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本能寺に開く扉は炎を上げて  作者: 瀬緒 遊
第二部:尾張から駿河へ
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22 宴のあとで

 菊見の宴を前日に終えた月の美しい晩、義元がその内庭をながめながら盃を手にしている。


 場所はその母尼御台(あまみだい)の居間。庭中の菊は昨日の晴れの舞台を無事に終えたあとの静けさに、かえってゆかしくさえざえと月に照らされて、小姓を一人従えただけの、三人きりのこの部屋までその香りを濃く届けていた。


「して、氏真の様子はどのような?」

 京女らしい柔らかな声で、しかし意識して身に付けた駿河の言葉で尼御台は話す。


「きつう叱ってはおいたが、どうにも……」


 そう言う義元に、尼御台の口元がきつく結ばれながら微笑みに似た曲線を描いた。


 この人がよく見せるこの顔は「『気に入らぬの笑み』が浮かんでいますぞよ、お気をつけなされ」と陰で侍女らが心づけ合う、尼御台の機嫌の悪さのしるしだった。太刀持ちの小姓菊王丸は目も動かさぬ構えで厳しく座って侍していたが、それを見逃しはしなかった。


 あれほど重ねて言い聞かせてあったのに、氏真うじまさは蹴鞠を披露しただけで席に姿を見せずに菊見の宴を終えてしまった。蹴鞠をして見せただけに、病とも言い訳できぬ始末の悪さであった。


「北条殿はいかにも冷ややかな様子であったし、武田の穴山などは意地の悪い薄笑いを浮かべておったわ」


 眉ひとつ動かさず、尼御台は落ち着いた手つきで義元に酒を注いだ。


 今は髪を下して寿桂尼じゅけいにと号するこの人は、もとは中御門なかみかど家から嫁いできた公家の娘だった。先代の氏親うじちかが存命のうちから分国法の作成に携わり、夫の病死とそれに続いた二人の息子の不審死にも屈せず、干戈かんかを交えた家督争いを制して義元を当主に押し上げた女傑であった。


 氏親との間に男女何人もの子を産み育てたこの人は今、孫は育て損ねたと苦い反省を噛んでいた。


 この傍若無人な不行儀に表された今川の嫡男のだらしなさと放埒は、宴の客らが土産話に持ち帰り、今頃はその主人に聞かせているだろう。雪斎亡き後、跡継ぎがこれでは今川の土台はそれほど固くはなさそうな、と。


 ことり、と静かに銚子を置くと、きっぱりとした口調で言った。


「氏真はもうよい。俊英の子が俊英であることはまれじゃが、たいていその孫あたりにまた逸材が生まれるものじゃ。お屋形(今川一族の間では義元はこう呼ばれた)はまだお若い。氏真に五、六人の子ができたらそのうち一人二人は立派に今川を継ぐ素質を持つ者がいよう。その間にお屋形が今川の礎石を固めおくことじゃ」


 そう氏真を切り捨てた尼御台に、母というよりは同志としての信頼を強くおいている義元も頷いた。


「弱さは弱さとして認めねばならぬ。紙に鉄の仕事はさせられぬが、紙には紙の使いようがある。氏真には、今川の旗であってくれればそれで良いとしよう。政治むきも、戦の指揮もからきしだが、行儀作法や雅の道には通じておる。上洛の暁には、公卿宮人らの前で恥ずかしゅうない旗であってくれるであろう」


 上洛。

 義元からその言葉が出て、尼御台は目に強い光を帯びさせた。


 今や有名無実となった室町幕府の政権を奪おうと京都進出を思惑している戦国大名は数多いが、この駿河今川家は最有力のひとつだった。

 戦国大名としての勢力実力のみならず、「御所(将軍)が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」とうたわれる名門でもあるため、その誇りの高さも類なく、我ならではの自負があった。

 そしてなによりそれは、亡き氏親の形見の夢であり、幾人もの近しい者を犠牲にしても追ってきた、尼御台の、義元の夢であった。


「武田と北条と結んでいる今この時が、またとない好機……。またとない好機ぞ」

 尼御台は力を入れて、二度繰り返して言った。 


 京都上洛に向けての道筋にあたる三河(今の愛知東部)は、すでに松平家を帰順させて支配下に置いた。来年はいよいよその先にある尾張(愛知西部)の攻略にあたるが、尾張の織田家などは脅威とも強敵とも思っていない。むしろ懸念は背後、つまり甲斐(山梨)の武田と相模(神奈川)の北条にあった。


 駿河、甲斐、相模を統べるこの三国がそれぞれの利害のために同盟したのは天文二十三(1554)年のこと。駿河の黒衣の宰相と畏怖された軍師、雪斎がその死の前年にまとめた、いわば最後の偉大な遺産だった。


 これにより、北条は甲斐からの侵攻の脅威を絶つことができ、甲斐は信玄公の宿敵上杉輝虎(謙信)の守る越後(新潟)の攻略に集中することができるようになった。そしてこの同盟で最も利得が大きかったと言われる今川氏はこれら二国からの侵略の抑止により、上洛戦に集中することが可能となった。


 しかしこの同盟の締結ももう五年も前のことだった。互いに娘を送りあって結んだ婚姻関係はあるものの、今の今川には雪斎はなく、氏真は不甲斐なく、尼御台はもう七十を超す老齢だ。

 これではこの戦乱の世、いつ侮られて付け込まれるかわからない。武田や北条とやりあっても負ける気はしないが、これほど好条件の同盟を再度提携できるとも思われなかった。そうすると上洛戦に集中できなくなる。急がねばならぬ。


 上洛を、尾張侵攻を、急がねばならぬ。



作者注:尾張、三河などの戦国時代当時の領国を、今の地名でどのあたりにあたるか書き加えましたが、位置関係と距離をつかむ参考程度にご理解ください。

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