20. “異常体”——それは人間だ
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軍部・中央指揮ホール。
昏い照明の下、潜流モニターが青白く輝いていた。
その光は、まるで手術室のライトのように冷たく、静かに場を照らしていた。
蘇遠征は中央に立ち、軍服の襟を正しながら、
都市全域の同期指数グラフを睨みつけていた。
その曲線は、極限まで張り詰めたワイヤーのように、
じわじわと標準軌道から逸れ始めていた。
白瑾秋は戦術端末の前に立ち、
背筋を一分の隙もなく伸ばし、表情を動かさぬまま、
指先だけが無音の操作を続けていた。
画面上では、異常分析データが次々と展開され、
曲率モデルが掌の中で青く燃えるように回転していた。
*
会議室の左右には、
潜流情報統括官、都市運営官、情動波観測官など、主要部門の代表たちが座していた。
誰の顔にも、緊張の色が浮かんでいた。
ここは、“封鎖するか、しないか”の境界線。
「封鎖を」
白瑾秋が、静かに言った。
その声は鋼鉄が擦れ合うように硬く、冷たかった。
「このままでは——
四十八時間以内に、シールドが崩壊する」
その言葉に装飾はなかった。
「予測」ではなく、「決定事項」の響き。
「落ち着け」
蘇遠征が静かに返した。
その声には、冷静さの奥にかすかな“温度”が宿っていた。
「異常体の“伝染性”は、まだ確認されていない」
都市運営官が補足する。
「現在までのデータでは、異常体による潜流汚染は局所的。
拡散性はなく、市民の恐慌は負の共鳴による自己増幅です」
蘇遠征は、広がる赤い斑点の地図を見つめ、眉を寄せた。
“異常体”——それは人間だ。
潜流システムの乱れによって発生する、
個別的な曲率異常を抱える同期障害者。
理論上、それは“浄化”可能な存在。
大規模な再同期(Mass Drift Reset)をかければ、
フィールドは再校正され、異常源は除去される。
だが、その代償は大きい。
・潜流感受性の低い市民には精神的ショックのリスク。
・潜在異常者への強制同期は脳損傷、最悪の場合は死に至る。
・都市全体の情動フィールドは最低レベルにリセットされ、機能停止の恐れ。
白瑾秋は、画面に指を走らせた。
過去の災害シミュレーションが展開される。
数十年前、小規模な偏移事故。
初動の遅れが全域汚染に繋がり、結果:都市潜流の崩壊と消失。
「待つのか?」
白瑾秋の声は低く、冷たい。
だが、その奥には凍てついた怒りが、火のように潜んでいた。
「裂け目がシールドを引き裂くまで?
潜流が都市を飲み込むまで?」
蘇遠征は、拳を握る。
白瑾秋の言葉は、原則として正しい。
“先に封鎖、後に調査”——マニュアルの正解。
だが、何かがひっかかっていた。
異常体たちは、単なる潜流誤差にしては“異質すぎる”。
動作が硬直している。
表情が、まるで模倣のよう。
反応は、別の構造体のように見える。
まるで——
「何か別のもの」が、“人間のふり”をしているようだった。
蘇遠征は、ちらりと白瑾秋を見た。
その横顔は鋭く、整いすぎていた。
規律と原則の化身。
例外なき男。
今ここで「全都市同期」が許可されれば、
彼は必ず、迷いなく実行する。
そして——
異常の疑いがある者たちを、すべて、切り捨てるだろう。
「……24時間、様子を見る」
蘇遠征は、重く口を開いた。
「局地同期場(Localized Drift Isolation Field)を設置し、異常区域を封じ込める。
だが、都市全体への強制同期は避ける」
部屋に、短い沈黙が落ちた。
運営官たちは顔を見合わせ、ほっと息をついた。
白瑾秋は、何も言わなかった。
ただ、静かに頷いた。
争う気はなかった。
彼の目は、都市全域マップをじっと見つめていた。
赤く広がる涟漪。
わずかに曲がった曲線。
壊れた歯車のように、そこにある“ズレ”。
彼は、心の中で、静かに囁いた。
「……裂けろ。
できるだけ深く、醜く。
気づいたときには、手遅れになるほどに」
*
そのとき——
都市の彼方。
潜流シールドの深層で、
「ピシィッ」と、小さな音が響いた。
それは、誰にも届かぬ微細な“割れる音”。
だが、それは確かに——
“裂隙”が、開いた音だった。




