第57話 甘味と文通
食堂メモワールの昼の喧騒は、少しずつ落ち着きを見せていた。
昼の忙しい時間帯は過ぎ、客たちの多くは仕事へ戻っていった。
それでも店内にはまだ何人かの客が残り、ゆっくりと食事や会話を楽しんでいる。
窓から差し込む帝都の午後の陽光が、木のテーブルを柔らかく照らしていた。
レスティーナ・フォン・グランテは、向かいに座る少年を見ていた。
帝国第一皇子、アルヴェルト。
先ほどまでオムライスを食べていた皇子は、今は少し満足そうな表情を浮かべている。
「……本当に美味かった」
彼はぽつりと呟いた。
レスティーナは小さく笑った。
「気に入っていただけたなら良かったです」
「気に入ったどころではない」
アルヴェルトは素直に言った。
「城の料理長に食べさせたい」
その言葉にレスティーナは少し肩をすくめる。
「真似されるかもしれませんね」
「それでもいい」
アルヴェルトは笑った。
「美味いものは広まるべきだ」
その時だった。
店員が新しい皿を運んできた。
「お待たせしました」
テーブルに置かれたのは、小さく美しく盛り付けられた皿。
白いクリーム。
黄金色の焼き菓子。
そして赤い果実。
甘い香りがふわりと広がる。
アルヴェルトは目を細めた。
「これは?」
レスティーナは言った。
「デザートです」
「食後の甘味」
アルヴェルトは少し驚いた。
「貴族の食事でも甘味は出るが……」
皿を見つめる。
「これは見たことがない」
レスティーナは説明する。
「焼き菓子と生クリーム、それから果物を合わせたものです」
「ショートケーキと言います」
もちろんこれも、前世の知識から作られた料理だ。
帝都ではまだ珍しい。
アルヴェルトはフォークを手に取った。
小さく切る。
そして口に運ぶ。
次の瞬間。
皇子の動きが止まった。
「……甘い」
だが、ただ甘いだけではない。
柔らかな生地。
軽いクリーム。
そして果物の酸味。
全てが調和している。
アルヴェルトはもう一口食べた。
「……これは危険だ」
レスティーナは笑った。
「危険?」
「止まらない」
皇子は真面目な顔で言った。
そして実際、フォークは止まらなかった。
あっという間に皿は半分ほど空になる。
レスティーナはその様子を見ていた。
(気に入ったみたいね)
(ググル先生)
『甘味は人間の好みに強く影響します』
(知ってる)
アルヴェルトは最後の一口を食べ終えた。
皿を見て、少し名残惜しそうな顔をする。
「……もう一つ食べたい」
思わず本音が出た。
レスティーナは少し笑った。
「殿下」
「甘いものを食べ過ぎると太りますよ」
アルヴェルトはむっとした顔をする。
「鍛えている」
「だから大丈夫だ」
レスティーナは肩をすくめた。
「それなら良いですが」
二人の間に少しだけ静かな時間が流れる。
店の外からは城下町の音が聞こえる。
人々の声。
馬車の音。
遠くの鐘。
アルヴェルトは窓の外を見た。
帝都の街。
大きく、騒がしく、そして複雑な都市。
やがて彼は言った。
「君は変わっている」
レスティーナは首を傾げる。
「そうですか?」
「ああ」
アルヴェルトは頷いた。
「普通の貴族令嬢は、商売などしない」
「まして食堂など」
レスティーナは答える。
「私は領主ですから」
北方領。
王命で統治している土地。
開拓と発展が最優先。
そのためには商業も必要だ。
アルヴェルトは少し考えた。
そして言った。
「北方領を見てみたい」
レスティーナは少し笑った。
「以前も仰っていましたね」
「ああ」
アルヴェルトは真面目な顔になる。
「発展したら視察に行くと」
「その約束は覚えている」
レスティーナは少し驚いた。
皇子が覚えているとは思わなかった。
「光栄です」
アルヴェルトは続ける。
「だが問題がある」
「問題?」
「北方は遠い」
帝都から北方領まではかなりの距離がある。
簡単には行けない。
アルヴェルトは少し考えた。
そして言った。
「だから提案がある」
レスティーナは首を傾げる。
「提案?」
アルヴェルトは少し照れたような顔をした。
だがすぐに真面目な表情になる。
「文通をしないか」
レスティーナは一瞬、言葉を失った。
「……文通?」
「ああ」
アルヴェルトは頷く。
「北方領の様子を手紙で教えてくれ」
「発展の状況」
「町のこと」
「君の商売のこと」
レスティーナは少し考えた。
皇子との文通。
普通なら大問題だ。
だが――
レスティーナは領主。
しかも王命で北方を統治している。
報告書のような形なら問題はない。
レスティーナは言った。
「領地の報告書のような形なら」
「構いませんよ」
アルヴェルトは少し笑った。
「それでいい」
「むしろその方が助かる」
そして続ける。
「帝国の北方がどう発展していくのか」
「私は興味がある」
レスティーナは小さく笑った。
「では」
「手紙を書きます」
アルヴェルトも頷いた。
「楽しみにしている」
こうして。
帝都の小さな食堂で。
食後の甘味をきっかけに――
第一皇子と北方領主の、奇妙な**文通**が始まることになったのだった。




