11. ディアナ、姉熊を見つける
「さあ、お嬢様。奥へどうぞ」
店主であるというデリラ夫人が私の手を取った。
いや、それにしてもこの人、美人だなぁ。それに年齢不詳。
三十を越えているのは確かだけれど……うーん。
「お茶会ということですが、どのような主旨の集まりかお伺いしても?」
「婚約者の紹介です」
後ろの方からガタガタっと大きな音がした。
思わず振り返ると、赤い服を着た女性がサッと物陰に隠れた。あれ、足をぶつけたんじゃないだろうか。痛そうだったけれど、大丈夫かな?
デリラ夫人は気づかなかったのか、何事もなかったかのように『お嬢様の婚約発表ですか?』と尋ねた。
「いえ、お友達の――」
そう言った途端、今度は『よしっ!』という気合いの入りまくった声が背後から聞こえた。
振り返ると、さっきの女性がまたしてもサッと隠れる。
「あの……あの方は?」
私は問いかけるようにデリラ夫人を見た。
夫人は困ったような笑みを浮かべた。
「申し訳ございません。少しばかり人見知りのお客様でして」
あれ? ひょっとして、ひょっとしなくても向こうが先に来店していたのでは?
「あー、すみません。あの方の接客中だったんですね。私の方はパパパッと決めますんで――ベージュのドレスを見せて下さい」
「ベージュ、ですか?!」
デリラ夫人が素っ頓狂な声をあげた。
「ええ、ベージュです。主役より目立たないのが礼儀ですから」
まあ、着飾ったところで、あの可愛いコルネリアより目立つとは思えない。が、印象に残らない色のドレスなら小物使いで着回しがきく。爵位狙いの貴公子たちだって、他の令嬢に目が行くだろうから一石二鳥というものだ。
「まあ、ダメよ!」
背後から悲鳴混じりの声がする。
私は振り向く代わりに上を見上げて『あっ!』と言いながら天井を指差した。
そっと見やると、案の定、赤い服を着た女性は天井を見上げている。
女性にしては背の高い人で、誰もが羨むような豊かな胸の持ち主だ。体の線を惜しむことなく見せつけるような細身の服装だが、きれいに結い上げたプラチナブロンドの髪が上品さを醸し出している。
女性は首を傾げ、パチパチと瞬きをすると、私の方を見た。
きれいな緑色の目だ。
どこかで会ったことがあるかな? どことなく見覚えがある。
「あの、よく分からなかったのですけれど、天井に何かありまして?」
「何も」
「えっ?」
デリラ夫人がクスリと笑った。
「まんまと引っかけられたのですわ、ウルスラ様。お行儀よくご挨拶なさってはいかがです?」
私の代わりに、デリラ夫人が苦笑混じりに種明かしをした。
「まあ、どうしましょう。ジークに叱られてしまうわ!」
「物陰でこそこそしている方が叱られますよ。お嬢様、こちらはウルスラ・シェーラー侯爵夫人です。ジークフリート様の姉君ですわ」
おお!
危うくポンと手を打ちそうになった。
会ったことがあると思ったはずだ。目元がリンツ団長とそっくりだもの。
「はじめまして、ディアナ・エリザベート・アデリア・ルイ・グラウシュタットと申します」
「ウルスラです。はじめまして。あの……あの……」
いい年の大人がモジモジするのはどうかと思ったが、美人は得だな。何だか可愛らしく見えてくる。
「何でしょう?」
「あの……さっき、ジークとお友達だと聞いてしまったのですけれど」
ん? これは、あれか? 弟に変な虫が付きまとっているのではという心配か?
「主に仕事上の付き合いですが、よくしていただいています」
安心してもらおうと、"仕事上"を強調した。
「お仕事……してらっしゃるの?」
「確か王立大学で働いていらっしゃるのですよね?」
首を傾げるウルスラ様に、デリラ夫人が助け舟を出す。
「グラウシュタット伯爵令嬢といえば、十五歳で大学課程を終えた天才ですのよ」
よくご存知で。
さすが、王都一のデザイナー。王都に住む貴族の情報は把握済みとみえる。
「まあ……すごい。すごいわ。あのジークが、自力でこんな素晴しいお嬢さんとお付き合いする日が来るなんて、信じられない!」
えっと……『お付き合い』ってほどじゃないんだけどな。
ウルスラ様は私の両肩をガシッと掴んだ。
「あの子をよろしくね。そして、ベージュのドレスはダメよ」
はい?
「こんなきれいな黒髪ですもの、もっと明るい色がいいわ。ピンクとか、レモンイエローとか」
「レモンイエロー、ピッタリですわ」
デリラ夫人がそう言ってパンパンと手を叩く。
「あなた達、レモンイエローの略式ドレスを用意して」
お店のお針子たちが『はい、すぐに』と明るく答える。
「いや、私、ベージュって言いましたよね? ハッキリ言いましたよね?」
すると、デリラ夫人はニッコリと笑った。
「ベージュでしたわね。黄色系のベージュで素敵なドレスがありますのよ?」
こらこらこらこら、黄色系のベージュって何だよ!
心の中で突っ込むと、半歩後ろに控えているテルマが、『物は言いようですわねぇ。勉強になります』などと呟いている。
そこは勉強しなくてよろしい。
まもなくお針子さん達が持ってきたドレスの数に、私は軽く目眩をおこしそうになった。
「"黄色系のベージュ"に、こんなに種類があるとは思いませんでした」
皮肉っぽく言うと、デリラ夫人はニッコリと笑った。
「染料自体は三種類ほどですわ。染めの時間や手法、それに織り糸の種類、織り方などでこれだけ色の差が出ますの」
ああ、光の反射の差だね。そこんとこ詳しく! と、身を乗りだそうとすると、テルマに首根っこを引っ張られた。比喩ではなく、本当に。
「お嬢様、探究心を出すのは別の機会にお願い致します」
ニッコリといい笑顔。
はいはい、分かってますよ。さっさとドレスを選べってことね。
「じゃ、これで」
私は、一番手前にあったドレスを掴んだ。
次の瞬間、一斉に非難の声が上がった。
なぜだ。私のドレスではないか。解せぬ。




