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修理屋の少女は、育ててくれた旧式ロボットを直しに迷いの森を渡る  作者: 歯車
森渡り

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14/14

初霜

 出発の朝、アニカは部品取り場の屋根の下で紙を広げた。


 見積もりの紙の裏だった。


 門から一本目、二本目、三本目、四本目、鍛冶街。曲がりくねった線が紙の端から端まで伸びていた。その線の脇に短い線が二本、横へ出ていた。どちらの先にも?と書いてあった。


 アニカは鍛冶街の丸から門の丸まで、指で一本まっすぐになぞった。


 指は二つの?の近くを通った。


「バレル。これ見て」


 バレルの目の明かりが紙の上をなぞった。


「行きの道は私の見回りの順路でした。旅の道ではありません。曲がっています。四本目の柱は宿場を通るために、さらに北へ寄っています」

「?の柱をつないだら」

「柱は同じ四本です。道は、まっすぐになります」

「何日かかるの」

「三日です。荷隊の道より二日早く着きます」

「なんで荷隊は、こっちを通らないの」

「?の柱には柱番がいません。井戸も古いはずです。大勢の荷隊が水を汲めばすぐに尽きます。荷車は根も越えられません」


 目の明かりが、二つの?の上で止まった。


「それに、存在を知らないだけかもしれません。私の記録にも、ありませんでしたので。……私たち二人なら、通れます」


 バレルは少し黙った。


「初霜が、近いです」


 アニカは紙をたたんだ。


「じゃあ、こっちにするよ」




 目方のおじさんは部品取り場の屋根の下で見送った。


 アニカは残りのお金を差し出した。タンクの目方の分だった。おじさんは半分だけ取った。


「半分は、送りの手伝い賃だ。俺が払う側なんだがな」

「どういうこと?」

「分からなくていい」


 出がけに、アニカは屋根のいちばん奥を見た。ブンドウの胴の隣に、ひびの入ったバレルの古いタンクが置いてあった。


「あれ、溶かすの?」

「溶かせりゃな。どっちも昔の鉄だから、冬の炉でも溶けない。溶けないもんは、置いとくしかない」


 おじさんはそっぽを向いて言った。それから、空になった徳利に鍛冶街の酒を詰めてくれた。


「迎えの酒だ。ちょっと辛いぞ」

「宿場の人に、よろしく言っといて。帰りは寄れないから」

「俺から言っとく」


 おじさんはどの道で帰るのかは聞かなかった。




 鍛冶街の門で、アニカはラジオを耳に当てた。


 ゆっくり回した。南西のほうで、細い唸りが一本鳴っていた。行きに一晩転がりこんだ、二つ目の?の唸りだった。四本目の宿場に寄らなくても、まっすぐそこへ行ける。




 鍛冶街を出て半日で、前の唸りが太くなった。


 行きに泊まった、二つ目の?だった。


 柱の広場は草が伸び放題だった。井戸の石組みは苔だらけで、桶を下ろすと底の水は少し濁っていた。布で二度こして水袋に詰めた。


 バレルの給水口に足した。


「六リットルです」

「七じゃないの?」

「漏れない分、水が残ります」


 アニカは水袋の残りを量った。行きなら、この時点で半分になっていた。今はまだ八分目あった。


 アニカは紙を出して、鍛冶街からこの丸へ、まっすぐな線を引いた。「ここに来れば、迷わない」と書いた字が、丸の横にあった。


 その夜は、二つ目の?の柱の広場で越した。


 翌朝、アンテナを回すと、南西の奥で太い唸りが鳴った。三本目だった。唸りは思っていたよりずっと近くで鳴っていた。アニカは箱を耳に当てたまま、まっすぐ歩き出した。




 二日目の昼、三本目の柱の広場に入った。


 行きと同じ黒い柱だった。井戸は根に割られたままだった。


 アニカは柱の根元を見た。草の生えた、何もない地面だった。


 バレルは止まらなかった。柱のそばを、いつもの速さで通り過ぎた。


 アニカは少しだけ足を止めた。


 ポケットから紙を出して、三本目の丸を見た。


 行きに何か書こうとして、書かなかったところだった。


 鉛筆で、丸の外側にもう一つ小さな丸を描いた。二重の丸になった。


 その横に書いた。


 井戸、直す。


 紙をしまって、バレルを追いかけた。




 二日目の夕方、一つ目の?の柱に着いた。


 ここの井戸は澄んでいた。


 その夜は空がよく晴れていた。星が多かった。ハッチの中の座の枠で、アニカは毛布を首まで引き上げた。背中の鉄が冷たかった。


