第三十話
また処刑が行われたらしい、との噂をゼンとタキが聞きつけたのは、つい先頃のことだ。
気晴らしにでもなれば、とタキがゼンを屋根の上に誘い、ふたりで宵闇に深まりゆく空を眺めていたところだった。
姿は見えないが、軒下にいるのはおそらく巡回の隊士だろう。その声は低く、端的だった。
「月神女カーヤカーナの名の下に、城下の広場で大々的に行われたらしい。一族郎党、幼子まで皆殺しだそうだ」
「これで一体、何人目だ。王がまだ幼いからと言って、好き勝手しやがって」
吐き捨てるように悪態をつく。そうされて当然の所業だろう。
けれどゼンは気持ちが沈んだ。
彼らが悪し様に言うカーヤカーナは、アガリエのことだ。けれど今、王城でカーヤカーナといえば王母のことを指す。処刑を行ったのも王母に違いない。
「言わんこっちゃない。だから王母にカーヤカーナを名乗らせるのはやめろって言ったのに。俺としてはさ、王母がやったことでアガリエが非難されるのは、もどかしいんだけどなあ」
「王母に強要されて、仕方なく従っているのでは?」
「非常に残念ながら、アガリエはそんな弱々しい娘じゃないよ。王母が気に喰わなかったら、裏に手をまわしてでも黙らせたと思う。それに……」
「それに?」
傷はすでに癒えたはずなのに、矢を射られた左胸が痛む。
「俺が助けに行っても、追い返したし」
「なるほど。なかなか興味深い御人ですね」
「うん。なにしろ神さえ手駒にしようとした神女だから」
ここで言う神とはゼンのことなのだが。
タキは記憶障害により、すでにアガリエのことをおぼろげにしか思い出せないでいる。それはつまり、それだけ王都を離れて日が経ってしまったということだ。
早く手を打たないと。
気持ちは焦るばかりだが、すぐには動けない事情ができた。
ゼンの膝の上で丸くなっていたマヤーが上体を起こす。ぴんと立つ耳は呼び声を拾ったらしい。尾を揺らしてゼンとタキを促す。
二人は腰を上げ、屋根づたいに城の奥を目指す。
斎場にある屋敷の一室でイリは待っていた。傍らには当然のようにシシが控えている。
そしてもう一人。
「ジンブン!」
「おお、神よ! お久しゅうございます!」
そこにいたのはアガリエの夫、商人のジンブンだった。
「王都でお会いすることができなかったものを、よもやこうして東から遠く離れた西の地で再び会いまみえようとは、夢にも思いませなんだ。感無量でございますなあ!」
さすがに面やつれてはいるが、あいかわらずよく喋る男だ。
「驚いたのはこっちだよ。どうして西に?」
「カーヤカーナ様の密命を受け、はるばる西まで赴いたのですが、折悪く暴動に巻き込まれてしまいましてなあ。こうしてこちらにご厄介になっておるというわけです」
「……カーヤカーナの?」
「むむ。違いますぞ。私が命を受けたのは王母様ではなく、正統なる月神女である我が妻に、でございます。いやはや、王母様がカーヤカーナの名を騙るのを、誰ぞ早くおとめくださいませんかねえ。ややこしくてかないません」
まったく同感だ。やれやれと嘆息して大袈裟に肩を落とすジンブンに、ゼンは同情を禁じ得ない。
畳敷きの部屋に腰を下ろす。座り位置で少しばかり問答したが、ゼンとタキが上座を断固として拒否したので、結局イリがそのままそこに座ることになった。
どうしてわたくしが、と不満そうな彼女を律したのはタキだった。
「この件に関して僕たちは神でもマナ使いでもなく、ただの傍観者です。過分な期待をかけてほしくはないですが、かと言って見放すつもりもありません」
「まわりくどいわね。つまり?」
「采配を下すのは、西の神女イリであり、先王の一の姫であるきみだということです」
その言葉にイリはしばし沈黙し、やがて頷いた。
「ではジンブン、まずはそなたの話から聞きましょう。我が妹がそなたに西に来るように指示したのは真か?」
