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2.騙し合いの始まり

 レインブル家は裏の顔を持つ。それは『国王の耳』として諜報活動をしていることだ。表向きはありふれた伯爵家であり、王族との関わりも少なく見えるが、実は国王の代わりに情報を集めている。


 現在の『国王の耳』はレインブル家家長である父だけではない。ヴィルエもその一人である。オルナとセラティスのために動こうとしていたところ、それを見かねた父から声がかかり、今ではその一人となっている。


 そして――『国王の耳』としての仕事は、彼女の名がヴィルエ・ニーベルジュとなった後も続いていた。



 多くの貴族らが集まる公爵邸のホールに、ヴィルエの姿はあった。

 ホール中央では男女が手を取り合いダンスに興じている。ヴィルエはその様子が見下ろせるバルコニーにいた。

 長い黒髪はまとめあげて紅の薔薇を挿す。ドレスは黒とワインレッドを選んだ。明るい色のドレスを好む令嬢が多い中、ヴィルエの装いは浮いている。


 ヴィルエは侍女を供につけていた。名をミゼレーという。

 ミゼレーはヴィルエの侍女だが、実は諜報活動のスペシャリストだ。小柄で運動神経が良く、ヴィルエでは出来ない潜入や密偵といった調査は彼女に依頼している。

 大切な侍女だから離れたくないと話し、ニーベルジュ領にも連れてきていた。

 そのミゼレーが飲み物を手に戻ってくる。表向きは主人のためにワインを取りにいった侍女として見えるだろう。それを手渡しながら、ヴィルエに耳打ちをする。


「やはり、殺された子爵のことが話題になっているようです」


 今宵、ヴィルエが夜会に参加したのは『国王の耳』としての情報収集である。


 昨晩、マチェスト子爵の遺体が発見された。彼について、ヴィルエは良い印象を抱いていない。

 彼は、自分の娘を王宮に送り込むべく、王太子であるセラティスと想いを通わせているオルナの失脚を狙っていた。ヴィルエが情報を掴んだため計画は未遂となったものの、その後も不穏な噂の絶えない男であった。


 そのマチェスト子爵が殺されたのである。彼の身に何が起きたのかを探るために夜会は最適の場であった。ここは噂好きの貴族がよく集まる。

 ヴィルエが今宵の夜会に参加した理由はこの情報を得るためだ。


「犯人の話も聞きたいところね。このまま夜会での情報収集は私が行うわ。予定通り、別行動にしましょう」

「はい。では、後ほど」


 ここからはミゼレーと別行動だ。ヴィルエは夜会を、ミゼレーは潜入調査を行う。彼女はマチェスト子爵の屋敷に向かい、侍女のふりをして情報を集める予定だ。

 淡泊な物言いをし、表情変化も乏しい子ではあるが、仕事の腕前は優秀である。きっと彼女なら夜会ではわからない情報を集めてきてくれることだろう。


 ミゼレーを見送った後、一人になったヴィルエはチェアに腰掛ける。噂話を聞くには他の貴族に近づく必要があるが、わざわざ出向くのはよろしくない。

 それに、得意顔をしたがる貴族が多い。出向かずとも、誰かがやってきて噂話を教えてくれるだろう。だからこちらは悠然とした態度で待つのみだ。その方が獲物は寄ってくる。


 階上からダンスに興じる者たちを眺めていると、顔なじみの貴族ことカーウィル伯爵が一人こちらにやってきた。ヴィルエは口元に笑みを浮かべ、彼に会釈をする。


「おや。ご結婚されてもお一人で参加するとは」

「夫がいるからと夜会に参加してはいけない決まりはないでしょう?」

「相変わらずなようで。そのうちに悪妻として扱われますよ」


 悪妻だろうがお飾りの妻だろうが、興味はない。ヴィルエはつんとした態度でホールの方を見つめる。


「それで、新しい生活は如何ですかな。よければニーベルジュ伯爵についてお聞かせいただけると嬉しいのですが」


 ニーベルジュ伯爵とはアクシオのことである。彼は社交界に顔を出すことが極めて少なく、貴族らの間でも謎の伯爵として扱われているのだろう。ヴィルエから少しでも情報を引き出したいという魂胆が見えている。これをヴィルエは鼻で笑った。


「残念だけど、夫のことはよくわからないの。結婚してから今日まで、あの人が何をしているのかわからないわ」

「それはまた、結婚されたばかりなのに随分と冷え込んでいるようだ」


 この返答に嘘はない。

 結婚式で顔を合わせ、ニーベルジュ領に移ってからというもの、アクシオと顔を合わせたことは数回しかない。結婚して初めての夜でさえ、彼はヴィルエのもとを訪ねることはなかった。

