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第①章:春の退屈 (1)

『俺の人生は、退屈だけで出来ているわけじゃない。ちゃんと“主役”としての重みがある。』


私立白樺高等学校に通う高校1年生・荷川取慧璃にかわとり・さとり

どこにでもいる平凡な日常を送る一方で、胸の奥で「自分は特別な存在なのではないか」という歪んだプライドを抱く15歳の少年。


※第一話(第①章)はストーリーの区切りと読みやすさを考慮し、【全3部】に分割して一挙に公開しております!

まずはサトリという少年の、少し面倒でリアルな日常からお楽しみください。

 漫画とかアニメとかで、ある日いきなり世界がひっくり返る話ってあるだろ。

 昨日までただの普通の奴だった主人公が、突然「お前には特別な力がある」とか言われて、よく分からない集団に連れていかれて、でっかい敵と戦って、気づいたら世界の中心みたいな顔をするやつ。

 正直、そういうのは嫌いじゃない。むしろ、ちょっと羨ましい。


 だって、そういう話の中の世界って、少なくとも退屈じゃないから。

 何かしら大事件が起きるし、何かしら意味深なセリフは飛び交うし、主人公は「選ばれた存在」みたいな顔をしている。

 現実よりずっと分かりやすい。

 少なくとも、何も起こらないまま一日が終わるよりはずっとマシだ。


 ――まあ、それは、何も知らない連中の感想だ。


 俺は違う。

 俺の人生は、別にそこまで退屈じゃない。

 いや、正確に言えば「退屈だけで出来ている」わけじゃない。

 ちゃんと面倒なこともあるし、ちょっとだけ気に入らない奴もいるし、たまに自分でも「うわ、今の俺、だいぶ嫌なこと考えてるな」と思う瞬間だってある。


 だからこそ、俺は分かっている。

 俺の人生には、ちゃんと“主役”としての重みがある。

 ……少なくとも、俺の中では。


 そんなわけで、自己紹介をしておこう。

 俺の名前は――荷川取慧璃。

 この春から、私立白樺高等学校の一年生。

 つまり、ついに高校生ってやつだ。

 まあ、特別うれしいわけでもないけど。中学が終わって、高校が始まっただけ。

 ただそれだけの話だ。


 四月。

 新年度。

 春。

 世間は妙に浮かれているけど、上越の朝は相変わらず少し寒い。

 まだ冬のしぶとさが道路の端っこに残っていて、空はなんとなく白っぽい。

 新潟って、ほんとこういうところが地味なんだよな。

 別に嫌いじゃない。むしろ、このぼんやりした感じは落ち着く。

 ただ、落ち着くのと楽しいのは別だ。


 家から学校までの道も、見慣れたものばかりだ。

 駅、コンビニ、住宅街、やたら静かなバス通り。

 観光地みたいな派手さはない。

 小さい頃、親に連れられて竹田城に行ったことがあったけど、ああいう場所の方がまだ物語っぽかった。

 あのときは本気で思っていた。

 城には秘密の通路があるんじゃないかって。

 俺だけが入れる、隠された場所があるんじゃないかって。


 ……まあ、結局そんなものはなかったけど。

 でも、ああいう感覚は嫌いじゃない。

 世界のどこかに、まだ知らない何かがあるかもしれないっていう、あの感じ。

 そういうのが、たぶん“物語”ってやつなんだと思う。


 で、今日がその始まりの日だ。

 少なくとも、俺の中では。


 私立白樺高等学校。

 ごく普通の私立校。

 少しだけ綺麗で、少しだけ閉塞感があって、少しだけ「ちゃんとしてます」みたいな顔をした学校。

 俺はその一年一組――1-D。

 四階の教室。

 窓際ではない。どちらかといえば微妙に中途半端な位置。

 こういうの、席替えで一番どうでもいい場所なんだよな。

 前すぎると真面目ぶりしないといけないし、後ろすぎると寝るやつが多い。

 で、俺はというと、たまたまその後ろ寄りの角に座らされている。