「はい。あれは先王が崩御して間もない頃のこと。王母様は大変羽振りが良い御方でしたので、私は喜び勇んで登城したのですが、そこで妹姫様に偶然お会いし、西の城に良い商談話があるから、商団を率いてすぐに向かうようにと命じられました。妹姫様の先読みの能力は私も知るところ。お断りする理由はございませんでしたし、実際そちらのシシ様が荷を高値で買い取ってくださったので、上々の商売ができたのですよ。しかしまさか直後に暴動が起き、これこのように城に閉じ込められることになろうとは思いもしませんでしたがねえ」
「我々としてはジンブン殿との商談が成立していたことが幸いでした。そうでなければ門を閉ざし、今日まで籠城を続けることなどできなかったでしょう」
「ジンブン殿、荷の中身は何だったのですか?」
傍観者と主張しながらも口をはさんだのはタキだ。
「食糧と武具がほとんどです。そのようにせよとのお指図でしたので」
「偶然ジンブン殿が城でアガリエに会って、偶然西へ商団を引き連れて来ていて、偶然疫病が広がり暴動が起きた、と。ここまで偶然が重なると、もはや必然のように思えますね」
タキの意見にシシも同意した。
「必然なのでしょう。城門を閉ざせといち早くお命じになられたのもまた、妹姫様なのです」
「どういうこと? 当時、妹は王城にいたはずよ。わたくしでさえ知り得なかったこの城の状況を、あの子が把握していたというの?」
「仰せの通りです。ですから私も最初は疑いました。いくら月神女カーヤカーナとはいえ国中の戦況がわかるはずもないと。それに当時すでにカーヤカーナの悪評は西にまで伝わってきていましたから、信じるに値しないと判断してしまったのです。ですが今となっては従うべきだったと悔やまれてなりません。決断が遅れたがために、無為に死者を増やしてしまうことになったわけですから」
「わたくしにはつれない態度を取ったくせに、やはり放っておけなかったのかしら。妹の伝令を伝えた使者は今どうしているの?」
「使者ではなく、神女ですよ。ある日突然、妹姫様からのお告げを受けたそうです。先頃病が悪化し、すでに常夜の住人であるため、事の真相を確かめる術はありませんが」
イリは柳眉をひそめた。常夜の住人とはすなわち落命しているということだ。
「おそらく妹はわたくしの与り知らぬところで手を尽くしてくれたのでしょう。けれどこの危機的状況を打破するには、それではまだ足りないと、シシは言うのね?」
御意、と首肯するシシに迷いはない。
彼にとってカーヤカーナを名乗るのがアガリエであろうと王母であろうと、大した差はないのだ。
月神女カーヤカーナを討つ。それはこの西の地より謀反を起こすということに他ならない。
無論、旗印はイリだ。
それは同時に彼女にとって義母と異母弟、そして双子の片割れであるアガリエと敵対することを意味する。
「雨が降り、土地が潤わない限り、遠からず食糧は尽きます。一人残らず死に絶えるのをただ待つより、打って出るべきかと。聞けば王都はまだ実り豊かで、この西の地ほど困窮してはいないとか。うまく采配すればこの状況を乗り越えることができましょう」
「戦となれば無辜の民にも被害が及ぶわ。他に手立てはないの?」
「神に祈るより他に、私には思いつきませんね」
朝な夕な、各地で祈りは捧げられている。旱や疫病に苦しむよりずっと以前から、神々と密接に生きるこの国の民にとって祈りはとても身近なものだ。シシとてそのことは重々承知しているだろうに、あえてそう言うということは、本当に他に選択肢が残されていないということなのだろう。
イリの双眸が震える。
けれど彼女は涙を堪え、消え入りそうなほど弱々しい声で告げた。
「では打って出ましょう」
一同誰もが驚いていたが、最も驚愕していたのはシシだった。身を乗り出してイリに詰め寄る。
「姫様、正気ですか?」
