄口を叩かずにそう言うべきです」
ぎりぎり、という音が聞こえてきそうなほどイリは歯ぎしりして悔しがった。
どうにもイリとタキは相性が悪いらしく、こんなやりとりは日常茶飯事だ。
隊の采配を終えたシシが傍に寄る。
シシは背が高い。
だからゼンからは彼の横顔しか見えないが、見る限りでは主君に対して無礼な態度を取るタキに苛立つでもなく、そもそもふたりのやりとりに関心がなさそうだった。
思えば、彼はイリを主君と仰ぐのに、彼女に対する態度はなかなかに横柄だ。タキのことも気にならないのかもしれない。
「先遣隊が出発しました。まもなく我らも出立いたします」
「わかった」
今日のシシは伸び放題だった髪を首の後ろで丁寧に編んでいた。タキと同じ、この国の男に見るごく一般的な結い方だ。いつもの濃紺の薄布はその上から巻いている。
「シシのその髪はさ、生まれつき?」
「はい。お見苦しいものをお見せしております」
「いや、べつに見苦しいなんて思ってないよ。綺麗な赤だなと思って気になってたんだ。なかなか変わった色だよな」
シシの表情は変わらなかったが、わずかに気配が動いた。どうやら驚いたらしい。
「我が一族では時折先祖返りが生まれ、髪が赤く染まるのです」
「先祖返り?」
「遠い昔、浜辺に一人の娘が倒れていたそうです。髪は赤く、我々の言葉を解さないその娘を、村人は神が遣わした神女として崇めました。伝承によれば娘が来てからというもの豊漁が続き、村は大層潤ったのだとか。そしてその恩恵を絶やさぬため、娘を村一番の男と娶わせ、子を産ませました。代を重ね、血が薄れるにつれて赤毛が産まれることも珍しくなったようですが、今でも私の家の者は皆、神に仕えることを生業としています」
一瞬同業かと思ったが、マナ使いは子を成すことができない。
おそらく海の向こうにあるどこぞの島から、何らかの理由でこのリウ王国に流れ着いた人の娘だろう。
けれどまず、この国の人々には『他の島』という概念がない。
この空の下に島はこのリウ王国ただひとつ。海の果てにあるとしたらそれは神々の住む世界であり、海辺に流れ着く不可思議なものはすべて、人であろうと物であろうと、そこからやってきた神々に由来するものだ。
だからアガリエもゼンのことを神と認識した。
海を渡り交易を行うジンブンは、先進的な思考を持つ特異な存在なのだ。
「とはいえ、この髪を綺麗と評されることは、なかなかに珍しいですが」
「え、そうなの? だって綺麗じゃんか。それに古くから赤は破魔の色って言われてるんだろう。祭祀に関わるにはうってつけじゃないの?」
「異質なものは畏れられ、忌み嫌われるのが世の常。そのせいか赤毛はいつの世も短命です。ここだけの話、赤毛は旨いそうですよ」
「旨いって……」
そのままの意味です、とシシは表情を変えずに淡々と告げる。
「赤毛を供物として神に捧げ、下げ渡されたその血肉を喰らうのです。そうすることで異能の力を得ることができるとか。ゼン様からしても、私は旨そうに見えますか?」
「見えない。っていうか、俺らは人を食べないし。それに髪が黒かろうが赤かろうが人は人だろ。旨い旨くないなんて区別があるとは思えないけど」
「お付きの御仁も寄ってきませんし、やはり赤毛を旨いと言うのは人だけなのですかね。そもそも赤毛というだけで突出した能力があるわけでもないのに、おかしな風習だと思っていたのですよ」
お付きの御仁とは魔物であるマヤーのことだろう。そもそもマヤーの好物は魚だから、人に食指をくすぐられることはない。
「長年の疑問から解放されてすっきりしました。感謝申し上げます。やはりこの赤毛より武術のほうが姫様のお役に立ちそうです」
「ああ、うん。よかったね……? っていうか、どう見てもシシは祭祀より武人としてのほうが才能ありそうじゃんか。なんでそんなこと疑問に思ってたの?」
