第66話 皇子の北方視察
北方都市グランテの朝は、いつもよりも早く動き始めていた。
空はまだ薄い青で、朝霧が町の上にわずかに残っている。
しかし町の人々はすでに働き始めていた。
石畳の大通りを掃く者。
市場の屋台を並べる商人。
宿屋の前で看板を磨く店主。
衛兵たちもいつもより多く配置されている。
今日、この都市には特別な来客が来る。
――第一皇子アルヴェルト。
帝国の次代を担う人物が、北方の都市を視察するのだ。
町の門の前には、すでに兵士たちが整列していた。
旗が立てられ、街道は綺麗に整えられている。
そして門の前に立つ一人の少女。
レスティーナ・フォン・グランテだった。
まだ年は十三。
だがこの都市の領主である。
王命によってこの地の統治を任され、三年間で都市を築き上げた人物だ。
レスティーナは街道の先を見つめていた。
「まだ来ないわね」
隣に立つエルガルトが言う。
「予定では間もなくです」
ジェイも後ろに立っていた。
十八歳になった青年は、今日は正装の従者服を着ている。
「緊張してますか?」
ジェイが聞いた。
レスティーナは肩をすくめた。
「ちょっとだけ」
正直な答えだった。
都市の経営は慣れている。
商人との交渉も問題ない。
だが皇族相手となると話は別だ。
(ググル先生)
『はい』
(皇子との対応で注意することは?)
『礼儀、誠実、そして都市の説明を簡潔に』
「了解」
レスティーナは小さく息を吐いた。
その時だった。
遠くの街道に砂煙が見えた。
騎士団の旗。
そして豪華な馬車。
衛兵の一人が声を上げる。
「皇子殿下の一行、到着!」
門の前の空気が一気に引き締まった。
騎士団の列がゆっくりと近づいてくる。
鎧の輝き。
馬の蹄の音。
そして中央の馬車が門の前で止まった。
騎士が扉を開ける。
そこから降りてきた少年。
金色の髪。
青い瞳。
整った顔立ち。
帝国第一皇子――
アルヴェルトだった。
レスティーナは一歩前へ出て礼をする。
「北方都市グランテへようこそ、アルヴェルト殿下」
アルヴェルトは笑った。
「久しぶりだね、レスティーナ」
文通は続いていたが、直接会うのは久しぶりだ。
アルヴェルトは町を見回した。
石畳の道路。
整った門。
遠くまで続く建物。
そして言った。
「噂は聞いていたが……」
「本当に都市になっているな」
レスティーナは少し笑った。
「三年頑張りました」
アルヴェルトは楽しそうに言う。
「ぜひ案内してくれ」
「もちろんです」
こうして北方都市グランテの視察が始まった。
最初に向かったのは――
倉庫街。
巨大な木造倉庫が並び、荷車が行き交っている。
木材の山。
毛皮の束。
穀物袋。
鉄鉱石の箱。
すべて整然と積まれている。
アルヴェルトは目を見張った。
「すごい量だ」
レスティーナは説明する。
「北方の資源をここに集めています」
「そこから帝都へ」
ジェイが補足する。
「荷車の動線も計算されています」
アルヴェルトは頷いた。
「なるほど」
「物流都市か」
次に向かったのは市場。
中央広場には数百人の人々が集まっていた。
野菜。
果物。
布。
香辛料。
様々な商品が並ぶ。
子供たちが走り回り、商人が声を上げている。
アルヴェルトは笑った。
「活気があるな」
レスティーナは頷く。
「都市は人がいてこそですから」
さらに視察は続く。
西区の宿屋街。
新しい食堂。
工房街。
そして――
農地。
広い畑が広がり、水路が流れている。
農民たちが働いていた。
アルヴェルトは驚いたように言う。
「灌漑水路か」
「はい」
レスティーナは答える。
「収穫量がかなり増えます」
アルヴェルトはしばらく畑を眺めていた。
そして静かに言った。
「……正直に言おう」
「予想以上だ」
レスティーナは少しだけ肩の力が抜けた。
「それは良かったです」
アルヴェルトは笑った。
「北方の未来が見えた気がする」
そして彼は言った。
「レスティーナ」
「この都市はすごい」
「本当に」
北方都市グランテ。
三年前は荒野だった土地。
今では皇子を驚かせるほどの都市へと成長していた。
だが――
この視察はまだ始まったばかりだった。