 彼は一日のほとんどを私室で過ごし、来客は私室へ呼んでいるようだ。従者であるグレンが彼の私室に食事を運んでいる様子から、ほとんどの時間を私室で過ごしているのだろう。

 それでも今日まで、数度ほど廊下で顔を合わせている。しかし彼はヴィルエがいないかのようにこちらに視線を合わせることもない。

 そこまでしてヴィルエを避けたいのかもしれない。ある意味では結婚前の宣言通りだ。


 しかし、ヴィルエとしては気が楽である。

 彼がこちらに興味を持たないのであれば、好きな時間に行動し、『国王の耳』としての諜報活動に励むことができる。


(今頃、私が夜会に行っていることも知らないでしょうね)


 アクシオがそのつもりなら、こちらだって構わない。彼をいないものとして扱うだけだ。

 ふっと笑みを浮かべ、ワインに口をつける。


「政略結婚なんてそんなものでしょう。よくある話よ。だから、夫のことは私ではなく本人に直接聞いた方がいいと思うわ」

「どうやら、ヴィルエ様の夫は見る目がないらしい。私ならこれほど美しい妻を一人にはしないのですがね」

「お上手だこと。その手法で何人もの令嬢を口説き落としてきたのかしら?」

「おやおや手厳しい。ご機嫌を損ねてしまいましたかな」


 困ったように首を横に振った後、カーウィル伯爵がヴィルエのそばに寄る。他の者に聞かれたくない話があるのだろう。


「ではお口直しに面白い話を……マチェスト子爵の噂はご存知でしょうか?」


 ヴィルエが目を細める。開いた扇で口元を隠し、彼の問いかけに答える。


「殺された、と聞いているわ」

「ええ。ですが話題になっているのは彼を殺した者、ですよ」


 このような口ぶりで、愉しむかのように語られるとすれば――ヴィルエの脳裏に一つの名が浮かんだ。


「もしかして『夜梟』かしら」


 『夜梟』とは、貴族らの間でたびたび名前があがる暗殺者である。

 男か女かもわからない。紅の三日月と梟の模様が描かれた仮面で顔を隠して現れては人を殺めるという。『夜梟』が現れた現場には彼がつける仮面と同じマークが刻まれたコインが置かれている。


 ヴィルエの推測に対し、カーウィル伯爵はにっこりと微笑んで頷いた。


「ご明察です。どうやら子爵の遺体そばに『夜梟』のコインが落ちていたそうです」


 この『夜梟』が誰なのか。何者に雇われているのか。そのどれもが謎に包まれ、今や貴族だけではなく多くの者が『夜梟』を探している。暗殺を生業とする裏稼業の者から、憧れを抱く貧民街の者。いまやこの国で、その名を知らぬ者はいないのだ。

 そんな『夜梟』が現れたのだから、貴族らがひそひそと噂に興じるわけだと合点がいく。


 カーウィル伯爵は愉しげであるものの、ヴィルエは扇で口元を隠したまま。扇の向こうでは笑っていなかった。

 この『夜梟』という暗殺者はどうもいけ好かない。悪心を抱く貴族だけ殺すのかと思えば、夜家業の者を殺すなど貴族以外にも矛先を向けることがある。彼の狙いがまったくわからない。

 いずれ、『夜梟』が王族を狙うようになれば――そう考えると、早いうちにこの芽を潰した方が良い気さえする。


 ここで『夜梟』の目的について考えても答えは出ない。ヴィルエは思考を切り替え、この話を教えてくれたカーウィル伯爵を見上げる。この情報を持ってきたからには彼の目的があるはずだ。それを探るように目を細める。


「こんな面白い話を教えてくれるだなんて、カーウィル伯爵は随分とお優しいのね」

「ははっ。それでは私がいつもは優しくないと言っているようではありませんか。これはただの情報提供に過ぎませんよ。ですが、いつかの折に思い出していただければ嬉しいですね」


 彼の言葉からヴィルエは確信する。カーウィル伯爵が『夜梟』についての最新の情報を与えてくれたのは恩を売るためだ。挨拶するだけでなく情報を持ってきて良い印象を与えようと狙っているのだろう。

 だがすんなりと頷いては面白くない。『夜宴の黒花』としてヴィルエは微笑む。


「まあ。カーウィル伯爵は、私が簡単に忘れるような愚か者だとお思いなのかしら?」

「ヴィルエ様は実に信頼に足る方だ――それで、これにて失礼いたします」


 皮肉で殴り合う貴族の会話だ。去っていくカーウィル伯爵を見送ると、今度は別の貴族がこちらにやってくる。ヴィルエは笑顔を浮かべ、それを出迎えた。



 夜も更けた頃、ヴィルエはニーベルジュ家の屋敷に戻った。夜も更けているためか使用人たちは眠りにつき、屋敷は静かだ。

 ミゼレーの出迎えがないことから、彼女はまだ戻っていないらしい。ヴィルエは一人で自室に戻る――はずであった。


 自室に戻ろうと二階の廊下を歩いていた時である。

 遠くから、ガシャンと割れる音が聞こえた。

 かすかなその音は、昼間であれば騒がしさで聞こえなかっただろう。しかし静まり返った夜の廊下では聞こえてしまった。


(今のは……どこから?)


