その34
樹木生い茂る緑の一帯はここまでと告げるように、道らしき露出した地肌が一本のうねった線となって森の外から伸びていた。村はその先だ。カラスはうきうきしながら少し湿った茶褐色の地面をたどった。
ふと顔を上げると、道の先に女の子がいた。赤茶色のふんわりとした体毛に包まれた彼女は、ゆったりとしたワンピースに前かけを重ね、頭には前かけと同じ素材のボンネットを被っていた。胸の前には小さなバスケットを大事そうに抱え、道端から何か拾っては入れていた。村の女の子はこういうものかと、カラスがいかにも可愛らしく感じていると、少女はカラスの存在に気づいて硬直した。それは一瞬のことで、彼女は手にしたバスケットを放り投げ、機敏に反転すると今来た道を駆け出した。地面に落ちたバスケットから赤いベイリの実が飛び散った。
女の子はカラスの真っ黒な姿に驚いて逃げ出したのに違いないのだが、老人以外のヒュープル、しかも年齢がそれほど違わない少女を見つけて舞い上がっていたカラスに、それを察しろというのは酷な話だろう。カラスは女の子を夢中で追いかけ始めた。女の子が後ろを振り返れば、真っ黒なものが猛然と迫ってくる。短く悲鳴を上げて、少女はさらにスピードを上げた。カラスはますますはしゃいで追いかける。少女は苦しそうに脇腹を押えながら必死で駆けたが、森で生活していたカラスの持久力に敵うはずもない。やがてばったりと倒れてしまった。
カラスはどきりとして速度を緩めた。漠然とした不安、あるいは後悔。この肩で息をして倒れたまま起き上がらない少女に対して湧いた感情であったが、その全体像は具体性を欠いていた。老人の死が、カラスの死というものへの感受性を過敏にしていたのかもしれない。カラスは少女に駆け寄った。駆け寄ったはいいが、どうしていいのかわからない。少女は尻もちの姿勢になると口をパクパクさせながら後ずさった。
突然、空が陰ったとカラスは思った。だが日光を遮ったのは雲ではなく、村の大人たちの体だった。カラスは女の子を夢中で追いかけるうち、いつの間にか村の中に入っていたのだ。彼らの表情は逆光でよく見えなかったが、不思議と目だけはギラギラと輝いていた。村人らの手には、先端の太くなった棒、先の平たい長い柄のついた農具や礫と呼ぶには大きすぎる石などがあった。女の子は素早く立ち上がると、父親らしき大人の陰に隠れた。父親は、離れていなさいと低い声で言う。
カラスの背中に衝撃が走った。背後から強かに打たれたのだ。続けてもう一発。今度は腕だった。カラスは激痛に背を丸めうずくまった。それでも攻撃は止まない。硬い棍棒が肩を打ち据え、先の鈍い鋤が尻を突き回した。死ぬ、殺されるとカラスは思った。一瞬の隙をついて円陣から転がり出ると、後ろも見ずに森へと駆けた。逃げたぞ! 誰かが叫んだ。体のあちこちが痛むがかまっていられない。必死だった。止まれば殺されてしまう。大きめの石がすぐそばに落ちてきてぼすっ、ぼすっと重たい音を立てた。カラスは自身を鞭打ち、速度を上げた。怪物め! 走り去るカラスに罵声が浴びせられた。つい先ほど胸を高鳴らせて通った道を、同じく激しい鼓動で戻る。だが行くときのような楽しい気持ちはこれっぽちもない。動かすたびに身体は軋むように痛むし、悲しいのか悔しいのか昂る気持ちで涙がぽろぽろ出てきた。追手の姿は見当たらない。カラスは足を引きずるようにして森の奥へ向かった。
どうにか家までたどり着くと、ようやく緊張が解けた。安心できると思った。カラスは倒れるように眠った。
カラスが目を覚ますと部屋は真っ暗だった。夜まで寝てしまったようだ。痛みは鈍く残っていたが、だいぶ引いていた。もうひと眠りしようと、うつらうつらし始めたカラスだったが、にわかにはっとした。今、窓の外を明るいものが横切りはしなかったか。姿勢低く窓際に忍び寄ると、頭だけを出して外を確認した。見間違いではなかった。家の周囲、森の中にいくつもの明かりが見え隠れしていた。遠巻きに家を取り囲む松明が、木の影を不気味に長く投影していた。
カラスの寝ている間、村では緊急の集会が開かれていた。長老の参加する、重要な集会である。議題は村に出現した危険な色なしについてだ。この閉鎖的な村では、未だに体色についての強い偏見が根づいていた。近辺に色なしがうろついているとあっては大問題なのだ。ある者はカラスを怪物の子供だと声高に主張した。また、ある者は危険な疫病を媒介していると断定した。そして、何より村の子供が襲われたのが事態の逼迫性を強調した。場は満場一致で、逃げたカラスを退治することとなった。決行は今夜。村の男総出の一大事であった。
松明が弧を描いて投げこまれる。何本も、何本も。乾いた木でできた家はひとたまりもない。ぼう、ぼぼうとあちこちで火の手が上がり、またたく間に全体が炎に包まれた。赤い舌が夜空を舐めた。すでに家の外へと脱出していたカラスは、その様子を呆然と眺めた。家、だったものはすでに橙に染められ、火炎の柱となっていた。火の粉が羽虫のように舞っていた。村の大人の唸るような勝鬨が聞こえた。炎は歓喜の声を上げ、焦熱の匂いを夜風に含ませながら踊り狂い、カラスの住処を食らい尽くしていく。さらに、それでは飽き足らず、そばにあった老人を埋めた木にまで腕を伸ばした。木が燃えていく。カラスには、その木が老人そのもののような気がした。燃えていく。ばちばちと生木が爆ぜた。
どうしてこうなったのか。カラスにはわからない。ただ、村に近づくなと言った老人の正しさを、ひたすら噛みしめるばかりであった。ここにいては危ないと、カラスはふらふらとしたおぼつかない足取りで、闇に溶けるように消えていった。




