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本能寺に開く扉は炎を上げて  作者: 瀬緒 遊
第一部:尾張
13/51

12 烏帽子の親に

 織田弾正忠信秀。その名を聞いても浩之には何事をした人物なのかわからなかった。


 和尚がかいつまんで説明したところによると、織田家は現在支族が団結しておらず、吉法師の父・信秀の織田弾正忠家と、信友と言う人が当主の清洲織田家が対立しているということだった。


「和尚はどちらを応援しているのですか?」

「どちらも応援などせんわ。」

「中立ということですか?」


 そう訊く浩之に、和尚は簡単に言った。

「強い方に味方する。どちらが強いかまだ見極めがつかん。」


 浩之の顔に驚きと、かすかに非難の色が現れたのを、和尚は鋭く見てとった。

「お主はまだ戦国の世と言うものを見ておらぬ。その悲惨をな。今はまず家中をまとめる必要がある。しかも早急にじゃ。勝てそうにない方に味方してやれる余裕はこっちにもないわ。」


 まだわからぬような顔をしている浩之に和尚は言った。

「正義の通らぬ世を知らぬお人よな、おぬしは。先の世はずいぶんと平和であったと見える。しかし今この世ではあちこちの小競り合いを統べて織田一家を、そして果てには一国をまとめ上げてくれる者が正義じゃ。生半可な仕事ではない。その覚悟のある者、それができる力のある者……。お主の言う信長とかいう人物が待たれるの。」


 そうした会話を交わしてほどなく着いた弾正信秀は十人ほどの供を連れてきたが、和尚の居間まで伺候したのは家老の一人、平手政秀だけだった。浩之が湯茶を出した。


「この者は?」

 鋭く平手が和尚に訊いた。


 吉法師つきの家老でありその傅役も務める平手は、政武に渡って織田弾正忠家の柱石の一人だった。宮廷人との交流や和歌や茶道にも通じている文化人との評価を広く受けているが、中には、それは外交に役立たせるために身に付けただけの韜晦だという者もいる、と言った人物だった。


「絹問屋の倅じゃ。」

 その平手に、和尚は簡単にこたえた。


「はやり病で息子と嫁とを一度に亡くして、本人もひどく気落ちして病みついてしもうたのを親御が心配しての。仏の廻りでゆるゆる暮らせば心も癒えるかも知れんと、世話を頼まれたのじゃ。」


 それは痛ましい、と口では言いながら、平手は鋭く浩之を観察しているようだった。そして浩之が運んだ茶を、

「わしは良い。そなたが喫するがよい。」

 と、浩之にすすめた。


 この時代の茶はなかなか高価で萬松寺でも大事な客にしか出さない。浩之は驚き恐縮したが、和尚がそっけなく言いつけた。

「毒見せよと申されておる。いただけ。」


 また驚いた顔をする浩之を、その場の三人は直接は見ない。その底冷たさに少し狼狽しながらも、ではいただきます、と浩之は小さな茶碗の茶を一息で飲み干した。苦さの中にかすかな甘さと高い香りを持つ上等の茶だった。


「ご馳走様でした。」


 そうして空の茶碗を持って浩之が下がっていった後で平手が言った。

「失礼いたした。」


 怪しげな者などをこの場に使うと思ってか、という気色をありありと見せる和尚に、平手は重ねて詫びた。

「確かに細作の類ではないとは見たが、あの者は何か少し変わったところがあるように見えました。問屋の倅と言うたが商人のようにも見えず……いえ、失礼いたした。」


「ところで今日のお話と言うのは?」

 そう端的に切り出した和尚に、信秀もまた端的に答えた。

「吉法師に嫁をとる話がまとまった。」


 ほほう、と和尚はわざと遠く庭に目を向け、信秀は自分の前に置かれたままの茶を一口すすった。

「斎藤道三の娘をもらう。」


 これは和尚をぴくりと緊張させるだけのことはあった

「なに、正妻の子か?」

「もちろんじゃ、正妻明智氏の娘じゃ。」


(続きます!)

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