 ……いや、座らされている、は少し違うか。

 まあ、今はここでいい。

 別に文句を言うほどのことでもない。

 俺はそういう細かいことにギャアギャア言うタイプじゃない。

 たぶん。

 たぶん、だけど。


 新しいクラスのざわつきは、朝のうちだけちょっと騒がしい。

 自己紹介が終わって、担任がどうでもいい説明をして、教科書が配られて、クラスメイト同士がまだ「誰だっけ」みたいな顔をしている。

 その空気が俺は嫌いじゃない。

 いや、正確には好きとか嫌いとかじゃない。

 ただ、みんなが「新しい生活」とかいう言葉に少しだけ浮ついているのを見ると、こいつらも結局は普通なんだなって思う。

 そう思うと、ちょっと安心する。


 ……で、安心したら眠くなった。

 それだけの話だ。


 気づいたら、俺は机に突っ伏していた。

 いや、別に寝るつもりだったわけじゃない。

 少しだけ目を閉じただけだ。

 ほんの少し。

 春の朝の空気って、妙に眠気を誘うから困る。


 「おい、荷川取。寝るなら帰ってからにしろよ」


 耳元ではっきり声がして、俺は渋々目を開けた。

 視界の端に、見慣れた顔がある。

 板柿凛成。

 俺の、まあ、数少ない“話す相手”のひとりだ。

 同じように春から1-Dになったやつで、わりと口うるさい。

 悪い奴じゃないんだけど、妙に正論を言ってくるタイプで、正直ちょっと面倒くさい。


 「……うるさいな」

 「お前が寝てたからだろ」

 「寝てない。ちょっと目を閉じてただけ」

 「それを寝るって言うんだよ」


 こいつ、こういう時だけやけに元気なんだよな。

 俺は内心でため息をついた。

 でも、そこまで悪い気分でもない。

 少なくとも、誰かに話しかけられているうちは、まだ自分がこの教室に存在している感じがする。

 そういうのを認めるのはちょっと癪だけど。


 凛成は適当に前の席のことだの、今日の予定だの、先生がどうのこうのだの喋っていた。

 正直、半分以上は聞いていない。

 俺の視線は自然と窓の方へ逃げていた。


 窓の外には、Niigataの街が見える。

 四階から見る景色っていうのは、別に感動するほどじゃない。

 住宅地、道路、校舎、少し遠くの建物。

 どれも大きくもなく、小さくもなく、ただそこにある。

 派手さはない。

 でも、逆にそれが普通で、妙に落ち着く。


 ……ただ、こういう景色を見ていると、たまに思う。

 こんなふうに、誰もが何かを抱えながらも、平然と一日を始めていくんだなって。

 見えているのは教室の四十人分の顔だけで、実際のところ、みんなもっと複雑なはずなのに。


 それなのに、俺はたぶん、そのことをあまり理解していない。

 いや、理解した気になっているだけかもしれない。

 みんなそれぞれ事情がある。

 みんなそれぞれの人生がある。

 そんなの、当たり前だ。

 ……当たり前なんだけど、どうにも実感が薄い。


 だって俺は、今この瞬間も思ってしまうからだ。

 ――この教室のどこかで、俺だけがまだ“何か”を待っているんじゃないかって。


 特別な才能とか。

 急に始まる運命とか。

 意味のある事件とか。

 そういうものを、どこかで。


 まあ、別に今すぐ来なくてもいい。

 でも、そろそろ始まってほしいとは思う。

 この退屈な春が、ただの春で終わるのか。

 それとも――


 その先を考えかけたところで、凛成がまた何か言ってきた。


 「……で、聞いてるのか?」

 「聞いてる聞いてる」

 「絶対聞いてないだろ」

 「気のせいだ」


 そう返しながら、俺はもう一度だけ窓の外を見た。

 白っぽい空。

 鈍い光。

 静かな街。

 何も起こらない、いつもの朝。


 ……本当に、何も起こらないのなら。

 だけど、そういう朝ほど、たぶん一番怪しい。


