24.革命前夜
『夜梟』との逢瀬から数日が経った。その間もニーベルジュの屋敷にてアクシオと毎日顔を合わせていたが、彼の様子は変わらない。あの日はまるでアクシオではなく『夜梟』だったから知らないといった振る舞いである。
(前ほど監視はされていない気がする)
レインブル家との手紙のやりとりを始め、日常に少しずつ余裕が出来てきた。今まではことあるごとにアクシオと顔を合わせ、外に出るにもアクシオがいない時を狙っていたのだが、最近は少しずつ変わってきた。
今回も国交五十年記念祭に参加するためだと話し、前日からレインブル家の屋敷に向かうと話していた。アクシオは異を唱えず「わかった」とあっさりした反応である。
馬車がレインブル家の屋敷に着く。ミゼレーと共に馬車を降りると、目的地である書斎へと向かった。
今回、実家に帰ったのは先日聞いたアクシオの過去を調べるためだ。
レインブル家の書斎には、先代から続くこの国の歴史がまとめられている書がいくつもある。新聞の切り抜きだけでなく謁見の記録や、先代や父の目線による細かな記録。ガードレット王国に起きた様々な出来事がここに記されているのだ。
アクシオが『弟』によって救出されたのは五年前と話していた。五年前の出来事というヒントを手がかりに情報が得られるかもしれない。
いくつかの本を手に取ろうとすると、隣にミゼレーが立った。
「手伝います。何を探せばよいでしょうか?」
「五年前に起きた事件を洗いたいの」
「なぜ五年前に興味をお持ちなのですか?」
めぼしい本を取り終え、ヴィルエはソファに腰を下ろす。これほどの量を読み解くのは時間がかかるかもしれない。
開いた本に視線を落としながら、ヴィルエはミゼレーの問いに答えた。
「旦那様の過去が知りたいのよ」
「事前調査では特になかったはず」
「そうね。でも、本人の口から聞いたのよ。五年前に何かがあったのだと」
詳細を話せば、ミゼレーが『夜梟』の正体がアクシオだと辿り着いてしまうかもしれない。それでなくても、はじめはヴィルエが正体を知ったからと殺されそうになっていたのだ。今はヴィルエを殺す気がないとしても、万が一のことを考えミゼレーを巻き込むわけにはいかない。
「実際に五年前に何かがあったとして、けれど調べてもその過去が出なかったとなれば……大きな何かが、旦那様の過去を消しているのかもしれませんね」
「その可能性もあるわね。でもそのようなことはたかが貴族では出来ないわ」
アクシオが母と共に過ごしていたのは、おそらく追跡者から逃れるためだ。アクシオの話から察するに、母は追われていることを理解していたはず。だからアクシオだけを先に逃がし、アクシオは死んだと語ったのかもしれない。
(一介の貴族では無理だわ。もっと力を持っている人たち……)
ヴィルエはページをめくる。あの時のアクシオを攫った者が誰かわかれば、彼の過去に近づけるかもしれない。救われてもなお、『弟』のために暗殺者を続けるアクシオの心に寄り添えるかもしれない。
「……ヴィルエ様、変わりましたね」
必死に本を読み解いていたため、ミゼレーがじっとこちらを見つめていたことに気づくのが遅れた。
「最近は旦那様と接することが増えましたし、お二人がキスをしていたと聞きましたが」
唐突に告げられたものは予想外の内容すぎて、ヴィルエは咳き込んだ。
「な、なに? 誰から聞いたの」
「ヴィルエ様とアクシオ様が領地視察に出かけた数日後に、グレン様に声をかけられてそのような話を聞きましたが」
キスをした後のアクシオは笑ってしまうほどにぼんやりとしていた。グレンはその様子に気づき、うまいこと質問をして聞き出したのかもしれない。アクシオは顔を真っ赤にしながら否定するも、グレンに信じてもらえなかったのだろう。その場面は容易に想像できる。
(私は旦那様のように狼狽えないけれどね)
ふふん、と心の中で勝ち誇る。そしてミゼレーに向かい、堂々とキスの事実を認めた。
「キスぐらい普通でしょう。その程度で噂をするなんてグレンも暇なのね」
「強がらない方がよいと思いますよ。『夜宴の黒花』なんて言われているくせに、キスどころか人を好きになったこともないと知っていますから」
その声音はいたって真面目なものであり、ヴィルエをからかう気はまったくないのだろう。彼女はただ事実を述べているだけだ。ミゼレーの性格はヴィルエもよくわかっている。
ミゼレーは、これまでのヴィルエがどのように振る舞ってきたのかをそばで見てきている。一番の理解者と言っても過言ではない。そんな彼女に、今のヴィルエはどう見えているのだろう。
「……私と旦那様の関係ってどうなのかしら? あなたはどう思う?」
これにミゼレーは首を傾げた。
「私に聞かれても困ります。ヴィルエ様自身のお気持ちが一番でしょう」
「あなたの観察眼を信じてみたくなったの。ほら、本人よりも周りの方が気づくこともあるでしょう?」
「ならば、ヴィルエ様は旦那様のことを好きなのだと思います」
ミゼレーが躊躇わず答えたことに、ヴィルエは笑った。
「旦那様を揶揄って遊んでいるだけよ。グレンが言っていたキスだって、旦那様への意地悪だもの」
「いえ。私が知るヴィルエ様は、たとえ揶揄いや意地悪だとしても自分の身を使うことはしません。仕事として割り切ったとしても一定のラインは超えさせない潔癖なところがあります。だから、ここまで誰とも関わりがなかったではありませんか」
