↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
偏移  作者: Fickle
PR
9/25

9. 潜流のはしっこにいる生きもの図鑑


しばらくすると、家の奥から、重く確かな足音が聞こえてきた。


——蘇遠征が帰宅したのだった。


念安はすぐに立ち上がり、「お父さん」と声をかけた。


蘇遠征は靴を履き替え、軍の上着を脱いで、きっちりとハンガーに掛けた。


整った制服の下には引き締まった体躯があり、

その一つ一つの動きには、軍人特有の精密さが滲んでいた。


自宅であっても、所作は寸分の乱れもない。

まるで常に、潜流と同期しているかのようだった。


その視線が、ソファでくつろぐ澄川を一瞥する。


眉間がわずかに寄る。

が、それもすぐに収め、小さくうなずいた。


「澄川。」


「こんにちは、おじさん!」


澄川は背筋を伸ばし、明るく笑ってみせた。

どこか気の抜けた少年らしさが残るその挨拶の裏で、


手でこっそりと“生きてるだけマシ”みたいなジェスチャーをして、

念安に即座ににらまれる。


蘇遠征は何も言わず、小さく鼻を鳴らして、台所へと向かった。


念安はそっと澄川の隣に寄り、

笑いをこらえながら、小声で言った。


「自業自得。前にお父さんが出張中に、リビングでサッカーしてライト壊したの、

 監視カメラにばっちり映ってたからね。」


澄川は無実を主張するように両手を広げて、抗議した。


「それは事故だよ! 潜流歪曲場(Drift Distortion Field)のせい!」


念安は笑いをこらえながら、

肘で彼の脇をつつく。


——ふたりの小さなやりとりが、

部屋の中に、ゆっくりとぬくもりを広げていった。


キッチンでは、蘇遠征が静かに潜流コンロを操作していた。

その背筋はまっすぐで、まるで昔から何ひとつ変わっていないかのようだった。


壁の隅にある潜流記憶灯は、まだ静かに燃えていた。


その光は、

母の笑顔の写真に、そっと、やさしく届いていた。



--


挿絵(By みてみん)



夕食のあと、蘇遠征は突然の任務連絡を受けて、家を出ていった。


簡単にいくつかの指示だけを残し、

リビングはすぐに静寂に包まれた。


部屋に残されたのは、念安と澄川、ふたりきり。


念安が果物を持ってきて声をかけると、

澄川はそわそわとリビングを歩き回りながら、

なんとも言えない顔で部屋のあちこちを眺めていた。


「ねぇ、あんまり触っちゃダメだからね。」


念安が、ちょっとだけ真剣な口調で釘を刺す。


澄川は両手を挙げて、おどけたように言った。


「はいはい、わかってますって。

 蘇念安お嬢様は怖いからなぁ〜。」


——けれど。


彼女がキッチンに入って、ほんの数秒。


澄川は、さっそく“やらかした”。


リビングの本棚の下段。

ひときわ目立たない場所にある、小さな木の箱。


それはまるで、幼い子どもが宝物を隠していたような、

ひっそりとした存在感だった。


澄川はしゃがみ込み、そっとその箱を開ける。


中には、小さな「漂流瓶(Drift Bottles)」がずらりと並んでいた。


どれも透明なガラス製で、内側にはかすかに光を帯びた、

潜流のかけらが封じ込められている。


感情の断片(Failed Affective Drift)、

崩れた概念の鎖(Broken Concept Link)、

そして、言葉にならないエネルギーの微粒子たち。


その隣には、手描きの小さな冊子が置かれていた。

表紙には、少し歪んだ文字でこう記されていた。


——「潜流のはしっこにいる生きもの図鑑(Imaginary Drift Creatures)」

澄川はその本を手に取り、そっとページをめくる。


中には、いびつで可愛らしい生きものたちのイラストが並んでいた。


それは——標準潜流に適合できず、

流れの外へとはじき出された「端っこ」の存在たち。


ひとつひとつに名前がつけられ、

性格が書かれ、小さな物語が添えられている。


どの絵にも、どの文字にも、

誰にも見せるつもりのなかった優しさと、孤独な熱が宿っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。