 俺は机に肘をついたまま、こっそりため息を吐いた。

 まだ春は始まったばかりだ。

 だけど――なんとなく、嫌な予感だけは、もう十分すぎるほどしていた。


 中学の頃、俺はよく、部屋でひとりゲームをしていた。

 いや、別に今でもしてるけど。

 あの頃ハマっていたのは、少年少女たちがどこか別の世界へ飛ばされて、やたら強そうな連中と戦ったり、訳の分からない運命に巻き込まれたりするタイプのやつだった。


 正直、ああいうのはずるい。

 最初から主人公に名前がないから、こっちが自分の名前を入れられる。

 それだけで、画面の中のあいつが少しだけ俺になる。

 俺があの世界にいる。

 俺があの役目を持っている。

 そう思えるだけで、妙に嬉しかった。


 もちろん、現実の俺だってちゃんと重要だ。

 少なくとも、俺はそう思っている。

 そこらの奴らみたいに、ただ制服を着て、ただ歩いて、ただ適当に笑っているだけの存在とは違う。

 ……まあ、違うと信じたいだけかもしれないけど。


 白樺の制服なんて、別に派手でも何でもない。

 見た目は地味だ。

 ただ、地味っていうのは、悪く言えばつまらないけど、良く言えば無駄がない。

 俺はその辺、そこまで嫌いじゃない。


 男子の冬服は、グレーのブレザーに金色のボタン。

 ボタンには白樺の校章――細い葉っぱみたいな模様が入っている。

 あそこだけはちょっとだけ綺麗だ。

 まあ、それ以外はほぼ普通だけど。


 下は濃いグレーのウールのズボン、白シャツ、そして深緑と金のストライプが入ったネクタイ。

 女子はタータンっぽいプリーツスカートに、深い緑と紺、そこに金の線が入ってる。

 白いブラウスに、男子と同じ色味の緑のリボン。

 冬の間は黒いタイツを履いてもいいらしい。

 百三十デニール以上だったか。

 細かいところまで校則に書いてあるのを見ると、なんか妙に律儀だなと思う。


 上着も、寒い時期は学校指定のブレザーの上にコートを着ていい。

 紺、黒、グレー。

 要するに、目立たない色なら何でもいいってことだ。

 そういうところ、いかにも地方の学校って感じがする。

 派手に見せる気がない。

 最初から落ち着く方向に寄せてる。

 まあ、悪くはない。

 面白くはないけど。


 靴もまた地味だ。

 上履きのかかとやつま先に、学年ごとの色が入っている。

 俺たち一年は青。

 見ればすぐ分かる。

 入学したての子どもを一目で見分けるための目印だろう。

 こういうの、校則を読んで初めて知った。

 読まなかったらたぶん、ただの「灰色っぽい制服」としか思わなかったはずだ。


 ……別に、俺は規則を真面目に守るタイプじゃない。

 ただ、読むものは読む。

 その方が、その場所のことを少しだけ理解した気になれるからだ。


 で、そんな制服を着て、俺は今、教室にいる。

 四月七日。

 新年度の初日。

 春っていう割には風がまだ少し冷たい。

 窓の外はぼんやり明るいのに、空気はどこか硬い。

 新しい学年の始まりとかいうわりに、教室の空気はまだ全然馴染んでいない。

 みんな、どこか様子をうかがっている。

 それが少し滑稽だ。


 俺もそのひとりだ。

 ……いや、違うな。

 俺は違う。

 俺はこの場所で、ただ始まりを待っている側なんだから。


 机に座ったまま、俺はスマホをいじった。

 画面に表示されている日付は、2026年4月7日。

 まあ、当たり前だけど。

 こうして数字で見ると、なんとなく実感がある。

 高校一年。

 十五歳。

 あと三年かそこらで、俺も一応は大人ってやつになるらしい。

 働いて、生活して、責任とかいう面倒なものを引き受ける側に回る。

 そう考えると、今こうして教室で座ってる時間って、すごく貴重なはずなんだろうけど。


 実際は、あんまりそういう感じもしない。


 周りを見れば、みんなそれぞれ自分の世界に入ってる。