「……そなたが進言したのよ」
「いや、それはそうですが。……てっきり嫌がるかと」
「わたくしは」
震える声を整え、イリはしっかりと前を見据えて宣言した。
「わたくしはもう二度と、己の未熟さの所為で、他の誰かに責任を押しつけるような真似はしたくないの。シシが他に道はないと判断したのなら、わたくしは主としてその判断を信じ、従いましょう。シシ、すぐに出立の準備を。ジンブンとやら、そなたにも手を貸してもらいますよ」
「御意に。ただしひとつだけ。首尾良く生き延びることができたなら、存分に取り立ててくださいね。こう言っては何ですが、私はよく働きますよ」
このような状況下でも売り込みを忘れない商人魂に、イリは苦笑し、必ず、と約束した。
シシとジンブンは慌ただしく部屋を辞した。時は一刻を争う。すぐさま戦支度に取りかかるのだろう。
しかし、とタキが呟いたのは、彼らを見送った後のことだ。
部屋に残されたゼンとイリは彼を見やる。
「たしかに積もりに積もった不満をぶつけるには、この城の外に明確な敵を持つのが最適でしょう。その敵が幼い王ではなく、悪名高い月神女カーヤカーナであるというのも、憎悪をぶつける対象としては手頃です。しかし食糧や武具があったとしても、王都まではるばる遠征するには、少しばかり水が足りないのではないでしょうか。うちの相棒が干からびるくらいですから、相当過酷な道のりになることは明白ではないかと」
「いや、水はあるはずだよ。この城の地下にも……って、えええ?」
気づけばイリの瞳から大粒の涙があふれかえっていた。
ゼンは勿論、さすがのタキも度肝を抜かれる壮絶な泣き顔だった。
「どうしたんだよ、急に!」
「だって、だって……」
その先は嗚咽に呑まれて言葉にならない。
あいにく手拭いなど気の利いたものは持ち合わせていない。どうしたものかと悩んだ揚げ句、ゆらゆらと揺れているイリの着物の袖を目元に押し付けてやると、彼女はそれに顔を伏せてさらに泣いた。
助けを求めて相棒を見やるが、タキの反応はすげない。
「ゼン、きみがそんなに動揺してどうするんですか。ただ目から水分が流れているだけのことでしょう。感情の起伏が沈まれば自然と止まるはずです」
「なんて無情な!」
「事実を述べたまでです。さらに言うなれば、これから戦だというのに大将がそのような有様とは。先が思いやられますね」
「そのようなこと、そなたに言われずともわかっているわよ!」
「でしたら今すぐ泣き止むべきかと。それともこれから先、苦渋の決断を下すたびにそうやって泣くつもりですか?」
イリの肩が大きく震える。口を真一文字に結んで顔を上げるが、涙は止まらない。
それでも彼女は真っ向からタキを睨みつけた。
「わたくしは、決めているの。泣き虫で頼りなくても、どれほど無様でも、シシたちがわたくしの帰りを待っていたと言うのなら、その気持ちに報いようと。此度の戦は西の神女イリの名の下に行われる。戦における全ての責任はわたくしが負うわ。口出しだけして、何もしないそなたに、そのように言われる筋合いはない!」
もっともな言い分だ。
マナ使いなのに、マナ使いであるがゆえに過分に干渉することができない。ゼンは彼女に申し訳なくて、かける言葉が見つからなかった。
泣き虫で、民の安寧を心から願う少女の双肩に乗せるには、あまりにも過酷な責務だ。王家に生まれ、西の神女として祀り上げられていようとも、彼女自身は一介の神女とさほど違いのない、ごく普通の娘なのに。
それでも彼女は逃げずに戦うと決めた。
怖くて怖くて、不安に押しつぶされてしまいそうになりながらも、決して後ろを振り向かず、前を向こうとする姿に、ゼンは心を打たれる。
それと同時に己の無力さを痛感する。
イリはアガリエのように強くない。それなのにシシのように武術に秀でるわけでも、ジンブンのように商才があるわけでもないゼンは、彼女のために力を尽くすことができそうにない。
