8.『夜梟』との逢瀬
使用人たちは夜遅くまで応接室にいるヴィルエを気遣っていたが、ヴィルエは応接室にいたいと答え、使用人室に戻っていく彼らを見送った。
屋敷の明かりは最低限まで落としたため、廊下は薄暗い。そんな中、ヴィルエは待ち続けていた。
応接室に灯るか細い蝋燭の火をぼんやりと眺める。
そうして待ち続けていると、かたん、と玄関の扉が動いた。聞こえた音にヴィルエは勢いよく反応し、立ち上がる。
玄関の方を見やる。薄暗い中に影が一つ。フードをかぶっているようだがよく見えない。
燭台を手に持ち、ゆっくりとその方に向かう。
そうして近づき――明かりが照らしたのは紅の三日月と梟の模様が刻まれた無機質な仮面。
(『夜梟』……!)
彼はヴィルエがいないと思い込んでいたのだろう。応接室の明かりは暗くしているため外からわかりにくい。このような夜に誰も起きていないと思っていたのかもしれなかった。
「……っ、お前は」
夜梟はこちらに気づいている。仮面をつけているため彼の表情まではわからないが、視線が交差していることは感じている。
またしても彼の姿を見てしまった。今度は言い逃れができないかもしれない。ヴィルエは逃げようと後退りをし――だが、夜梟の動きは想像と異なるものだった。
彼は剣ヴィルエを斬って口封じしなければと考えたのだろう。だが、それはうまく行かず、剣の柄に伸ばした手はぴたりと止まった。
「……く、っ」
フードのついた黒い外套を着ているがあちこちには血が飛び散っている。返り血なのだろうと思っていたが、よく見れば一部の生地が裂けている。そこから彼の左腕だろう部分が見えるが外套だけでなく、中に着ている服も斬られているようだ。その周辺は返り血ではないのだろう赤い血に塗れている。
その血はセラティス王太子のものだろうか。一瞬憎悪がこみ上げたものの、彼の様子の違和感によってそれは封じられた。
『夜梟』の動きは鈍く、何かに耐えているかのように苦しげな声が聞こえる。剣に伸ばそうとした左手は震えていた。
倒れたふりをするべきか、それとも叫び声をあげて人を呼ぶべきか。取るべき行動はわかっているのに、彼の怪我から目が離せなかった。
(この人は前にも怪我をしていた。今回も……)
初めて夜梟の姿を見たときも、彼は怪我をグレンにも言わずに隠しているようだった。おそらくは今回も、この怪我を隠すつもりでいたのだろう。
(私が起きていることにも気づかないぐらい、深い傷なのかもしれない)
堂々と玄関から戻ってくる。それも仮面をつけたままだ。アクシオの不注意だと言いたくなるが、そうせざるを得ない理由があったのかもしれない。たとえば怪我が痛むであるとか。
なぜアクシオが怪我を隠そうとするのか、ヴィルエには理解できない。だが彼がそれを隠そうとするのならば――ヴィルエは彼に向けて告げた。
「……こちらに座ってくださる?」
「は――何を」
「突然屋敷に入ってくるなんて不届きな方ですけれど……その怪我は手当てした方がいいと思いますわ。だから、こちらへ」
そう言ってヴィルエは彼に背を向け、応接室に入っていく。
夜梟はまだ、ヴィルエの行動が信じられないのかその場に立ち尽くし、こちらの様子を観察しているようだった。
ヴィルエは救急箱を手に取ったが、それでもまだ夜梟はやってこない。痺れを切らし、彼に告げる。
「今宵は見なかったことにしてあげます。怪我の手当てをしたら早くお帰りなさい、不審者さん」
アクシオだと気づいていないかのように装い、夜梟に言う。
これを聞いて、ようやく夜梟の足が動いた。おずおずと彼がこちらにやってくる。
「見ず知らずの者が相手でも、怪我の手当てをするのか?」
「どうでしょう。でも、剣を掴む力もないほど痛がっているように見えましたから」
