20.『夜梟』との再会
アクシオとヴィルエが出かけてから数日後のことである。
その夜、ヴィルエは夜会に出ていた。目的は情報収集のためである。
デールが『夜梟』に暗殺を依頼した後どうなったのかを聞き出すつもりであったが、これはうまく行かなかった。デール自身が夜会に現れなかったためである。
(彼の屋敷に行った後から動向がわからないのが不気味だわ……せめて暗殺計画の決行日がわかるといいんだけれど)
ため息をつきながら歩く。人気のない路地に入ったところで、ヴィルエはため息を吐いて髪をかき上げた。
体はどっと疲れている。貴族らとの皮肉めいた会話のやりとりは気を張る。言葉の裏をかこうとしてしまうせいかもしれない。
迎えの馬車は呼んでいない。会場を出る時に依頼することもできたのだが、声をかけるのも面倒でさっさと出てしまった。
レインブル家に寄って、馬車を借りるべきか――そう考え、ふと顔をあげると声が聞こえた。
「今宵も忙しいようだな」
その声は頭上から聞こえた。ヴィルエはその方を見上げたものの、入れ違うかのように声の主は木から飛び降りた。
黒い外套を風に揺らめき、ヴィルエの前に着地をする。高い木であったが、その動きは慣れているかのようであった。
ヴィルエは彼の姿を改めて確かめ、くすりと微笑む。
そこにいるのは『夜梟』だ。いつもの外套に仮面をつけている。
「人目につくところにいて、大丈夫なのかしら?」
「大丈夫ではないな。だから移動する」
そう話し『夜梟』が背を向けた。彼の背の向こうに馬車が見える。これから馬車に乗って移動するようだ。
「……着いてくるなら、別に構わない」
こちらに顔を向けてはいなかったが、確かにそう聞こえた。
小さな呟きではあったが、彼の様々な感情が隠れているようにも思える。もしかするとヴィルエにそう告げるために勇気が必要だったのかもしれない。
「せっかくのお誘いだもの、ご一緒しようかしら」
不器用な彼に苦笑いしながらもヴィルエは彼の後についていく。
『夜梟』は返事をしなかったが嫌だと思っていないことは伝わっていた。
***
(また『夜梟』と馬車に乗るなんて想像もしていなかったわ)
これで二度目だ。対面に『夜梟』が座るという奇妙な状況にもなぜか慣れてきたような気がする。
彼の様子を確かめる。馬車は動き出したというのに彼がその口を開く様子はない。足を組んで座り、窓の向こうに視線を向けている。
(……暗殺者、か)
すっかり見慣れてしまった彼の装いだが、眺めていると少し緊張してしまう。
その装いに隠された肌に触れている。目隠しをされていたといえ、あの夜の彼は『夜梟』を象徴する装いを脱いでいた。
(腕も背も、傷跡だらけだった)
あの夜は薬によって惑わされていたといえ、記憶には焼き付いている。
滑らかな肌とは言い難く、どこに触れても傷跡の感触があった。腕の怪我を手当てした時にも傷跡を見ていたが、おそらくは全身にあるのだろう。特に背には大きな傷があった。
こうしていれば長身痩躯に見えるが、実際は違う。筋肉質なその体は『夜梟』として体を動かすことが多いことを示しているようだった。
しかし、こうして思い出すと少しばかり腹が立つ。『夜梟』の秘密を守るための術だったのだろうが、ヴィルエだけが視界を隠されていたのだ。
(なんか、ずるいじゃない。私だけ何も見えていないなんて)
むっとしながらも、記憶にある感触と彼の姿をすりあわせるように彼を注視する。
そんなヴィルエの視線に気づいたらしく、『夜梟』が咳払いをした。
「……言いたいことがあるのはわかっている」
彼は気まずそうにしている。
『夜梟』と会うのはいつぞやの夜以来だ。もしかすると彼もそのことを思い出していたのかもしれない。
「前回はご迷惑をおかけしました。デールが自分のワインにも薬を混ぜ込むような大馬鹿だったなんて……あれは私の油断ですわ」
「謝る必要はない。差し替えなければもっと大変なことになっていた。お前はできる限りのことをしていたと、俺は思う」
そして、『夜梟』がこちらに向き直った。仮面で隠されてはいるものの、彼の真剣な表情が伝わってくる。
「謝るべきは俺だ。自制すべきだったと反省している。お前を傷つけてしまった」
「それはどういう意味です?」
すかさず、強めの声音で問う。傷つけたという言葉が、ヴィルエは男性経験がなかったということに気づいた上での発言ならば容赦しない。そんな威圧を込めて、彼を睨み付けた。
彼は視線を泳がし、慎重に言葉を探すような素振りをしていた。
「いや、傷つけたというのは……お前には夫がいるから、と」
想定していたのと別の返答に安堵しつつも、その夫が目の前にいると思うと笑ってしまいそうになる。二人の騙し合いだ。
ここで揶揄っても良いのだが――彼が『夜梟』の姿をしているからだろうか。今はそんな気になれない。ヴィルエはふっと柔らかく微笑んだ。
