第24話 公爵来訪交渉
帝国都市として認定された翌日。
魔の森の都市には、朝から妙な静けさがあった。
いつもなら井戸の周りで人が騒ぎ、木槌の音が響き、子供の笑い声が聞こえる時間だ。だが今日は違う。人々は働きながらも、どこか落ち着かない様子だった。
理由は一つ。
**スー公爵が来る。**
その噂が都市の中を駆け巡っていた。
丘の上にある木造の領主館の前で、レスティーナは腕を組んでいた。
「本当に来るのね」
隣に立つジェイが頷く。
「先ほど伝令が来ました」
レスティーナは城壁の外を見た。
丸太で組まれた四メートルの城壁。その向こうには平野が広がり、さらに遠くには白い天幕の群れが見える。
スー公爵軍の野営地だ。
五百の兵はまだ帰っていない。
帝国都市になった以上、武力でどうこうはできない。それでも公爵は引き下がらず、ついに本人が動くことになった。
ジェイが言った。
「公爵本人が来るとは思いませんでした」
レスティーナは肩をすくめた。
「面子よ」
貴族にとって面子は命だ。
五百の兵を動かしながら何もできずに帰れば笑い者になる。
だから直接来る。
そして交渉する。
アルトが後ろから歩いてきた。
帝国監察官の彼は、すでに状況を把握していた。
「安心してください」
レスティーナが振り向く。
「何が?」
「帝国都市への武力行使は禁止です」
アルトは静かに続けた。
「公爵もそれは理解しているはず」
つまり今日の会談は、あくまで交渉になる。
レスティーナは小さく笑った。
「なら問題ないわ」
その時だった。
城壁の上から見張りの声が響いた。
「騎馬接近!」
ジェイが振り向く。
丘の向こうから馬が数頭、ゆっくり近づいてくる。
その中央に一人の男。
豪華な鎧を身につけた中年の貴族だった。
レスティーナは言った。
「来たわね」
城門が開く。
重い丸太の扉が軋む音を立てながらゆっくり動いた。
騎馬の一団が城内へ入る。
兵はわずか十人ほど。
その中央にいる男が馬を止めた。
年齢は五十前後。
鋭い目をした男だった。
「レスティーナ殿か」
低い声が響く。
レスティーナは軽く礼をした。
「スー公爵ですね」
公爵は町を見回した。
城壁。
井戸。
建物。
そして働く住民たち。
「……都市だな」
悔しそうに呟いた。
レスティーナは何も言わない。
事実だからだ。
アルトが一歩前へ出た。
「帝国監察官アルトです」
公爵はちらりと彼を見る。
「知っている」
帝国監察官がいる以上、ここは正式な都市だ。
公爵はレスティーナに視線を戻した。
「話がある」
「どうぞ」
レスティーナは領主館へ案内した。
木造の簡素な建物。
だが中は整えられている。
テーブルを挟んでレスティーナと公爵が座った。
ジェイとアルトも後ろに立つ。
公爵が口を開いた。
「単刀直入に言おう」
レスティーナは黙って聞く。
「この都市を帝国へ返せ」
ジェイが思わず顔を上げた。
レスティーナは静かだった。
「理由は?」
公爵は言った。
「ここは元々、我が領地の開拓地だ」
レスティーナは首を傾げる。
「証明は?」
公爵が黙る。
アルトが淡々と言った。
「帝国記録では未開拓地です」
公爵は舌打ちした。
当然だ。
この土地は誰も管理していなかった。
だからレスティーナが開拓した。
レスティーナは言った。
「つまり?」
公爵は苛立った声で言う。
「我が領地に編入しろ」
レスティーナは少し考えた。
そして笑った。
「嫌です」
公爵の目が細くなる。
「理由は?」
「ここは都市」
レスティーナは言った。
「都市は自由」
都市は貴族の領地ではない。
帝国法の下にある自治都市だ。
公爵は椅子にもたれた。
「強気だな」
レスティーナは肩をすくめる。
「事実です」
しばらく沈黙が続いた。
やがて公爵が言った。
「ならば提案だ」
レスティーナは黙って聞く。
「交易」
ジェイが目を瞬かせる。
公爵は続けた。
「都市は商業が必要だろう」
確かにその通りだ。
レスティーナは興味を持った。
「続けてください」
公爵は言う。
「我が領地と交易路を開く」
アルトが静かに見ている。
公爵はさらに言った。
「税は取らん」
ジェイが小さく息を呑んだ。
それは破格の条件だった。
レスティーナは静かに聞く。
「代わりに?」
公爵は言った。
「木材」
レスティーナは森を見た。
魔の森。
巨大な資源だ。
公爵は続けた。
「この森の木材を売れ」
レスティーナは少し考えた。
悪くない話だった。
都市には商人が必要。
交易路も必要。
そして公爵も面子を保てる。
レスティーナは笑った。
「いいでしょう」
ジェイが驚く。
公爵も少し驚いた顔をした。
「早いな」
レスティーナは言った。
「都市は商売で成長する」
公爵はしばらくレスティーナを見ていた。
そして小さく笑った。
「面白い娘だ」
レスティーナは肩をすくめる。
「褒め言葉?」
「そうだな」
公爵は立ち上がった。
「交渉成立だ」
アルトが頷く。
「証人として記録します」
公爵は最後に町を見た。
働く人々。
城壁。
家々。
そしてレスティーナ。
「この都市は伸びる」
レスティーナは笑った。
「当然」
公爵は馬に乗った。
城門を出ていく。
遠ざかる背中を見ながら、ジェイが言った。
「終わりましたね」
レスティーナは首を振った。
「違う」
ジェイが聞く。
「何がです?」
レスティーナは森を見た。
その奥から、また人影が動いている。
逃げてくる人々だ。
レスティーナは言った。
「都市は始まったばかり」
人口五百。
それはただの出発点。
人はまだ来る。
商人も来る。
そしてこの都市は成長する。
レスティーナは静かに呟いた。
「次は人口千」
ジェイが笑う。
「止まりませんね」
レスティーナも笑った。
魔の森の都市は、今まさに動き出したばかりなのだから。