 真面目にノートを開いてるやつ。

 周囲と軽く話してるやつ。

 ぼーっと外を見てるやつ。

 俺と同じで、何かを期待してるような顔をしてるやつもいる。

 でも、あれはたぶん期待じゃない。

 ただの慣れだ。

 何かが起こる前の、ぼんやりした準備みたいなものだ。


 俺はその中で、ちょっとだけ違う。

 少なくとも、そう思っている。

 みんなが普通に生きて、普通に大人になっていくのを、俺は少し離れたところから見ている感じがする。

 いや、見下ろしてるってほどじゃない。

 ただ、もうちょっと面白い何かが自分のほうに来るんじゃないかって、そういう気分でいるだけだ。


 ……この世界は、たぶん思っているよりずっと単純だ。

 でも、単純なだけに飽きる。

 飽きるからこそ、何かを待ってしまう。

 何か、急な展開とか。

 秘密とか。

 特別な力とか。

 そういうの。


 俺がそういうことを考えていたら、どれくらい時間が経ったのか分からなくなった。

 教室の空気は相変わらず静かで、たまに椅子が軋む音がするくらい。

 そのうち、何も考えずにいる時間が、逆に心地よくなってきた。


 ――っていうか、これ、半分くらいは寝てたな。


 気づいたら、さっきより少しだけ時間が進んでいた。

 スマホを見れば、昼休みまであと少し。

 ああ、昼か。

 そういえば腹も減ってきた。

 朝は適当に食べたから、そこまで空腹でもないけど、昼飯の時間っていうだけで少し救われる気がする。

 授業が始まってしまえば、それなりに退屈でも、区切りがあるのはいい。


 そんなことを考えていたちょうどその時だった。


 「荷川取、聞いてる?」


 板柿凛成の声が、さっきより少し近い距離から飛んできた。

 俺は半分眠ったままの頭を持ち上げる。


 「……何」

 「いや、“何”じゃなくて。さっきから全然反応ないけど」

 「聞いてたよ」

 「絶対聞いてなかっただろ」

 「まあ、八割くらいは」

 「それ聞いてたって言わない」


 凛成はいつもこうだ。

 少しだけ真面目で、少しだけうるさい。

 けど、こういうやつがいると、教室の空気が完全に死なない。

 そこは認めてる。

 認めてるから、別に口には出さないけど。


 その隣で、七瀬慧斗が黙々とノートを閉じていた。

 こいつは凛成よりさらに静かだ。

 喋る時は喋るけど、自分から積極的に空気を壊すタイプじゃない。

 要するに、面倒じゃない。

 俺としては、そのくらいでちょうどいい。


 「昼、いつものとこ行く?」

 凛成がそう言った。

 「ああ、うん」

 俺は適当に返した。

 「七瀬もいいだろ」

 「うん、いいよ」

 慧斗は短く答えた。


 いつものとこ。

 要するに、教室から出て、二階の廊下の端とか、少し開けたところで弁当を食べるだけだ。

 別に食堂に行くわけでもない。

 購買で何か買うわけでもない。

 ただ、ちょっとだけ教室の中から離れる。

 それだけ。

 でも、その“ちょっと”が案外大事だったりする。


 12時40分。

 チャイムが鳴ると、教室の空気が一気に変わった。

 さっきまでの何となく緩い静けさが、みんなの動きでざわつき始める。

 椅子が引かれて、カバンが開いて、弁当箱が取り出される。

 あの瞬間って、なんか好きだ。

 みんな一斉に「生き返る」感じがするから。


 俺たちは教室を出た。

 廊下に出ると、少しだけ空気が冷たい。

 教室の中は人の熱で妙にぬるいけど、外はまだ春の朝の名残がある。

 四階から二階へ下りると、階段の途中で他のクラスの奴らともすれ違う。

 みんな弁当や購買袋を持っていて、何となく同じ方向へ流れていく。

 昼休みって、全員が一斉に自由をもらったみたいで、ちょっと面白い。


 俺たちは二階の廊下の、少し窓に近い場所へ座った。

