27.闇の者たち
ヴィルエに襲いかかるは水に落ちた衝撃――ではなかった。落下していくヴィルエの体は何かにふわりと支えられる。
驚いて瞼を開けば、視界に見慣れた黒い生地がある。彼が着ていた外套のものだ。驚いて見上げれば、『夜梟』の仮面がある。
「無茶をするな。いつでも助けられるわけじゃないんだぞ」
「……あなた、どうしてここに」
落ちるはずであったヴィルエは『夜梟』に助けられた。『夜梟』は片手でヴィルエを掴み、壁を蹴って歩廊へと戻る。驚くほど軽やかな動きだ。人を抱えた状態でよくそこまで動けるものだと関心してしまう。
そうして『夜梟』はヴィルエを歩廊に下ろしたが、すぐに背に隠した。彼は剣を引き抜き、デールを睨み付けている。
デールからすれば契約したはずの『夜梟』がこちらに剣を向けているのだ。怒りと驚きが混じった表情をしている。
「お前……裏切ったのか!」
「裏切っていない。俺は最初から雇われているだけだ」
そう言って『夜梟』はデールに剣を向ける。
雇ったのはデールのはずだが剣を向ける。そうなれば別に雇い主がいるはず。デールはそのように考えたのか、顔を歪めて舌打ちをした。
「暗殺者ではなく、最初から王国の犬だったのか!」
「俺に依頼をした時点で、お前の計画は失敗しか道がなかったと教えておこう」
『夜梟』が告げた言葉に――驚きはなかった。
というのも、ヴィルエは予想していた。彼が守っているもの。彼の『弟』――それは王家に関する者ではないかと考えていたのだ。
(やっぱり……旦那様がそれでも暗殺者を続けたのは『弟』を守るため。今回のような、くだらない計画から守るためなのね)
『夜梟』が裏切ったことにデールは慌てているようだった。彼は、『夜梟』の背に隠されているヴィルエに向かって叫ぶ。
「ヴィルエ様、早くこちらへ! その暗殺者は我々を裏切ったんです!」
ヴィルエを同胞だと信じ、だからこそ声をかけているのだ。だが『夜梟』は動じず、祖デールだけを敵対視している。
「もう一つ教えておくか。お前は俺だけじゃなく、この女にも転がされていたぞ。もし俺以外の暗殺者を雇ったとしても、この計画は失敗している」
「は……?」
「気づいていなかったのか? この女は相当にしたたかで、腹が黒い。男を手のひらで転がして楽しむようなやつだ」
したたかで腹が黒いかはともかく、『夜梟』により明かされた事実にデールは唖然としていた。その様子に『夜梟』が嗤っている。
「お前程度じゃ、こいつを飼い慣らせないってことだ」
『夜梟』はヴィルエが王家のために動いていることを知っていたのだ。だからこそ彼はこちらに刃を向けようとせず、背に隠してくれていた。
(私の目的に気づいていたのね……お互い様、かしら)
『弟』のために国を守る暗殺者となったアクシオ。
妹のために『夜宴の黒花』となったヴィルエ。
二人は同じ闇に潜みながら、同じ方向を向いている者たちだ。
(殺すだの何だの言いながら協力しているみたい。なんだか不思議な感覚ね)
こんな場面だというのに、嬉しくなってしまう。ついに口元が綻んでしまった。
だが、今は悠長にしている場合ではない。ヴィルエは無事であってもミゼレーがどうなっているかわからないのだ。
どうにかして『夜梟』に伝えなければ。そう悩んでいる時、思い出したようにデールが叫んだ。
「ヴィルエ様。大事なことを忘れているのでは? こちらに来なければ、あなたの大切な従者がどうなるかわかりませんよ?」
「ああ。お前の手下が連れ去った従者のことか? 彼女は無事だ」
ミゼレーを使ってヴィルエを脅すという企みは、『夜梟』によってあっさりと崩されてしまった。
まるで天気について語るような軽さで『夜梟』が続ける。
「お前の手下は今頃王国軍に捕えられている。従者の無事も確認し、保護した。しかし、暗殺計画だけでなく拉致までやるとはな。そんなにも罪を増やしたいのか」
「……くそ! ここまでするのか!?」
「それはこっちの台詞だ。この女を連れて行くために、こんな卑怯な真似をするなんてな」
ミゼレーは無事である。そのことを知って、ヴィルエは安堵の息をつく。
攫われたことを知っているとなれば、アクシオははじめからヴィルエの様子を窺っていたのかもしれない。そしてミゼレーが連れ去られたと知って彼女を助けに向かい、そしてヴィルエを助けにきてくれたのだ。
(ありがとう、旦那様)
アクシオがいなければヴィルエやミゼレーはどうなっていたかわからない。改めて彼が来てくれたことに感謝をする。
「こうなったら――」
デールは剣を引き抜き、こちらに駆けてきた。その表情には『夜梟』への強い殺意が滲んでいる。