 音がした方を見やる。廊下の向こう。そこにあるのはアクシオの部屋だ。

 普段は近づくことのない、アクシオの領域。だが夜遅くにガラスが割れるなど、異常事態である。


(何者かが入りこんだ? 『夜梟』ではないといいけれど)


 夜会でその名を聞いたばかりというのもあって、その名が頭に浮かんだ。

 もしも『夜梟』であるならば手がかりが得られるかもしれない。強盗だとしても、人を呼ぶことができる。

 ヴィルエは急ぎ、アクシオの部屋へと向かった。


***


 こうして、ヴィルエは知るのである。

 一大事だからと慌てて部屋に入れば、そこにいたのは血まみれのアクシオだった。

 ヴィルエが現れたことに驚き、アクシオの手から仮面が落ちる。それは噂されている『夜梟』の特徴通りの仮面。


(正体を知ってしまった。では私は……口封じで殺されるのかしら?)


 こちらを睨めつけるアクシオの視線は冷えている。その正体を知ってしまったヴィルエを責めるかのように。


「……ちっ。余計なことをする女だ」


 忌々しいとばかりに吐きすて、アクシオの手が動く。柄まで返り血を浴びたその剣を、鞘から引き抜く。


 アクシオが『夜梟』であるのなら――誰も正体を知らない暗殺者という謎を守るために目撃者を消す必要がある。つまり、ヴィルエを殺そうとするだろう。


(簡単に殺されてやらないわよ)


 この場を切り抜けるために必要なこと。残念ながら話し合いで解決できるとは考えにくい。ヴィルエから見てアクシオは気難しい男だ。妻と顔も合わさずに一ヶ月放置するような男である。話し合いが通じるとは思えない。


 そうなれば――彼の意表をつく行動を取って、騙すしかない。


「きゃあああああ! だれ……か……」


 悲鳴をあげ、助けを呼ぶふりをし、それからばたりと倒れ込む。

 侵入者と血を見て意識を失った令嬢のふりをするのである。剣を構えてこちらに飛びかかろうとしていたアクシオは、驚いたらしく動きを止めた。


「……なんだ?」


 ヴィルエを殺すつもりが、斬りかかる前に倒れたのだ。何事か起きたのか理解できず、戸惑っているらしい。

 次いで、扉が開く。アクシオとは別の足音がこちらに近づいた。


「アクシオ様! 先ほどの悲鳴は――」


 声からして、グレンが駆けつけたようだ。


「倒れているのは……奥様? 一体どういう状況です?」


 『夜梟』であるアクシオとしてはグレンに見つかるのもまずいのではないか――そのように案じたものの、グレンの様子は落ち着いていた。まるで彼が『夜梟』であるかと知っているかのように。


「まさか。アクシオ様が奥様を斬り殺し……」

「違う。俺は何もしていない」


 ヴィルエは意識を失っているふりをしているため、細かく様子が観察できない。聞こえる物音や会話から推測するしかない。

 グレンはいま、倒れたヴィルエのそばで屈んでいるようだった。彼がヴィルエの手首に触れる。


「……脈はあるようですから、気を失っているのでしょうね」

「こいつが勝手に部屋に入ってきて、勝手に倒れただけだ」

「またガラスを割って窓から部屋に帰ったんでしょう。物音を立てるから奥様に気づかれたのではありませんか? 素直に玄関から入ればよかったのに」

「馬車が止まっていただろ。だから仕方なく窓から入っただけだ」


 呆れたようにグレンがため息をついた。

 そこで二人のやりとりはいったん止まったものの、ヴィルエの体はぐいっと動かされた。横向きに倒れていたのが今は仰向けになっている。ヴィルエは何とか堪え、気絶しているふりを保った。


「それで……『夜梟』の正体を奥様に見られてしまったと?」

「わからない。だが、気づかれた可能性がある以上、こいつは殺すしかない」


 やはり先ほど刀を引き抜いたのはヴィルエを殺すためだったのだ。ヴィルエは内心でぞっとしていた。ヴィルエが倒れていなければ、彼は躊躇わずに切り捨てていただろう。たとえ感情がないといえ、婚姻関係の相手だというのに。


