26話 うまくいかない日
今日はソフィアさんが魔法治療師として、指導をしてくれる日。男爵の診察した結果とそれに基づいて行った治療と経過をまとめる。薬の調合についても細かくメモに残しているものを見てもらえるように用意する。
「ソフィアさんおはようございます。寒い中ありがとうございます」
「いいえお気になさらず。ノエル様にご指導させていただくことも仕事のうちですから」
相変わらず表情はピクリとも変えないが、寒さで鼻は赤くなっていた。
「さて、早速ですが患者のデータを渡してください。そしてあなたなりの分析と見解を聞きます」
「はい」
ソフィアさんと男爵の体調のことについて話しを始める。そこから魔法治療師として知見を広めるためにさまざまな症状についても教わっている。
「あの、男爵の体調が一向に良くならないんです。なにかもっと、別の方法を試してみたら……薬を強い作用のものにするとか、魔法での治療をもっと試みるとか」
そこまで言うと、僅かにソフィアさんの眉間に皺が寄ったのがわかった。
「ノエル様」
そして、厳しい声で呼ばれる。
「今ある患者の状態から目を逸らし、治療師が先走って結果を急ぐのは感心しません」
「…………」
「あなたが男爵の治療を試みた、その日を思い出してください。本当になんの変化もありませんでしたか?患者の声や表情、肌の色、呼吸、魔力状態……それらすべてを正確に覚えていますか?」
「それ、は……」
もちろんわかっている。ずっと丁寧に診察を続けてきた。勉強を始めた当初より今の方がずっと見えていることも多い。
僕はただ、男爵が一日でも早く元気になってくれたらと、クラリスさんが心から安心して笑ってもらえる日がきたらいいと、そう思っただけだったのに。
「……あなたの気が急ぐのも理解はできます。しかし治療師として患者を診るのであれば、あなた自身の事情とは切り離して考えてください。それが、魔法治療師としての覚悟と責任です」
ソフィアさんは何も間違えたことは言っていない。魔法治療師を志した僕の師匠として当然のことを、まっすぐ突きつけているだけだ。
ただ僕の考えが甘かっただけ。それを指摘してくれている。
「私も男爵の回復を心から祈っています。あなたの努力が報われることも。今までの努力も成長ももちろん知っています。………今日はここまでにしましょうか」
ソフィアさんは荷物をまとめて帰っていく。その後も動けない僕のところに、ユリウス兄様が顔を出した。
「ノエル!久しぶりだな。ソフィアから今日は終わったって聞いてさ」
遠征から無事に戻った兄様はいつもと変わらない顔で話している。
「勉強ばっかも疲れるだろ?たまには気分転換しようぜ」
そして訓練用の剣を二本取り出してニヤッと笑った。
中庭に出てユリウス兄様と打ち合いをする。以前までより剣が重く感じた。ここだというところで剣を振れず、踏み込みが一歩遅れる。
剣がぶつかるたび、少しずつ違和感が確信へと変わった。
(僕、弱くなってる……)
一通り打ち合いが終わるとユリウス兄様は息ひとつ乱さずに笑っている。
「ノエルは勉強頑張ってるんだな。応援してるぞ。早く男爵も元気になるといいな!」
きっと僕を応援する気持ちで何気なく発した言葉。悪気があったわけじゃない。
でも、先ほどのソフィアさんの言葉が頭に響く。
「……何も」
それから、この中庭でユリウス兄様と試合をしたクラリスさんの表情が脳裏に蘇る。
「ん?どうした?」
「……何も知らないで!勝手なことばかり言わないでくださいっ!」
やめろ、違う。ユリウス兄様はそんなつもりじゃなかった。僕の受け取り方が悪いんだ。
そう思っているのに、口から出た言葉はもう取り戻せなかった。
ユリウス兄様は「疲れてたのに悪いな!」と八つ当たりした僕を責めもせずに帰っていった。
情けない。不甲斐ない。みっともない。
どんどん自己嫌悪が胸に広がっていく。もう誰にも会いたくなくて自室へ向かっているところで、エレナさんとすれ違った。
「あら、ノエルさん?どうしたの?」
よく気がつく人だ。僕の様子がいつもと違うなんて、一目で気がついただろう。
「……いえ、なんでも」
でも胸の内を素直に話せる気がしなくて、早くこの場を切り上げたくて冷たい声が出る。
「そう?無理しないでね。毎日頑張ってると疲れちゃうから、たまにはゆっくりしてもいいんじゃないかしら」
「……放っておいてください」
ますます冷たい声が出てしまう。僕が悪いのに、これじゃいけないのに。
「えっ……」
エレナさんも言葉を失ったまま固まっている。もう僕一人ではどうしようにもなくて、泣き出してしまいそうなところへ別の声が聞こえてきた。
「ノエル。今のは良くないね?」
アレクシス兄様だ。非難するような口調ではないが、咎められたことはわかる。
「すみませんでした」
ここまでしてもらって、ようやく素直に頭を下げられる。
でも、これ以上話していたら八つ当たりを繰り返してしまいそうで「失礼します」と、そう言い残して逃げるように自室へ急いだ。
自室の扉を固く閉ざし、そのまま床に座り込む。
自己嫌悪で心が潰れそうだった。




