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本能寺に開く扉は炎を上げて  作者: 瀬緒 遊
第一部:尾張
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15 大志の人

「竹千代は我慢強いのう。」

「なんの。」


 織田領にある、熱田羽城の離れの庭だった。人質の幽閉所ではあるのに時折子供の笑い声が上がっている。


 三河から送られてきた数人の人質は、いずれもまだ幼児と言って良い年頃の子らだった。ここを訪れた吉法師が、竹千代と呼んだ子の手を取っている。


「木刀を振ってできた手の豆が潰れたのに稽古を休まなんだのじゃな、こんなに膿んで。我慢するばかりが偉いのではないぞ。無理せず休むが早い快気になるのじゃ。その判断も大将には必要ぞ。」


 竹千代はにこりと笑って答えた。

「だって竹千代はまだ木刀を握れました。握れて振れるうちは振りまする。」


 吉法師は白い歯を見せて笑い、もう一度、竹千代は我慢強いと言った。そばに控えていた子で、ひとつふたつ竹千代より年かさかと思われるくらいのが口を出した。


「我ら、三河を出るときによくよく言い聞かせられてござります。我慢と辛抱、これだけが支えぞと。我慢はできぬと思って良いものでない、せねば道はないものと心得よ、と。」


 自分たち近習は主人の手の怪我も気づかず無理させていたのではない、家訓のものだ、ということを言いたかったのだろう。吉法師は頷いた。数え年六歳、満で言えば五歳足らずの嫡男を人質に出さねばならなかった松平家では、それは自分たちの骨にも刻んだ覚悟でもあっただろうと思われた。


 三河の松平家は尾張の新興勢力織田家と、駿河の大国今川家との間に挟まれて、いずれかの庇護下に入る必要があった。当主広忠は今川に寄ることを決断し、その息子竹千代が人質として駿河へ送られることとなったのだが、その道中で味方の裏切りに遭い、逆に織田領へ運ばれてしまったためにこの熱田にあるのだった。


 吉法師が持ってきた蜜柑の一袋を渡すと、竹千代は近侍の子らに分けてから自分でも一つとって皮をむいた。と、きゅっと眉間にしわを寄せた。蜜柑の汁が手の怪我に染みたらしい。吉法師はそれを見て取ったが何も言わず、自分でもひとつ手に取って食べ始めた。


「竹千代、おまえの我慢は何のための我慢じゃ。人質として殺されぬための我慢か。親に言われたからする我慢か。」


 きょとんとした顔をして竹千代が少年を見た。

「竹千代は大将でござる。むごい乱世を正すよう、寅年寅の日寅の刻に、真達羅大将の生まれ変わりに生まれたものぞと母者が言うてござった。だから竹千代は我慢もするし、稽古もするし、勉学もするのじゃ。」


 吉法師は幼児に対しているとは見えない真剣な目をして竹千代を見つめた。

「むごい乱世を正すための忍耐か。それならばできる忍耐でもあろう。」

 立ち上がり、膝の上に散った蜜柑の皮を払い落とした。


「この吉法師の覚悟はちと違う。吉法師は、どれほど人を殺そうと乱世を鎮めてやろうと覚悟した。この乱れきった世の中、優しゅうしてては時間がかかるし、時間がかかれば悪いものはその間にまた蔓延ろう。一気呵成に、誰であろうと、どれだけの人であろうと殺さねばならぬ時は殺す。吉法師はその鬼になってやろうと覚悟した。」


 竹千代はさもわかったようにうなずき、これが自分を生かすも殺すも一存の織田家の御曹司であることなどまるで関わらぬように言った。


「竹千代に勉学を教えてくれた和尚様が言うてござった。仏さまにもいろいろござると。病を治してくださる薬師如来、繁栄と五穀豊穣を顕す吉祥天、悪人を喰らい敵を破る夜叉明王と、ほかにもたくさんじゃ。吉法師殿は殺す大将、竹千代は我慢の大将なのじゃ。」


 吉法師と名乗った少年の口元が、会心に微笑んだ。この童はなんと鋭くまっすぐに真意を把握するのだろう。親兄弟であれ近習であれ、言葉を尽くしてみてもなかなかこの吉法師の胸中を汲んではくれぬというのに。


 吉法師は竹千代の痛む手を両手で優しく、しかし力強く挟んでまっすぐ目をみつめた。 


「忘れまいぞ竹千代。我らでこの乱世を正すのじゃぞ。」


 竹千代は、まるで明日は山に遊びに行こうと言われたみたいににっこりと笑って頷いた。


 と、その時、無遠慮な笑い声が響いた。とたんにけわしく眉を寄せて吉法師が怒鳴った。

 「犬!なにをしておる!」


(続きます!)


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