「ふむ。赤毛は持って生まれた才能とでも申しましょうか。ですから当然のようにこの赤毛を有効活用することを求められたのですが、うちの姫様はとんと興味がないようで。むしろ屋根の上に登りたいだの、城を抜け出す手助けをせよだのと、力仕事ばかり申し付けられ、必要に迫られて鍛錬を積んだ結果、気づけばこのようになっていたという次第です。王都ではゼン様もさぞご苦労なされたのでは?」
「思い当たる節がありすぎて……。うん、でもなんかわかったかも。イリが俺らを当たり前のように頼りにするのは、シシみたいに頼みごとを聞いてくれる人がずっと傍にいたからなんだな」
シシは困ったように笑った。
「神を頼れば相応の見返りを求められると理解しておられるはずなのですが、どうにも我が身ひとつで済むのなら、それでもかまわないと思われているようでして。良くも悪くも、昔から他人のために尽くすことに疑念を抱かない御方なのです。……王都から戻られて、少し心境に変化があったようですが」
「そっか。アガリエの話は聞いてる?」
「はい。あれだけ可愛がっていた妹姫と決別することになろうとは、姫様もお辛いことでしょう」
「あ、そうなんだ。イリにとってはあれ、可愛がってたことになるんだ? 俺の前では喧嘩ばっかりしてたように思うけど」
ふたりに挟まれて目覚めた朝の衝撃は、すでに懐かしい。
「あのようにですか?」
シシの視線の先には、なおも言い合うイリとタキの姿がある。
けれどふたりをよく知るゼンは、どれほど口論をしても、仲違いをするほど嫌悪な関係になるとは思わない。
剣呑な態度を取ることが多かったけれど、もしかしたらアガリエは双子の片割れに会えて嬉しかったのだろうか。
……きっと、そうなんだろうな。
そうでなければ寝所でさえ敵を意識し警戒していたアガリエが、同じ寝台で眠れるわけがない。そうだ。あの時はたしか、ゼンが起きたことにも気づかず、ふたりとも眠ったままだった。
「そうそう。ゼン様にお見せしたいものがあるのです。これが何かお分かりになりますか?」
シシは丁寧に折りたたまれた布をゼンに差し出した。
手に取り広げると、ずいぶん細長いことに気づく。着物か何かの切れ端のようだ。なぜ女物の柄なのかが気になるところだが、問いただしたところで本人ははぐらかすか、忘れていることだろう。
その布には何かが書き記されていた。
赤くにじむそれは、おそらく血文字だ。
「……これ、タキが持ってた?」
「はい。我らの知らぬ、ゼン様がたのお国の言葉であることからしても、タキ様がお書きになったことは間違いないとご本人も仰っておられるのですが、身に覚えがないとのことでして」
「きっと忘れる前にと思って、慌てて書いたんだろうな。忘れちゃいけない大切なことだったから。それにしても、姉様の身を案じてゼンが泣いている、か」
タキは自分が部分的に記憶喪失になることを自覚している。けれどだからといって文字に残すことはほとんどしない。
そんな彼が着物を裂き、指を切ってまで記したということは余程のことだ。
この文字には意味がある。
「俺たちには姉弟子がいるんだ。だからこの姉様ってのは、その姉弟子のことだろうけど、俺らの姉様はとてつもなく強いから、心配して俺が泣くなんてこと、これまで一度もなかった。そもそも血文字で残すほどの内容でもないし、どういうことなんだろう」
「弟が姉の……。王都で最も有名な姉弟といえば、月神女と王ですが」
「この弟ってのは、もしかして俺じゃなくて王様?」
「万が一、ゼン様以外に文字を解読された時のことを考慮して、直接的な言い回しを避けたのだとしたら……」
「ありえるかも」
だとしたらこの姉とは、アガリエのことか。
アガリエのことを案じて王が泣いている?
