第48話 帝都茶会の幕
帝都は春の陽気に包まれていた。
北方領ではまだ肌寒い朝が続いているというのに、帝都ではすでに花が咲き始めている。
広い石畳の大通りには、色とりどりの馬車が並び、豪華な衣装を着た貴族たちが行き交っていた。
市場では香辛料や果物の匂いが漂い、行商人の声が響く。
北方領の小さな町とは、まるで別世界だ。
その大通りを、一台の馬車がゆっくりと進んでいた。
北方領の紋章を掲げた馬車。
窓から外を見ているのは、十歳の少女――レスティーナだった。
「……やっぱり大きいわね」
思わず呟く。
隣に座るエルガルトが穏やかに言った。
「帝国の中心ですから」
レスティーナは外を見ながら頷く。
高い建物。
広い通り。
そして人の多さ。
北方領の人口が六百を超えたとはいえ、帝都は桁違いだった。
(ググル先生)
『はい』
(帝都の人口ってやっぱり三十万くらい?)
『推定三十万から四十万です』
(北方領の六百人が可愛く見えるわね)
レスティーナは苦笑した。
だが同時に思う。
(でも都市って、最初は小さいものなのよね)
ローマだって最初は小さな集落。
江戸だって最初は小さな城下町。
都市は時間をかけて育つ。
だから北方領も――
いつかもっと大きくなる。
そんなことを考えているうちに、馬車はゆっくりと止まった。
「到着しました」
御者の声。
レスティーナは窓の外を見た。
そこには巨大な建築がそびえていた。
帝国宮殿。
白い石で造られた巨大な建物。
高い塔。
広大な庭園。
帝国の威光そのものだった。
「……すごい」
思わず呟く。
エルガルトが小声で言う。
「領主様」
「ええ、わかってる」
レスティーナは姿勢を正した。
ここから先は貴族社会。
北方領の代表として振る舞わなければならない。
馬車の扉が開く。
レスティーナはゆっくり降りた。
宮殿の庭園にはすでに多くの馬車が並んでいた。
公爵家。
侯爵家。
伯爵家。
帝国の有力貴族たちの紋章が並ぶ。
そしてその馬車から降りる令嬢たち。
豪華なドレス。
宝石。
付き従う侍女。
まるで華やかな舞台のようだった。
(十歳の集まりにしては大げさね)
レスティーナは内心で思った。
その時だった。
「あなたがレスティーナ?」
高い声。
レスティーナが振り向く。
そこに立っていたのは、金髪の少女だった。
赤いドレス。
高慢そうな表情。
腕を組んで堂々と立っている。
「あなた……」
レスティーナはすぐに分かった。
「メアリー・スー?」
少女は満足そうに笑った。
「そうよ」
「スー公爵家のメアリー・スー」
胸を張る。
いかにも自信満々だ。
レスティーナは軽く会釈した。
「はじめまして」
メアリーはレスティーナをじっと見つめた。
「あなたが北方領の領主なんでしょ?」
「そうよ」
「ふーん……」
メアリーは鼻で笑った。
「十歳で領主ごっこ?」
「面白いわね」
レスティーナは肩をすくめた。
「まあ、似たようなものよ」
その余裕の態度が気に入らないのか、メアリーの眉がぴくりと動く。
「でも覚えておきなさい」
メアリーは言った。
「この舞台の主役は私よ」
「私こそが選ばれる存在なんだから」
レスティーナは瞬きをした。
(ググル先生)
『はい』
(今の発言どう思う?)
『転生者の典型的自己認識です』
(やっぱりね)
レスティーナは内心で笑った。
その時だった。
「まあまあ」
柔らかい声が割って入る。
二人が振り向く。
そこに立っていたのは、栗色の髪の少女だった。
ふんわりした雰囲気。
優しそうな笑顔。
いかにも絵本のヒロインのような少女。
「喧嘩はよくないですよ?」
にこにこ微笑む。
「せっかくのお茶会なんですから」
レスティーナはすぐ分かった。
「リリア・フェルミナ?」
少女は嬉しそうに頷いた。
「はい!」
「お会いできて嬉しいです!」
ぱっと笑う。
だがその瞬間。
レスティーナは気づいた。
その笑顔の奥。
一瞬だけ見えた視線。
鋭く、計算された目。
(あー……)
(この子も転生者ね)
リリアはにこにこしながら言う。
「レスティーナさんってすごいんですよね!」
「町を作ってるって聞きました!」
「尊敬します!」
大きな声で言う。
周囲の令嬢たちがこちらを見る。
レスティーナは軽く笑った。
「まだ小さな町よ」
だがその時だった。
宮殿の扉が開いた。
近衛騎士が声を張り上げる。
「第一王子アルヴェルト殿下、御入場!」
空気が変わった。
令嬢たちが一斉に姿勢を正す。
そして現れた。
金髪の少年。
整った顔立ち。
まだ十歳だが、王族の威厳を持っている。
第一王子アルヴェルト。
王子は令嬢たちを見渡した。
「……多いな」
小さく呟く。
その素直な反応に、レスティーナは少し笑いそうになった。
そしてその瞬間。
王子の視線がレスティーナに止まる。
「あ」
王子が言った。
「北方領のレスティーナか?」
周囲がざわめく。
レスティーナは少し驚いた。
「覚えていらしたんですね」
以前、皇帝の使者として北方領を訪れた監察官を通じて、王子に報告が届いていた。
その時に名前が伝わっていたらしい。
王子は言った。
「北方の開拓領だろ?」
「町を作ってるって聞いた」
レスティーナは頷く。
「まだ人口六百ほどですけど」
王子は少し興味深そうに言った。
「面白そうだな」
そして続けた。
「もっと発展したら、視察に行ってみたい」
一瞬。
庭の空気が止まった。
令嬢たちがざわめく。
「え……?」
「視察……?」
皇太子候補の王子が、地方領地を見に行くと言ったのだ。
それは異例の言葉だった。
レスティーナは少し考えてから答えた。
「その頃には、もう少しまともな町になっていると思います」
王子は笑った。
「楽しみにしてる」
それだけ言うと、王子は他の令嬢たちの方へ歩いていった。
だが――
残された空気は静かではなかった。
メアリー・スーの顔が怒りで歪んでいる。
「なんで……」
リリアの笑顔は崩れていない。
だが目は冷たい。
そして周囲の令嬢たち。
全員が同じことを思っていた。
――王子が最初に話しかけたのはレスティーナ。
レスティーナは小さくため息をついた。
(ググル先生)
『はい』
(面倒なことになった気がする)
『その可能性は高いです』
レスティーナは苦笑した。
帝都のお茶会。
それは華やかな社交の場。
だが同時に。
嫉妬と策略が渦巻く舞台でもあった。
そして今――
その舞台の中心に、自分が立ってしまったことを。
レスティーナはまだ完全には理解していなかった。