「痛がってなど――」
夜梟はかっとなって反論しかけていたが、ヴィルエは無視して彼の左腕をぎゅっと掴む。その強さに彼は言いかけたものを飲み込むしかなかった。
外套をめくり、傷口を確かめる。鋭利な刃物で斬られたような傷だ。傷は深く、まだ血が滲んでいる。
だが気になったのはその傷だけではなかった。腕のあちこちに、古傷の跡が残っている。その数は多く、暗殺者だからという言葉では片付けられない。
(初めて、旦那様の身体を見たかもしれない)
腕だけではあるが、そのように傷だらけだとは知らなかった。ぞっとしながらも、その感情を押し殺して手当てを始める。
夜梟が俯いたまま言った。
「お前は、俺が怖くないのか?」
その問いかけにヴィルエは即答する。
「もちろん怖いわ。けれど、放っておくのは違うでしょう? ――消毒するので、沁みますよ。痛かったら袖を噛むなどして耐えてくださいね」
「は? 別に俺は……」
反論しようとした彼を無視し、消毒薬を含ませた綿で傷口を撫でる。
瞬間、彼は声にならぬ呻き声をあげ、俯いてしまった。
やはり痛かったのだろう。しかし情けない姿を見せたくないのか、歯を食いしばって耐えているのかもしれない。
「次はガーゼを当てて包帯を巻きますね。止血として強めに巻きますから。でも素人のやることですから、朝になったら医者に診ていただいた方がよろしいかと」
「なぜこんなことをする? 俺は、お前の屋敷に勝手に入った不審者で、こんな姿をしている。怪我なんて放っておけばいいだろう」
確かに、とヴィルエは心の中で頷いた。彼の言うことは正しい。
(……私は何をしているのかしらね)
彼に気づかれないよう、ひっそりと自嘲する。自分の行動がわからなくなる。
この格好からして、彼は『夜梟』として仕事を終えたばかりなのだ。彼の外套についているのはセラティスの血かもしれない。
セラティスが殺されてしまえば、オルナは悲しむ。妹が泣き伏せる姿を想像するだけで胸の奥が苦しくなる。
(間に合わなかった。だめだったのかもしれない。なのに、セラティスを殺したかもしれない人の手当てをしている。本当に、何をしているのかしら)
オルナとセラティス。二人を応援すると決めていたのに、何もできなかった。
不甲斐なさは心に積もり、ついに溢れていく。
(旦那様はどうして暗殺なんてするのかしら。怪我をしてまで人を殺めるなんて……本当にわからない)
目の奥が熱い。セラティスを守り切れなかった悔しさや彼に対する疑問で頭がいっぱいだ。
「……泣いている、のか?」
声がかかり、ヴィルエははっと我に返る。
巻いていた包帯を見やれば、ぽたぽたと沁みが出来ている。ヴィルエの後悔が涙となって彼の包帯に落ちていた。
それに気づいたヴィルエは手で涙を拭った。そして彼に微笑む。
「不審者さんには関係のないことです」
これ以上追及されないよう、ヴィルエは残っていた作業を速やかに進める。包帯の端を結び終えると急ぎ立ち上がった。
「これで終わりです。不審者さんの侵入は見ななかったことにしておきますからお帰りください」
ヴィルエが言うと、夜梟は何も言わず立ち上がり、足早に去っていった。玄関の扉が閉まった後は、何も聞こえなくなる。アクシオはヴィルエが起きていると知ったので、時間をずらして帰ってくるだろう。
(……ミゼレーの報告を待たなければ)
『夜梟』が動いたことは事実。この夜に、誰かが殺されている。
ヴィルエは部屋に戻ったが、彼の腕に触れた時の冷たさはなかなか消えてはくれなかった。
***
眠れぬ夜を過ごし、朝日が昇る頃。ようやくミゼレーが戻ってきた。
「すみません。戻るのが遅くなりました」
部屋にはヴィルエとミゼレーの二人。外にも他の者の気配はない。