 アクシオの足音がこちらに近寄ってきた。だが、グレンが彼を止める。


「少し冷静になってください。相手は仮だとしても奥様ですからね。ここで何かあれば面倒なことになります」

「だが、このままにしてはおけないだろ」

「ですが奥様はこの仮面が『夜梟』を意味すると知らないかもしれませんよ。目覚めてから奥様と話してみても良いかと」

「話す? 俺が、この女と?」

「そうですよ。いつも言ってるじゃないですか。拒絶せず、もう少し奥様と話してみるべきですよ。顔あわせの時からあんな態度を取らなくたっていいのに」

「そんな余裕はない」


 苛立つようなアクシオの声が聞こえた。だが、その声量からしてヴィルエから遠ざかっているようだ。遠くで衣擦れの音もしたことから着替えているのかもしれない。


「この秘密を知ったやつを生かしてはいけない――グレンだって、知っているはずだ」


 グレンに向けたもののようで、けれど自分に言い聞かせるようなアクシオの呟きだ。


「わかっていますよ。でも、奥様を殺してしまえばレインブル家への説明は僕の仕事でしょう? これ以上仕事が増えるなんてやってられませんよ。あーあ、アクシオ様がガラスを割らなければこうならなかったのに。短気にならず馬車が去るのを待ってから家に帰ればよかったのに。まーた僕の仕事が増える」


 ぶつぶつとグレンがぼやきはじめた。それにうんざりしたのか、アクシオが大きなため息をついて打ち消す。


「……わかった。明日、こいつと話せばいいんだろ?」

「そうです。気づいていないようなら、殺す必要はありませんからね。僕だって仕事が増えないのでありがたいですよ」


 返事は聞こえなかったが、話が落ち着いたことからアクシオはグレンの提案を呑んだのだろう。

 首の皮が繋がったようで、ヴィルエは安堵する。すぐに殺されるということはなくなり、アクシオと話すという猶予が得られた。


「さて、奥様を部屋に運ばなければなりませんね」

「俺の部屋で寝転がっていても邪魔なだけだからな」

「ですから――はい。頑張ってくださいね」


 なぜかグレンの声が遠ざかる。同時に「は?」とアクシオの素っ頓狂な声も聞こえた。


「な、なぜ俺が?」

「僕は非力なので。アクシオ様のように鍛えてはいませんし」

「嘘をつくな。お前が運べ」

「いやですよ。そもそも、この方はアクシオ様の妻なんです。おいそれと触れるわけにはいきません」


 アクシオの反論が止まる。主人と従者という関係だが、こうして聞いていると友人のようでもある。それほど、アクシオとグレンには強い信頼があるのだろう。


「後で覚えておけよ」


 恨み言を呟いた後、足音が近づいてきた。

 そしてすぐに、ヴィルエの背と腰に手が挟まれる。そのままぐっと体が持ち上がった。


(もしかして、抱き上げられている?)


 どうやらアクシオに抱き上げられているらしい。地面が遠ざかり、バランスが取りにくい。だからといって彼の腕を掴むこともできず、ヴィルエは身動きしないようぐっと堪えるしかなかった。


 抱き上げられるなんて子どもの頃以来だ。『夜宴の黒花』として気高く振る舞ってはいるが実のところ男性経験はない。周囲はそのようにヴィルエのことを見ていないだろうが、それはヴィルエがうまく演じているためである。


「……ぐっ、こんな時に、力仕事か」


 数歩ほど進んだところでアクシオが小さく呟いた。うめき声交じりのそれは、まるでヴィルエの体が重たいとぼやいているようでもある。


(失礼な人だわ。勝手に人を抱き上げておいて文句をつけるだなんて)


 気絶しているふりでなければ、アクシオの頬をひっ叩いていたかもしれない。

 憤りがこみ上げたものの、アクシオの小さなうめき声は歩を進めるたびに聞こえてくる。歩き方も何かを庇っているかのようだ。


(もしかすると、この人は怪我をしている? 脇腹を庇っているように見えるけれど)


 彼に気づかれぬよう薄目を開けてみる。今は部屋を出て、廊下を歩いているらしいが、彼が歩いてきた後には点々と血のしみが落ちていた。

 おそらくはグレンも気づいていなかったのだろう。だから、ヴィルエを運べとアクシオに言ったに違いない。


 そう考えているうちに、ヴィルエの部屋に着いていた。アクシオはヴィルエをベッドに寝かせると部屋を出て行く。


(時間は得られた。あとは明日……旦那様を騙さないといけないわ)


 『夜梟』であるアクシオに殺されてやるものか。命をかけた騙し合いが始まろうとしていた。


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