その39
カシミロの服装は、白いシャツに緑のベストを重ね、折り目のきっちりした濃緑のチェックズボンという、いわゆる《ハウス》のスタンダードスタイルだ。ベストの胸には《ハウス》のシンボルが光る。この恰好を見れば、誰でもそのヒュープルが《ハウス》のものだと理解し、畏怖か尊敬の行動をとる。しかし、路地を来る男の目にカシミロが映らないはずはないが、男にそれを気にした様子はなく、一定の足取りである。いい度胸だ、とカシミロは表情を緩めそうになる。二人の距離は、お互いが手を伸ばし合えば触れ合えるほどに近づいていた。
頃合いだ。カシミロは、どう切り出そうかと何パターンか候補を挙げながら、ゆっくりと男の進路を塞ぐように前に出た。男はぴたりと足を止めた。身長は男の方が幾分も高く、カシミロが見上げる格好となった。その瞬間、カシミロは心底がっかりしてしまった。電撃的落胆だ。帽子の下の顔が真っ黒だったからだ。
《ハウス》はどんなヒュープルでも、実力さえあれば歓迎する。ダルだとかブライトだとかいう区分は古臭いとして、プライムのベアトリスは全く重視していない。だが、カシミロはこれほど色がないヒュープルを見たことがなかった。ダルを色なしと侮蔑する言葉があるが、本当に色がないやつなんていない。いくら色が暗くても、ちょっと赤っぽかったり、青っぽかったり、何かしらの色があるものなのだ。だがこの男はどうだ。まさに色がないようにみえる。ここまでとあっては、まともに『カラー』を使えるとは思えない。ジュース結晶を扱えるかも怪しいものだ。
ダメだ、ダメだ。こんなやつを『スカウト』していったら、あからさまに間に合わせではないか。早くも皆の嘲笑が聞こえた気がした。時間はないが、この色なしは見送って、別の候補を探すしかない。カシミロは酔ったような自棄の足取りで背中を壁に預けた。あとは通っていいというジェスチャーをしたら、この男とはおさらばだ。
そのとき、大通りから微かな歓声とともに、路地に一陣の風が舞いこんだ。風はカシミロのそばを抜け、男のはおったコートの裾を大きくはためかせた。カシミロの視界にギラリと光る何かが映った。目が皿にように見開かれていく。時間が限りなく遅延し、男のコートのひるがえりがスローモーションのように、一種の官能を得てうねっている。カシミロの視線はある一点に釘づけになっている。コートの下、無造作にベルトで留められている火器があった。鈍く光る金属のボディ。色力式ではない。《サルーン》が使うような回転装だが、もっと古い型だ。そして、その大きさである。形状は小火器のものだが、果たしてこれを小火器と呼んでいいものか、ギャング経験が長く多くの火器に触れてきたカシミロでさえも即断できないものがあった。
異質な金属のボディ、色力に頼らない機構、規格外の長大さ。この男にこれ以上ふさわしい火器があるだろうか。つまり、こいつはただの極端なダルではない。自分の欠点を知りに知った上で自衛の手段を用意しているのだ。それに気づいたカシミロは、にわかに男を取り巻く雰囲気が辺りの空気を絞り上げているような錯覚に陥った。意図せず、つばを飲みこんだ喉が鳴る。カシミロは感じた。長いことギャングをやっていて……そうではない、人生で初めてといっていいほど強烈な直感だ。こいつを逃がしてはいけない。
「おい」
カシミロが男を呼びとめる。
「おまえ、《ハウス》に興味はないか」
男はじろりとカシミロを見た。その鋭い眼差しに一瞬たじろいだが、
「おれが『スカウト』してやる」
なんとか威厳を損なわず、そう言うことができたのだ。
小柄な《ハウス》のギャングが接触してきたとき、カラスは緊張していたか。いや、全くしていなかった。そのときカラスは、ただただニコラスの正しさに感心していたのだ。
“死の受胎”を手に入れた後、カラスはシャーリーとともに一度ニコラスの元へと戻っていた。
「それで火器は手に入ったかね?」
結果を聞くまでもないのか、ニコラスは車椅子の上に身を屈めてにこにこしている。カラスは無言でテーブルに“死の受胎”を置いた。ゴトリという音があまりに重厚なのと、その見た目の異様さから、マクシミリアンとアルがぎょっとした。それを愉快そうにシャーリーが見ている。
「“死の受胎”か。まさかバートが持っていたとはね」
ニコラスは満足そうにうなずいたが、マクシミリアンは巨大な金属火器を気味悪そうに横目にした。
「これなら申し分ないだろう。早速、カラスには《ハウス》に入団してもらう。気をつけるのは、たったひとつのことだ」
ニコラスが人差し指を立てる。
「君が腹に一物持った潜入者だとばれてしまったら、そこで作戦は失敗だ。ベアトリスは鋭い。超自然的な直感力を持っていると思っていい。もし、そんな彼女の前で自分から《ハウス》に接近したとばれたとしよう。一気に天秤は疑いに傾き、彼女に近づくのは不可能になる。それを避けるために、君は《ハウス》に自分から接触してはいけない」
「なら、どうやって入団する?」
「自分から近づけないなら、相手から誘わせればいい」
ニコラスは窓際に行き、空を眺めた。
「……いい時間だな。カラス、君はこれからフリックライツでぶらぶらするんだ」
カラスは、ニコラスが何を言っているのか一瞬わからなかった。
「それもなるべく人通りのない、寂しい路地をね。シャーリー、送ってやってくれ」
カラスが何か言おうとすると、
「ほら、時間がない。行くよ」
シャーリーに小突かれて、その機会は失われてしまった。
ニコラスから与えられた指示の目的は明確だったが、その方法はあまりに漠然としていた。だが言われたとおりフリックライツをぶらついていたら、こうして《ハウス》の構成員に話しかけられたのだから、ニコラスの指示は的確だったのだ。今となっては、全く正しいとしか思えない。
カラスはカシミロの言葉に、ああと短く返事した。カシミロは歯をむき出しにして笑うと、ちこちこと駆け出してカラスを手招きする。そこには隠れ家にあった動力車に負けないくらいのオンボロが停まっていた。
「さあ、乗れ。フリックライツが点灯しちまう」
ボロボロの動力車と老いに差しかかったギャングの組み合わせ。隈のように目の回りだけ暗くなった毛並みが、どうにも彼を情けなく見せる原因らしい。カラスはここで初めて不安に思いながら、カシミロの横のシートに身をうずめた。