どうなったのかがずっと気になり、眠ることさえ出来なかったのだ。焦らさず早く教えてほしいとヴィルエはミゼレーの腕を掴む。
「セラティス王子は無事です。不審者が侵入したとの話もありません」
それを知るなり、ヴィルエはへなへなとその場に座り込んだ。これまで気を張っていた反動のように全身の力が抜けてしまった。
「よかった……本当に、よかったわ……」
「はい。ご安心ください。それから別の話になりますが――面白い話を入手しました」
「面白い話? 一体何かしら」
「昨晩、とある暗殺者が殺されました」
ヴィルエが目を見開く。暗殺者という言葉に嫌な予感がする。昨晩見た『夜梟』の姿が脳裏に浮かんだ。
「どうやら殺された暗殺者というのがデール・クラウザーに雇われた暗殺者だそうです。ネルデリア領の酒場に立ち寄った際、その話を入手しました」
ネルデリア領はニーベルジュ領の隣にある。だが、領主であるネルデリア伯爵の評判は悪く、貧富の差が激しいと言われている。領地の外れにはスラム街があるとも聞いた。
「雇われたばかりなのに殺されるなんて。日頃から恨みを買っていたのかしら」
「いえ。別の理由だと思われます」
別の理由を考えてみるが思い当たらない。悩むヴィルエに、ミゼレーが答えを告げた。
「暗殺者は仕事の奪い合いをします。自分の方が優れていると示すために同業を殺すのだと。そして今回も、殺された暗殺者の遺体に『夜梟』のコインが置かれていたそうです」
ヴィルエは絶句していた。
アクシオが昨晩殺したのは、デール・クラウザーが雇った暗殺者だ。彼を殺した後、自らの力を誇示するかのようにコインを置いた。
(自分の方が確実にセラティスを殺せると……アピールをしている?)
これをデールが知れば、彼は『夜梟』に接触を試み、セラティス暗殺の依頼をしようと考えるだろう。なにせ彼の計画は、予定していた暗殺者が殺されてしまったことで頓挫しているのだ。
ミゼレーはアクシオの正体の知らない。そのため、ヴィルエの動揺を知らない。彼女は安堵したように柔らかな声で呟いた。
「こんな形でデールの計画が遮られるとは意外でしたね。ですが時間は得られました」
レインブル家や王家に連絡し、セラティス周辺の防備を固める時間は得られた。だが、安心できないのはアクシオのせいだ。
「……ヴィルエ様? 先ほどから様子が」
俯くヴィルエに気づいたらしく、ミゼレーがこちらを覗きこんでくる。それでもヴィルエの思考はぐちゃぐちゃで返事をするような余裕がない。
(旦那様の目的は何?)
彼に対する疑問はいくつもある。だが、直接問うことができない。それがもどかしく、苦しい。
(でも旦那様が『夜梟』ならば……これを逆手に取れるかもしれない)
デールが『夜梟』に仕事を依頼するとはっきりわかれば、ヴィルエはアクシオを監視する。今度は窓からの出入りなんて許すものか。
そして王家にも『夜梟』がセラティスを狙っていると報告できる。こちらも誰が依頼を受けた暗殺者なのかと捜さなくて済むのだ。
「ミゼレー。『夜梟』に依頼をする術を探ってもらえるかしら」
「え?」
ヴィルエの言葉に、ミゼレーは吃驚の声をあげた。
「デールは新しい暗殺者を捜す。そうなれば今回の件から、『夜梟』に依頼したいと考えるはずよ。だから私から紹介したいと思っているの」
「まさか『夜梟』を紹介するつもりですか?」
最強の暗殺者といわれている『夜梟』。彼に依頼をすればどうなるかわからない、とミゼレーは考えているのだろう。ヴィルエのお願いを飲み込めずにいるようだ。
『夜梟』への依頼をデールに勧め、ヴィルエはアクシオを監視する。今度は見逃したりなどしない。全力で彼を止めて見せる。
これが、セラティスを守るための最善の手段だ。




