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本能寺に開く扉は炎を上げて  作者: 瀬緒 遊
第一部:尾張
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11 式神の仙人

「今思えば、あの時に川を泳いで渡ってでも行けば良かったのですが。」

 二人の前で、浩之はそれを歌って見せた。 


「ということは、ついそこらへんに、少なくてももう一人、先の世から来た人間がおるということじゃな。」

 考え深げに眉を寄せて、和尚が言った。


 実際に浩之の声が届いたか、紙飛行機が無事に拾われたかも不確かだった。拾っていたとしても、もしもすでに世帯でも持って、この時代の人として生きる決心をしている人物であればわざわざ浩之に会いに来ようと思わないかもしれない。 


「よし、それではわしは、その辺一帯で、親や里がはっきりしない女子がいるか探してみよう。女子に間違いないのじゃな?」


 そう政綱に確認されて、浩之ははたと考え、思い出そうと努力した。

 「……はい、間違いないと思います。男性とか子供ではないと思います。それからその声の人は、きちんと音楽というか声楽と言うか、歌について訓練を受けたことがあるんじゃないかと思います。」


 それはそうと……、と和尚は眉を寄せて考えた。

 戦時下にある今、いずれの城主も細作(間者)には神経をとがらせており、少しでも怪しげな様子の者はよくてお取り調べに足止め、疑いが晴れなければお仕置き、つまり処刑されてしまう。浩之のおかしなふるまいが村人の口に広まってしまっているうえは、遅かれ早かれ探索の手が伸びて来るだろう。


 万一の場合は、和尚のつてのある山寺にでも浩之を移動させねばならないが、最善策はもっとも有力な武将、つまり天下を統一するという織田の英雄・信長という人物に渡りをつけて浩之の身柄の保護を求めることだ。


 しかし浩之がとても驚いたことに、和尚も政綱も信長という名は聞いたこともないという。和尚が分家の末まで調べてみたが、これまでの織田家には信長という諱の人物は確認できなかった。


「しかしなぜ、その信長と言う人物がいないのか……。今頃の時節には居るはずのお方なのじゃろう?もしかして、信長と言うは晩年に改めでもしたお名前なのでは?」


 そう政綱に言われて突然、はっと驚いたような顔をして浩之が口を開いた。

「あの、もしかして、徳川……、いえ、松平とかいう士族はいますか?」


 改名と言われて、松平から徳川と改姓した家康のことが浩之の頭に浮かんだのだ。信長とは年齢が近かったはずで、関ヶ原の戦いは一六〇〇年、秀吉亡きその頃の家康はそれなりの年配だったはず。ならば家康もここにいるはずだ。


 和尚が用心深げに眉を寄せて口を開かずにいる横で、政綱があっさりと言った。

「おお、三河の松平なら、その嫡男がつい先ごろ人質に送られてきてあるわ。熱田にお預けとなっているが、どういうわけか吉法師殿がよく訪れておるそうな。」


 急に、パンパンとせわしげに和尚が手を叩いた。

「無駄口を叩いている暇はない。今日は弾正忠が訪れてくることになっておる、もう到着しても良い頃じゃ。客を待たせてはいかぬで、今日はこれまでじゃ。」


 迅速な報せを届けてくれた政綱に礼を言い、急ぎ足で客殿に戻る和尚に数歩遅れて歩く浩之がおずおずとたずねた。

「……和尚様、ぼくはなにか余計なことを言いましたか?」


 和尚はちらりを鋭い目線をくれてぶっきらぼうに言った。

「何度も言うが、おぬしはできるだけ口を開かぬ方が良い。松平が何者で何事をこれから為すのかなど、わしらは知ってはならぬのだろうが。違うか?」


 はい、とうなだれる浩之に、和尚はそれでもいくぶん口調を和らげた。


「何事も手さぐりしてゆくしかあるまい。ひとつひとつを謙虚にな。とりあえずは今日の客も何事か持ち込んでくるのであろうが、どんな話であれできるだけ丸く納めておきたいところじゃ。」


(続きます〜)

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