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でーとりっぷ  作者: 壱ノ瀬和実


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第1話 四月二日 その1


 四月二日。午後十二時。

 春と言えば桜。

 ここ数日の雨空に幾らか散ったのではとの不安を拭えないまま、僕は大垣駅前に軽自動車を停めていた。

 運転席側のパワーウィンドウを開けてみると、入ってくる風は不思議とどんよりとしていた。

 久しぶりの晴れ間は押し付けがましいほどに青く、涼やかな春の空気を期待すると、裏切られたように生暖かい風が車内に吹き込んでくる。これをどんよりしていると感じたのは、僕が温暖な空気を好まないからなのだろう。

 ドリンクホルダーの水を手に取る。飲もうとしたが、柔らかいペットボトルがクシャァっと鳴ったことになぜか落ち込んで、その気が失せた。僕は水が飲みたかったのではなく、心を落ち着けたかったのだ。空になったあとで潰せてしまうほどの柔らかいペットボトルは、安らぎを求める者にはちっとも優しくない。

 昼間の駅前に賑わいはなかった。制服姿の生徒たちはいない。サラリーマンもそう多くはない。大学生と思しき若者が駅に入っていく様子は見えるが、それでさえまばらだった。

 寂しくなっていく地元の風景は、人の数と比例している。もちろん、金曜の午後十二時に若者で溢れかえっていたら、それはそれで問題だと思うが。

 コンコン、と助手席の窓が叩かれた。

 見覚えのある姿が、ぬるっと窓の外に現れる。

 僕は一瞬目を見開いたが、ほっと息を吐いて車のロックを開けた。彼女はドアを開けて、小さな顔を覗かせる。

「こんにちは市ヶ谷(いちがや)さん。お待たせしましたか?」

「こんにちは河下かわしたさん。待ってませんよ。全然待ってません」

 河下さんは眉根を寄せる。

「待ってた人の言い方だ」

「そうですね。少し待ちました」

 河下さんこと、河下瀬南(せな)さん。

 近くに住む、十八歳の元女子高生だ。元、というのは卒業したという意味ではなく、彼女が既に退学していることに由来する。なぜそうなったのかを僕は知らない。僕はまだ彼女のことをよく知らないし、あまり知ろうともしていなかった。

 彼女は涼やかな装いで、ちらりと見えるお腹はほんの少し目のやり場に困る。

 黒髪のボブカットというのだろうか。インナーカラーというものを入れていて、金色がちらちらと見えて少し大人っぽい。顔立ちは幼く、背丈は小さめ。けれどスタイルは良くて華やかな印象を覚える。肩から掛けたベージュ色のバッグは、何を入れるにも小さいのではと思った。

「お隣、失礼しても?」

「どうぞどうぞ。良い歳して軽自動車ですが」

「広くて好きですよ。乗り心地も良いし」

「それは良かった」

 彼女は車に乗り込んだ。人が一人乗ったとは思えないほど、車に掛かる衝撃は小さかった。軽いんだなと、思った。

 河下さんはシートベルトを締めながら、僕に視線を送っている。

 僕が首を傾げると、彼女は口許をやや持ち上げて、

「やっと合法ですね」と囁いた。

「やめてください、誤解されます」

 誰も聞いていないのに、僕は慌てて周囲を見回した。

「あのときはギリ違法でしたからねー」

「足がないからって、お家に送り届けただけじゃないですか」

「でも職質されたら終わりでしたよ」

 それは確かにそうなのだが……。

 彼女独特の空気感を言葉で言い表すことは難しい。軽薄ではないが、お堅くもない。陽気ではないが陰鬱とも違う。基本的には物静かで、やっぱりどこか、不思議な人だ。

「あの……、と言いつつ、ちょっと不安になるんですけど」河下さんは背もたれに身体を預けて言う。「パパ活って、犯罪だったりしませんよね。すぐそこに交番あるんですけど」

 僕の下顎から力が抜ける。

「いやあ、分からないですけど、パパ活ってだけなら大丈夫なんじゃないですか? ……あと、僕らは別にパパ活じゃないから大丈夫だと思います。警察にご厄介になることは何もしてないはずですし」

「わたしが成人してるから?」

「それもありますけど、金銭のやり取りで繋がった関係じゃないから、ですかね」

 そう。僕たちはそういう関係じゃない。

 十八歳の女の子と三十代の僕とじゃあ、傍目にはそういうふうに見えてしまうのだろうけど、僕こと市ヶ谷一臣(かずおみ)にそんな度胸はないし、そんなお金もない。

 ある日たまたま出会った僕たちは、ひょんなことからこの車に同乗する関係になった。ただそれだけのことだ。

「止まっていてもなんだから、早速行きましょうか。ここからなら、一時間くらいで行けるかなと」

「桜、咲いてるといいですね」

「散ってなければいいですね、の間違いじゃないですか」

「今年は咲くの遅かったので大丈夫ですよ。ツイてますね、わたしたち」

「そうですね。待ってくれていたのかもしれませんよ。今日という日を」

「ロマンチックなことも言うんだ」

「河下さんがツイてるとか仰るから」

 ふふ、と河下さんは小さく笑う。

 ブレーキから足を離し、車がゆっくりと前に進み始めた。

 僕らはこれから旅に出る。と言ってもそう大仰なものではない。

 いわばドライブだ。でも僕らはあえて旅と呼ぶ。

 僕らが今日という日に一緒にいるのに、どの言葉を用いるかはきっと重要なことなのだ。

 僕らが出会ったきっかけが、そうであったから。


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