「かくなる上は、いっそ本当に神様になって……」
「馬鹿なことを。神と人の戦にするつもりですか。それこそ大事になりますよ」
即座に否定され、返す言葉もない。
しばしイリのしゃくりあげる声だけが響いていたが、おもむろにタキが口を開いたかと思えば、とんでもないことを言った。
「ところで、何もしないと、誰が言ったのですか?」
「は?」
「もしかして僕が言いましたか? すみませんが、記憶が飛んでしまったのか、覚えていないのですが」
「いやいやいや! さすがに覚えてるだろ。ついさっきだよ、この件に関して俺らは傍観者だって言ったのは」
「……ああ、たしかに傍観者だと言いましたが、手助けしないとは一言も言っていませんよ。やれやれ。人の祈りに耳を傾けて生きる我々マナ使いが、目の前で苦しんでいる人々がいるのに、それを無視できるとでも? そのような非道な真似できるわけがないでしょう」
あまりに淡々とした口ぶりだったから、できるのかと思った。
胡乱げなゼンとイリの視線をものともせず、タキはふむ、と顎に指を添えて思案顔になった。どうやら彼に他意はなかったらしい。
「ともあれ問題は水ですね。そういえばゼン、きみさっき何か言いかけませんでしたか?」
「あ、ああ。水ならあるはずなんだよ」
ゼンが同意を求めるようにしてイリを見やるが、彼女は頷かなかった。
それでもゼンには確信に近いものがあった。
「城の門は閉ざされ、外は疫病が蔓延してる。それなのにシシは城の外で倒れていた俺を助けてくれたんだろう?」
「そんなこともありましたね。マヤーに乗って僕が助けに行くと言えば、途中で記憶喪失になったら困るとイリが言うので、では一緒に行こうと言えば、イリが病を得てはいけないからとシシ殿たちが禁じて、かといってマヤーに他の者が騎乗することもできず、結局シシ殿が単身助けに向かったんです。半日ほどできみを連れて戻ったはずですが、そういえばあれはどこから?」
「王家の墓所の下には鍾乳洞が広がってた。人の手で作られたものじゃなくて、何十年、何百年とかけて地下に染みこんだ雨水が自然に生み出した鍾乳洞だ。きっとこの国の地下には、大なり小なり似たような鍾乳洞が広がっているんだと思う。この西の城の地下にも。たぶんシシはその地下通路を通って、俺を助けに外に出たんだ」
「水が作りだす鍾乳洞……、そこには水もある、と?」
「おそらく。でもそんなに大量じゃないはずだ。なにしろ雨が降らないことには増えない水瓶だろうからね」
「……お二人とも、このことはどうぞ内密にお願いいたしますね」
なぜ内密にする必要があるのか。
ゼンの表情からその疑問を察したらしい、イリはふたりを傍へと手招きすると、周囲を警戒するように小声で訳を話した。
「王家の墓所でもこの西の城でも、地下のことに関してはごく一部の神女しか知り得ぬことなのです。ここでも斎場の奥、神域とされる場所にあります。王都の墓所に至っては亡き王家の御先祖様が眠る場所。断じて、断じて口外することは許しませんよ」
「わ、わかってるよ。誓う」
かっと目を見開き、鬼気迫るイリの表情には、アガリエとはまた違う凄みがある。ゼンは顔を背けて何度も頷いた。
「あとはこの城を出る方法ですが。その鍾乳洞はどれだけの人数が通れるものなのですか?」
「内密に、と申しました。それに鍾乳洞内は細く、迷路のように入り組んでいますので、さほど多くの者を通すことはできません。ですから他の方法を考えなくては。たとえば……」
「たとえば?」
イリはしおらしく居住まいを正した。
「世間知らずのわたくしたちがいくら頭を悩ませたところで、これといった名案など思いつかないでしょう。でしたらいっそ、戦の専門家であるシシたちに任せてしまえばよいのです」