 背中の鉄の向こうで、バレルの体の回る音がしていた。


 ぽたりとは、もう鳴らなかった。




 三日目の朝、アニカは寒さで目が覚めた。


 ハッチを開けると、広場の中の草が白かった。


 一本一本の葉の縁に、細かい白いものがついていた。触ると指の熱で溶けた。


 息が白かった。


「初霜です」


 バレルが言った。


「平年より、十五日早いです」


 アニカは白い草の上に下りた。


 継いだ靴の底から、冷たさが上がってきた。


 バレルの胴の下の地面を見た。乾いていた。白い霜はバレルの足もとにも、同じように降りていた。


「間に合ったね」

「間に合いました」


 歩き出そうとしたとき、バレルの左の膝が鳴った。


 ぎ、と鈍い音だった。脚は曲がったまま、少しのあいだ伸びなかった。


「冷えると、こうなります」


 バレルはそれだけ言った。二度目で、脚は伸びた。


 アニカは工具袋から油差しを出した。膝の継ぎ目に三滴差した。


 バレルは何も言わなかった。アニカも何も言わなかった。




 昼すぎに一本目の柱を過ぎた。


 夕方、森の木々のあいだに枯れた草の地面が見えた。


 境目だった。


 アニカは森の最後の木の横を抜けて、境目の線をまたいだ。


「境界線から三歩までの規定を」


 バレルが言った。


「再開します」


 街のほうへ一歩。


 二歩。


 三歩。


 四歩目を踏んだ。


 水車の音がした。


 誰かが戸を開ける音も。犬の声も。門のほうで、誰かがアニカの名前を呼んでいた。キノコの声だった。




 森の門では、門番が閂を外して待っていた。


「帰ったか」

「帰ったよ」

「……早かったな」


 門をくぐると、門番はバレルの足もとを見た。乾いた石畳だった。


 それから、門の内側に立っているキノコをあごで示した。


「キノコが、毎日ここまで来とった」


 門番は閂を掛け直した。




「おかえり!」


 キノコが駆け寄ってきて、アニカの両肩をつかんだ。笠の縁が、また頭の上にかぶさった。


 バレルの目の明かりが、キノコの手もとに向いた。


「申し出が、ありませんでした」

「おかえりに申し出がいるかよ」

「バレルも! ちゃんと帰ってきた!」

「約束だから」

「毎日、ここまで来てたって」

「たまたま通り道だっただけ。……毎日、たまたま」


 キノコはそれから坂の上まで、アニカの横でずっとしゃべっていた。市場の芋の値が上がったこと。おかみさんが三回、工房の戸を見に行ったこと。アニカは半分くらい聞いていた。




 世話役のおかみさんに徳利を返した。


 おかみさんは徳利を振って、中で酒が鳴るのを聞いた。


「空で返ってくると思ってたよ」

「向こうの人が詰めてくれたの。迎えの酒だって。ちょっと辛いぞって」


 おかみさんはしばらく徳利を見ていた。


「礼の一杯は、注げたのかい」

「……うん。礼じゃなくて、送りの一杯になったけど」


 おかみさんはそれ以上は聞かなかった。


 キノコの家へご飯を食べに行くのは、三日後ということになった。




 工房は冷えきっていた。作業台にうっすら埃が積もっていた。


 釘には何も刺さっていなかった。


 見積もりの紙は、ずっとポケットの中にあった。


 アニカは紙を出して広げた。


 数字の面ではなく地図の面を表にして、釘に刺した。


 曲がった線と、まっすぐな線。二つの?の横の丸。三本目の、二重の丸。




 日が暮れてから、アニカは炉に火を入れた。


「今夜は、早く休んでください」とバレルが言った。「旅のあいだ、睡眠が規定値を下回り続けました」

「……今夜は、言うこと聞いてあげる」


 アニカは炉の前に毛布を敷いて、横になった。火のはぜる音と、バレルの体の中で何かが回る音を聞いているうちに、眠った。




 目を覚ますと、毛布の脇に布の包みが置いてあった。


 包みを開けると、底に鉄の鋲を打った革の靴が一足、きちんと揃えて入っていた。


 アニカは履いてみた。


 ぴったりだった。


「いつ測ったの」

「十六年、毎日見ていますので」


 バレルは炉の火を見ていた。


「鍛冶街で、頼んでおきました」




 その朝、アニカは新しい靴で坂を下りた。


 石畳を踏むたびに鋲が鳴った。かつ、かつ、と。


 その横でバレルの鉄の脚が、かこん、かこん、と鳴った。


 二つの足音が、並んで坂を下りていった。


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