情報を得るために武器として迫ることはある。だが、相手がこちらに手を伸ばそうとすればさっと身を引く。デールの時だってそうだ。肝心なところでヴィルエはうまく逃げていた。
「旦那様に興味を持ち、そして好きになってしまった……と私は考えていますが」
「好きはともかく……まあ、興味はあるわね」
「個人的に興味を抱く――そういう人は、初めてなのでは?」
『国王の耳』としての行動ではなく、ヴィルエという人間が持つ興味。だから今、アクシオのことを知りたいと思っている。彼の姿を思い浮かべ、ヴィルエは短く呟いた。
「だって揶揄うと可愛いんですもの。あの人、すぐに顔を赤くするのよ」
「女性に慣れていないのでしょうね。グレン様もそのように話していましたし」
「……あなた、グレンと仲が良いのね? そんな話をしていたなんて知らなかったわ」
「屋敷の情報掌握において彼との会話は有益ですから」
グレンとミゼレーは意外な組み合わせだ。ミゼレーは真面目すぎるところがあり、雑談が得意ではない子だ。おまけに表情変化も乏しいため、何を考えているのかわからないと思われることが多い。そんなミゼレーとグレンの世間話をするなんて想像しにくい。
(二人が情報交換なんて……想像つかないわね。どんな会話になるのかしら)
ミゼレーに聞いてみたいところだが、それよりも先に彼女の口が動いていた。飛んできたのはヴィルエへの忠告だ。
「しかし、旦那様を弄んで愉しむのを止めはしませんが、気をつけた方がよいかと」
「あら。どうして?」
「反撃されますよ」
その一言に、ヴィルエはぐっと息を呑む。
思い当たるものはある。二人が近づいた時、アクシオの瞳が熱に浮かされたようになり、彼にしては珍しく強引な迫り方をする。彼のその力強さに、女性と男性の違いを見せつけられているようで、ヴィルエの顔はいつも赤くなる。
それにいつぞやの夜だって。とんでもない逆襲をされてしまった。為す術がなく、されるがままになってしまったのだ。
まさかそれさえも知っているというのか、とヴィルエはミゼレーの様子を窺っていたが、ミゼレーは淡々としていた。
「ヴィルエ様は、表向きは強気ですが、その心はピュアですから。迫られると化けの皮が剥がれてしまうと思いますよ」
「化けの……! ミゼレー、あなたも言うようになったのね?」
「それはもちろん。ヴィルエ様と長く共にいますからね」
珍しく、ミゼレーの口角がかすかに持ち上がる。得意げに鼻を鳴らす様子から、この会話を楽しんでいるようだ。ヴィルエのそばにいる間に、ミゼレーも強さを身につけてきたのだろう。
そこで思い出したようにミゼレーが呟いた。
「五年前……だったかは思い出せないのですが、公爵の詳細を調べようとして王家に止められた一件がありましたね」
「ハイネ公爵だったかしら。ガードレット王の弟ね」
一時期は社交界にも精力的に参加し、国内でも名をあげていたのがハイネ公爵だ。
だが、ある時を境に彼はぱったりと現れなくなった。病に伏しただの王の怒りを買っただの、様々な噂が流れたものの、姿を消した真相はわからない。
当時レインブル家は別の件を調査していた。主犯となる者の候補にハイネ公爵の名もあがったため調査しようとしたが、ガードレット王直々にハイネ公爵への接近を禁じられたのだ。後に主犯となる者は別の者と判明したため、ハイネ公爵のことは頭から消えていた。
ミゼレーの言葉をきっかけに、ヴィルエはハイネ公爵に関する記事を探す。彼が最後に表舞台に出たのは五年前。以降、彼の情報は途絶えていた。
不審なほど、綺麗さっぱりと彼の記録がないのである。
(でもハイネ公爵は王弟よ。そんな人がどうして……)
アクシオを『夜梟』に仕立てた目的は、アクシオの弟を守るためであった。
後になってアクシオは自分からその道を選ぶことになるのだが、もしもハイネ公爵が夜梟計画を企てていたのなら――ハイネ公爵が守ろうとしたアクシオの弟とは誰なのか。
「確か……ハイネ公爵は、ガードレット王と親しかったはずよね?」
「はい。誰よりもガードレット王を支えてきた方でした。若くして王位継承権を捨てたのも、ガードレット王のためにと城に通っていたのもハイネ公爵です」
間違いはないだろうかと確かめたのだが、ヴィルエの記憶通りで合っているようだ。
ハイネ公爵は誰よりも兄であるガードレット王を慕っていた。彼が王になるのならば自分が剣として支えると誓い、公爵に封ぜられた後も騎士団の指導に励んでいた。
そしてガードレット王もハイネ公爵を信じていたはずだ。重要な決め事があるたびに彼を呼び、『国王の耳』として謁見に向かった時もハイネ公爵は同席していた。王妃でさえ知らない諜報活動を知るほど、彼は信頼されていたのだ。
そんなハイネ公爵が暗殺者『夜梟』を作ろうとしたのなら、その理由は何だろう。ガードレット王に敵意を向けるような人だと思えない。ならば、『夜梟』の目的とは。
(まさか……旦那様の『弟』って)
確信は得られていない。けれど、ある人物が思い浮かぶ。
アクシオの母が遠くまで逃げたのも、ハイネ公爵が無理矢理に追いかけたのも。
そしてアクシオが解放されても、自らの『弟』を守るためにと暗殺者で在り続けるのも。
少しずつ、繋がっていく。