しかし『夜梟』は動じる様子がなかった。デールが襲いかかってきても慌てず、背に隠したヴィルエを庇いながら剣で応じる。
剣のぶつかり合う甲高い音が地下水道に響く。
「裏切りやがって! この!」
「遅い。お前、剣術の才能までないのか」
「貴様っ……!」
諦めずにデールはもう一度斬りかかろうとしたが、それより早く『夜梟』の剣が動いた。
横薙ぎにし、鈍い音がする。デールの足を斬りつけたのだ。
「ぐ、あ……あ……」
デールの体が不自然に揺らめき、その場に倒れる。足をやられたためか立ち上がれなくなったようだ。そんなデールの姿を見下ろしながら『夜梟』が呟いた。
「安心しろ。ここでは殺さない。連れてこいと言われてるからな」
「くそ……こんな……こんなのは……」
「誰に唆されたのか、きっちり話して貰わないとな。じゃ、おやすみ」
言い終えると『夜梟』は懐から注射器を取り出した。そしてデールの首に打ち込む。
当然デールは抵抗を試みていたが、怪我をした状態で『夜梟』に頭を抑えつけられたためか、その注射を拒むことはできなかった。
「こんなこと……許さないぞ……必ずお前に復讐してやる」
打ち込まれた後もデールはぶつぶつと恨み言を呟いていたが、そのうちにがくりと首が落ちた。どうやら注射器の中には気絶させるような薬品が入っているらしい。
いったい何が入っていたのか。しげしげと観察していると、『夜梟』がこちらに振り返った。
「気になるならわけてやろうか?」
「……結構よ。そんな目に遭わないもの」
「いい度胸だ。欲しいと言われても分けてやる気はなかったけどな」
ヴィルエの返答を推測していたかのように『夜梟』は鼻で笑い、倒れたデールをそのままにして歩き出した。
慌てて『夜梟』の後を追いかけ、ヴィルエが問う。
「デールをあのままにしていいの?」
「後で王国軍が回収にくる。その時、俺はいない方がいい」
「あなたの存在を王国軍は知らないのね?」
まるで王国軍に見つかりたくないかのように去ろうとする。その動きからの問いかけだったが、『夜梟』はあっさりと認めた。
「誰も知らない。知ってはいけない。俺の正体を知る者は殺さなきゃいけない」
「じゃあ私も?」
「お前の行い次第だな。裏切るようであれば、殺さなきゃいけない」
それは恐ろしい返答であったものの、ヴィルエは悪い気がしなかった。この人はそれほどにこの国を守るため忠実なのだ。
殺さなきゃいけない。そう話しながらも振り返らずヴィルエの前を歩くのは、彼がヴィルエの目的を知っているからだろう。ヴィルエがオルナやセラティスのため『国王の耳』として動くように、彼も大事な『弟』のために『夜梟』であり続ける。
二人の目的は同じ方向を向いている。だからお互いに裏切ることはないのだとわかっている。
(旦那様と話している時の親近感は、そういうことなのかもしれないわ)
これまで感じてきたものがすべて繋がっていく。
同じ闇の中にいて、同じく大切なものを守ろうとしていた。自分の身を削ってでも守るべきもののために動いてきた者たちだから惹かれてしまう。
(この結婚は、そういうことなのかもしれない)
謎が解けたような心地で、でも悪い気分じゃない。
ヴィルエは顔をあげ、『夜梟』を見上げる。
「悪くないわね」
その呟きが気になったのか、『夜梟』が振り返った。
「なんだ。『夜梟』を従えたような顔をしているな」
「暗殺者に助けてもらえる人なんてそんなにいないでしょう? だからいい気分よ」
助けてくれたお礼を伝えたい。そして、彼と同じ方向を向いているのだと知った喜びを伝えたい。
急に、彼を抱きしめたくなった。
足を止めた彼に近づく。背伸びをして、彼の腕をぐいと掴む――だが、それ以上は止めた。
「……どうした?」
途中で動きを止めたヴィルエが気になったらしく、『夜梟』が問う。
「助けてくれてありがとうと言うつもりだったの。それから、あなたを抱きしめたくなった」
一瞬ほど『夜梟』は息を呑んだが、動じることなく落ち着いた様子で応える。
「どうぞ? お前の好きにすればいい」
「あら、拒まないのね。でも大丈夫よ。気が変わったから」
ふふ、と笑みを浮かべて彼から離れる。
「今はお礼だけにしておくわ。抱きしめるのならば、あなたじゃなくて夫がいいもの」
その夫が、目の前にいるけれど。
『夜梟』はヴィルエから視線を外し、背を向けた。こちらに表情を見せる気はないらしい。
「……お前の好きにすればいい」
素っ気ない物言いではあったが、その声音がいつもより楽しげであったことは伝わっていた。