「それならご安心ください。私が傷つくことはありませんわ。この出来事は忘れろと言ったのはあなたなのですから、その通りに忘れましょう」
「そう……だな」
自ら話しておきながら、ヴィルエは嘘だと思っていた。忘れることなんてできないだろう。今でさえ、馬車で『夜梟』の姿を見ただけで思い出してしまったのだから。
それはヴィルエだけでなく『夜梟』も同じかもしれない。彼の歯切れの悪い返答からそれを感じ取った。
互いに言葉を発さぬまましばらく時間が経つ。しかし気まずいと感じることはなく、静寂でも心地が良い。
馬車は王都を離れ、別の領地を通っている。窓から見える景色も王都の明るさはなく、夜の闇に包まれて静かだ。
その景色をぼんやりと眺めていると眠たくなってくる。いつもならば屋敷に戻るまでは眠気を感じることはないのだが、今回は気が緩んでいるのかもしれない。
「……疲れているなら寝てもいいぞ」
「暗殺者さんと一緒の馬車なのに?」
「今はお前を殺す気はない。だから安心しろ」
そう言って『夜梟』は顔を反らしてしまった。
深く聞かれたくない場面になると逃げるような動作をするのは、『夜梟』もアクシオも同じだ。それに気づくと、笑いそうになってしまう。
「……馬車で眠たくなるのは、初めてかもしれないわ」
気が緩んでいるせいか、珍しいことを喋ってしまった。それに驚くように『夜梟』がこちらに向き直る。
「そうなのか? 家族と出かけることとかあっただろ」
「あったけれど、眠ることはしなかったわ。私はいつも妹の隣に座っていたから、気を張ってばかりだった」
家族とともに馬車に乗っても眠ることはなかった。それは隣に座るオルナが酔いやすく、彼女を心配していたためだ。
「あの子は体が弱かったから。馬車でもすぐに具合が悪くなってしまうの。顔色が悪くなったら、私にもたれかかって目を閉じるようにと話していたわ。それで私まで眠ってしまったら何が起こるかわからない。だからいつも、気を張っていた」
今はヴィルエではなくセラティスが隣にいるだろう。オルナが体の弱い子であることも彼は知っているはずだ。
二人が隣に並んでいる。ようやく辿り着いた二人の状況を嬉しく思うと同時に、一抹の寂しさもある。オルナはもうレインブル家を出ているのだ。
「……妹のことを可愛がっていたんだな」
『夜梟』が言った。
一瞬、頷いてしまいそうになったが、それをぐっと堪える。
オルナが可愛く、大切な妹であることは事実だ。だがそれを表に出しては彼女を守れない。関わりが無く不仲だと見せるためにこれまでやってきたのだ。
実際にデールだってそのように思っているだろう。ヴィルエがオルナを大切にしていると知られれば、セラティス暗殺計画に触れることはできなかった。
(大切だと思っていることを言葉にしてはいけない。大切であればあるほど、胸の中で一人で温めないといけない)
そのことを思い出し、ヴィルエはふっと短く笑う。
「……可愛くないわ。面倒をかけられてきただけだもの」
「そのようには見えなかったが」
「ならばあなたの観察力が足りないのでしょう。私にとって妹なんてどうでもいい。私は私のやりたいことをやるだけよ」
ヴィルエの言葉を『夜梟』はどのように受け止めただろう。仮面で隠されているため彼の表情は掴みにくい。
ならば、と反撃するように今度はヴィルエが問う。
「あなたは? 兄弟はいないの?」
事前に調べ、アクシオに兄弟はいないとわかっている。
彼の出自については元は庶民であったと聞いている。彼は卓越した剣技を持ち、一時期は騎士団の指南役になったこともあるそうだ。それらの功績をたたえて伯爵位を授かり、ニーベルジュ領を与えられている。
だから『夜梟』の答えは知っている、はずであった。
「腹違いの弟なら、いる」
予想と異なる返答に、ヴィルエは目を瞠る。
どういうことだ。アクシオに弟がいたなんて聞いたことがない。はじめはグレンを弟のように思っている、という意味かと考えたが、その様子でもない。
(旦那様に弟がいる? 調査結果にもなかった話よ。どういうこと)
まさか『夜梟』とアクシオが別人なのか。そんな疑いを持つほど、この話は信じ難いものだった。
ヴィルエのそんな動揺を知らず、『夜梟』は弟についての語りを続ける。
「だが、いろいろあったからな。相手が俺を兄だと慕ったとしても、俺にはその感情がわからない」
「複雑そうね。その話について詳しく聞いても教えてもらえるのかしら?」
「聞いても楽しくないぞ。嫌な思いをするぐらいなら聞かない方がいい」
だが好奇心は疼いている。調べても存在しなかったはずのアクシオの弟について知りたい。その気持ちがヴィルエを急かす。
「嫌な思いをするかは私次第だもの。あなたのことを知りたいわ」
『夜梟』は迷っていたようだが、ヴィルエの熱意に屈したのかもしれない。しばらくした後、彼の唇が動いた。




