8. 彼は、あの頃のまま
放課後になると、銀色の潜流ライトが静かに収束していった。
生徒たちは、それぞれの方向へと歩き出す。
まるで、都市の中心に吸い寄せられていく漣漪のように。
念安は、階段の踊り場で靴を履き替えていた。
帰ろうとした、その時——
背後から、軽やかな笑い声が聞こえた。
「ねぇ念安、今夜、夕飯おごってくれたりする?」
振り返ると、澄川が片手をポケットに突っ込んだまま立っていた。
笑い方も、立ち姿も、子どもの頃と何ひとつ変わっていない。
逆光の潜流ライトを背に受けて、白シャツがふわりと揺れていた。
——まるで、昔よく彼女に飴をねだった、小さな悪ガキのまま。
念安は眉を上げて、半分笑いながら返した。
「ごはん? またご両親、出張? 今度は何年?」
澄川は肩をすくめて、少し芝居がかった調子で言った。
「任務変更さ。急だったんだよね。
ひとりで栄養バーかじってると、もう泣きそう。腹もぺこぺこ。」
そう言いながら、お腹をさすってみせる澄川。
あまりにわざとらしくて、念安は思わず吹き出した。
その笑みに、目元に張り詰めていたものがふっと緩む。
——昔も、こうだった。
澄川はよく何かしらで怒られて、謹慎処分になると、決まって念安の家に逃げ込んできた。
そして、こんなふうに可哀想なフリをしては、彼女からお菓子をせびった。
今はもう、大学も卒業間近。
なのに、中身はあまり変わっていない。
「……いいけど。うちの“蘇遠征大将軍”に追い出されなかったら、ね。」
そう言って、念安はわざと怖い顔をしてにらみつけた。
澄川は口の端を上げて、軽やかにあとをついてきた。
いつもの、あの調子で。
念安の家は、都市の中央環状区にある高層住宅のひとつにあった。
建物の外壁は、密に並んだ銀色の潜流シールドに包まれていて、
遠くから見ると、まるで巨大なクラゲのように、都市の一角をふんわりと守っているようだった。
彼女が共振キーをかざすと、扉は静かに開いた。
その瞬間、ぴんと張りつめた冷たい空気が、中からふっと吹き出してくる。
室内は、まるで整列された潜流そのもののように、端正に整えられていた。
淡いグレーの潜流カーペットが、かすかに震えていて、
抑波システムが空間全体を穏やかに保っていた。
玄関の壁には、白黒の写真が一枚、掛けられていた。
実験服姿の女性が、髪をきれいにまとめ、
とてもやさしい笑みをたたえてこちらを見つめている。
——念安の母。
その下には、細長い潜流記憶灯が、小さく灯っていた。
その微光はやわらかく、静かにリビング全体を照らしていた。
澄川は玄関で靴を脱ぎながら、その写真にふと目を向けた。
その視線が、一拍だけ、深く沈む。
けれど、すぐにいつもの軽い雰囲気に戻っていた。
靴を脱ぎ終えると、慣れた様子で部屋に上がる。
「定位置でいい?」と、彼が笑った。
念安はちらりと彼を見て、
「もちろん。ソファ、自前のクッション持ち込みね」と応じた。
澄川は「へへっ」と笑って、ソファにどさっと腰を下ろす。
それはまるで、ここが自分の家かのようだった。