 床に直接、なんていうと雑に聞こえるけど、まあ、そういう場所だ。

 誰も特に気にしていない。

 この学校、変に厳しすぎるわけでもないから助かる。

 食べる場所の自由度くらいはある。


 弁当箱を開ける。

 中身は家で用意された、いつものやつ。

 妙に凝った料理じゃない。

 でも、こういう普通の味って大事だ。

 少なくとも、朝から何もかもが特別すぎると疲れる。


 「今日の物理、やばくね?」

 凛成が口を開いた。

 「まだ始まってもないけど」

 俺が言うと、

 「いや、明日の課題の話。結構量あるじゃん」

 と返してきた。


 ――そういうことか。

 聞いてなかった。

 いや、聞こえてはいたけど、ちゃんと脳に入ってなかっただけだ。

 言い訳に聞こえる?

 うん、そうだろうな。


 慧斗は弁当を食べながら、少しだけうなずいた。

 「まあ、あるね。出さないと面倒だし」

 「だよな」と凛成。

 「……まあ、適当にやる」

 俺はそう言った。


 実際、適当にやるしかない。

 まだ初日だし、そんなに気負っても仕方ない。

 高校生なんて、結局は時間をどう潰すかの勝負だ。

 みんな真面目な顔をしているけど、本当のところは大差ない。

 努力してるやつもいれば、そうでないやつもいる。

 でも、どっちにしても、こういう毎日はすぐに似たような顔になる。


 それなのに、俺は時々、そういう普通の空気が嫌になる。

 もっと何かがあるはずだって思ってしまう。

 もっと意味のある何か。

 もっと大きな何か。

 そういう、うるさいくらい派手な出来事。


 俺がそんなことを考えていたら、凛成がふいに言った。


 「そういえばさ、今度駅前のスタバ行かない?」


 ……スタバ。

 急におしゃれな話題を持ってくるな。

 俺は少しだけ顔を上げた。


 「何、急に」

 「いや、近くにあるじゃん。新作のやつ気になるし」

 「お前、ああいうの好きだったっけ」

 「別に好きっていうか、話のネタ」

 「それはもう好きなんじゃないの」

 「細かいこと言うなよ」


 慧斗も少しだけ顔を上げた。

 「いいんじゃない? たまには」

 「だろ?」

 凛成は少し得意そうに言った。

 「荷川取も来るだろ」

 「……別に」

 俺は曖昧に返した。

 「まあ、暇なら」

 「ほら、暇なんだろ」

 「うるさい」


 たしかに、暇だ。

 暇じゃないって言う方が無理がある。

 でも、そういう何でもない誘いって、案外悪くない。

 駅前のスタバ。

 何の変哲もない、普通の放課後の予定。

 それだけで、ちょっとだけ世界が“日常”として成立している気がする。


 ……ただ、俺としては、そういう普通の予定をこなしながらも、どこかで別の何かが始まるのを待っている自分がいる。

 自分でも面倒くさいと思う。

 みんなみたいに、昼飯を食って、課題の話をして、放課後の予定を決めて、それで満足すればいいのに。

 俺はどうしても、心のどこかで「まだだ」と思ってしまう。


 まだ、何かが足りない。

 まだ、始まっていない。

 まだ、自分の物語は本番じゃない。


 そんなことを考えながら弁当の最後の一口を食べた。

 窓の外は相変わらず白っぽくて、新潟の街は静かだった。

 何も起きていない。

 何も起きる気配もない。

 でも、俺の中だけは、妙にざわついていた。


 たぶん、こういうのを期待って言うんだろうな。

 自分でも気づいていなかったふりをしていた、あの感覚。

 世界の裏側で何かが始まる前の、あの妙な静けさ。


 俺は弁当箱を閉じながら、心の中でひとりごちた。


 ――そろそろ、何か起きてもいい頃なんじゃないか。


 そんな気持ちを、誰にも見せないまま。

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