「タキのやつ、いつの間に王様に会いに行ってたんだろう。駄目だなあ。俺はアガリエや王母のことばっか気にして、王母の後ろで小さくなってる王様のことなんて全然頭になかった。王様、アガリエのこと心配してたんだ……」
ゼンが思い起こせる王といえば、即位式や宴で見せた姿――しかもその多くが影武者だった――だけだ。言葉を交わしたのも数えるほどしかなく、そのどれもが挨拶のように形式的なものだったので、何を話したのかさえ覚えていない。
シシに至っては目通りをしたこともないらしい。
「しかし王は一体姉姫の何をそのように案じておられたのか」
「……王母に、月神女の座を追われたから、とか」
「ですが王にとっては数年ぶりに顔を合わせた姉姫よりも、ご母堂のほうが身近な存在のはず。うちの姫様ならばいざ知らず、王が姉姫を案じることがあるのでしょうか」
なるほど一理ある。一体どういう関係性なのだろう。
「イリ! ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
口喧嘩を切り上げ、イリはすぐにやってきた。あとにタキも続く。
「そうね、母親が違うこともそうだけれど、なにより歳が離れているから、わたくし達と王が親しくする機会はほとんどなかったわ。王の物心がつく頃にはわたくし達はもう城から出ていたもの。でもアガリエは王に星読みを教えていたはずよ。わたくしは不得手だけど、アガリエは得意だったみたい。即位前のことだけど、……そうよ、あれは父上が身罷ったとの報せが届く直前ことだったわ。王がアガリエに会いに来たことがあったの」
「王が?」
「ええ。星を読んで欲しいと、義母君と一緒に斎場まで来たの。でもアガリエは不在だったから会えずじまいだったのではないかしら」
ゼンとアガリエが神域で過ごした翌朝のことだ。
「そういえばアガリエもいつも夜空を眺めてたような……」
「きっと星を読んでいたのよ。王には父上が亡くなる前から教えていたようだから、もしかしたら城に戻ってきてからも何度か会っていたのかもしれないわ。……王は、師に星を読むように言われたって。あれはアガリエのことだったのね。そう、心配してくれていたのね」
イリは布の切れ端を手に取り、血文字を指先でそっとなぞる。その目尻に浮かぶ涙は音もなく頬を伝った。
アガリエと王には親交があった。そう考えるのが妥当だろう。
その王が泣くほど案じていたものは何か。
はて、とタキが首を傾げる。
「以前からアガリエと王が繋がっていたのなら、当然その母である王母とも繋がっていたと考えるのが筋ですね。元々懇意であったということであれば、この現状は仲間割れの結果、ということでしょうか?」
あの二人が共謀だったとすれば。
……だとすれば?
イリの顔から色が失せる。
「アガリエが王城に残ったのは、逃げる必要がなかったからなの? 義母君に歯向かうなとわたくしに忠告したのも? わたくしは……、あの子の邪魔だてをしたというの?」
「え、じゃあ、なに? このまま城に向かえば、俺たちはアガリエと敵対することになるのか?」
稀代の悪女として語られる月神女の正体は、実は王母であると知っているからこそ、アガリエには罪がないように思っていた。
だが彼女たちが通じていたのなら話は別だ。
アガリエは王母の行いを望んで見逃していたということになるのではなかろうか。
否、むしろ望んでそうしていたのだとしたら。
「いやいやいや、待て待て。それはない。絶対にない。だってアガリエは月神女になった時だってたいして喜んだ風でもなかったし、暮らしだって質素なもので、傍仕えも少なったし、権力に興味があるようにはとても見えなかった」
「きみの前だからでは?」
「は?」
「見るからにきみはお人好しですからね。善良な娘を演じてきみの庇護欲を煽り、手玉に取っていたとしたら? 今頃城で羽を伸ばして贅沢三昧かもしれませんよ」
「あ。そういえば前の王様も俺の前では猫をかぶってたって……」
「ゼン様! ゼン様、いけません。この人は見るからにろくでなしでしょう。そんな人の言うことを素直に受け止めては駄目です!」
「ひどい言い草ですね。ろくでなしになった覚えはありませんよ。僕が記憶している限りは、ですが」
そうよ、とイリはタキを睨みつけた。
「あなたはアガリエのことを知らない、いえ、忘れてしまっているから、そのようなことが言えるのよ。たしかにアガリエはしたたかな娘よ。ゼン様を神と偽って城へ連れてきたことも、婚姻を結んだことも、打算的な考えがあってのことでしょうけれど」
「随分な野心家ではないですか」
「けれど! 民を虐げてまで己の欲を満たすことを選ぶような、そのような非道な考えは持ち合わせていないわ。たとえ義母君と手を組んで三の弟君を王位に就かせたことが事実だとしても、この現状に心を痛めているはずよ!」
「なるほど。では、このままきみが城へ乗り込めば、アガリエ様は泣いて喜ぶと、そういうことですね?」
「……泣きは、しないかな」
「ゼン様!」
「いや、ごめん。うん。俺も、アガリエを信じてるよ」
癒えたはずの矢傷が痛む。
信じると決めた。
それなのに気持ちが揺らぐのは、彼女に対する疑念はいつも胸の奥で燻っていて、ふとした瞬間に甦り、心を搔き乱すからだ。
「シシ様、急ぎお報せしきことが」
息を切らし駆けてきた隊士が何事かをシシに耳打ちする。
「王母が殺されました。王の御前で配下の者に裏切られたようです。王は月神女に全権を委ね、退位を望んでおられるとの由」
王が退位。
その言葉にイリの手から布が滑り落ちる。
「退位って……、だって他に王になれる者など、下の弟はまだ幼いのに、誰が、王に」
言いよどむ隊士をシシが視線だけで急かした。
「王は月神女カーヤカーナを次代の王に望まれているようです」




