2.Knife Angel
あわや地面に衝突する。
と思ったところで、私の身体は生い茂る雑草に受け止められた。
それがクッションになってくれたらしい。
おかげで、あれだけ荒々しく扉を破って出てきたにも関わらず、身体に怪我らしい怪我はない。
家屋から脱出するだけでこの有様だ。
ここはそっとして欲しいところだが、そうもいかないらしい。
それに答えるように、バサバサと羽の音を巻き散らして、黒い影が私の頭の上から覆い被さる。
うっすら目を開けると、鴉の方から何やら首を傾げて私の顔を覗き込む様子が見受けられた。
私が死んでいるかを確かめているようだった。
嘴で頭を突かれるのを黙ってやり過ごす。
そのとき、裏から物音がした。
裏にはヨヌンを置いてきている。
物音は彼女のものだろう。
鴉は音のした方向に気を取られ、私へ向けられていた注意を緩める。
鴉からしたら、ほんの一瞬。
その一瞬を私は狙っていた。
ゆらりと腋から身体を起こす。
先に下半身が立ち上がるのに上半身が遅れてついてくる。
このとき、横腹の肉がないせいで、身体が鉄パイプ部を軸に尾を引くように傾き、上半身がうまく起き上がらない。
私はそこで、上半身を起こす動きを腕の振りに繋げた。
そのまま、背を見せる鴉に不意の拳を下から叩き込んだ。
確かに当たった。
なのに・・・・・・。
拳が沈み込む感覚が返ってくる。
硬いというより、いなされているような。
羽根の合間から、分解したカッターの刃などの細かい刃物を着込んでいるのが見えた。
刃物同士が噛み合い、ジッパー構造を為している。
衝撃が分散された為か、手応えがない。
その弾みで刃が立ち、手が傷ついた。
「このッ!?」
痛みを奥歯で噛み殺す。
一層の力を込めて腕を振りきった。
その拍子に、羽毛が風の抵抗を受けながら勢いよく四散する。
抜け落ちた羽に混じって欠けた金属の刃が硬質な音を散らした。
それがキラキラと乱反射した光となって眩く目に映る。
鴉はそれを受けて力強く羽ばたいた。
しかし、身に纏っている刃物が重すぎて空を飛ぶには至らない。
だが、下向きに押し出された空気が鴉の落下速度を弱めた。
地面に叩きつけられるどころか、ふわりと軽々(かるがる)、着地してみせる。
拳の威力はそれで完全に殺されてしまった。
「・・・・・・鳥頭の癖に」
なかなか小賢しい奴だ。
こうも簡単に手玉に取られると、苛立ちさえ覚える。
気がつけば距離を取られている。
今の奇襲ですっかり警戒され、もう迂闊に近づいてすらくれないだろう。
これでは片足が使えない私では追い討ちを掛けることができない。
何もかもの噛み合わせが悪かった。
さて、どうしたものだろう・・・・・・。
とは言ってみたものの、私から行動を起こせない以上、相手の出方を見るしかない。
そんな中でも、身体だけはいつでも動かせるようにと、前のめりに膝に手を乗せる。
手を強く握ったとき、傷口を縛る上着をくしゃりと潰した。
そんな私を尻目に、鴉は自分の羽に嘴を突っ込んで、羽の手入れを始めたようだ。
羽に仕込んであった剥き出しの刃物が幾つも地面に転がる。
もうそれらは役割を終えたということだろう。
重い物を着込んでいたのから解放されて、今は身軽に羽を伸ばしている。
私を前にして、随分と気ままなものだ。
そのとき、地面に落ちたはずの刃物たちがひとりでにカタカタと音を鳴らしたのを、私は見逃さなかった。
普通なら気のせいとかで片付けてしまうところ。
けれど、鴉には触れずとも物を動かせる力があることを私は既に知っている。
それをまだ外に出てからは一度も使っていないことも。
「・・・・・・っ!?」
考えてみれば、私の身体は鉄パイプで繋がれている。
なので、鴉が磁力の力を強く周囲に働かせたとき、最初に身体が気づいた。
続いて、近くの標識が、
止めてあった自転車が、
地域のゴミ箱が、
重量のある金属製の公共物が次から次に、鴉がはばたくのに合わせて、強い力で上へと引っ張られた。
私も釣られて腰を浮かせる。
それを狙ったかのように、鴉の奴もまた私めがけて翼を前方に打ちつけた。
出鼻を挫かれた私は体勢を崩しながら、飛んできたものを腕で払う。
後から目で追って、飛んできたのは刃物の破片であることを知った。
鴉が羽の中に刃物を着込んでいたのは本来こういう使い方をするためだったのだろう。
この牽制により、私の視界は腕で隠れていた。
そのため、上からも重量のある金属が落ちてくるのに気づくのが僅かに遅れる。
前のめりな姿勢が仇となり、前にしている足の反応が間に合わない。
やむなく地面を蹴って、後ろに飛び退ることで、圧死だけは免れた。
「・・・・・・・・・・・・」
見上げると、もう手の届かないところまで、鴉は飛び上がっている。
後は、鴉と一緒に浮いてきている金属物を落としているだけで私を一方的に完封できるということらしい。
「・・・・・・はは」
ここまでくると、乾いた笑いしか出てこない。
身体の力を抜く一方で、頭の中ではどうやってこの足であそこまで届かせるかを私は考え始めていた。
以前一度だけ、建物の支柱を砕いたことがあった。
あのときの力で地面を蹴り上げることができれば、ギリギリ届くか?
直近で受けた体力測定の記録が思い出される。
垂直跳びで私の出した最高記録が7.5m。
(※アスリートのトップ層の記録の約8倍、一戸建て2階分の高さ)
片足が負傷していることを考えると、実際やるときはもっと低くなるだろう。
駄目だ、全然届かない。
せめて足場となるとっかかりが欲しい。
「・・・・・・!!」
あるじゃん足場。
思いつくが否や、私は高さを稼ぐために屋根へと掴まり、腕だけで軽々と身体を引っ張り上げる。
「よし!!」
深く息を吸う。
気持ちが落ち着くより先に、助走をつけるように走り出している。
肘をてっぺんに腕を振り上げる勢いに任せて、反動で地を蹴り、踏み切った。
衝撃が還る。
足が離れる間際。
私の身体を支えている鉄パイプ部位がぐらついて腰より上の体幹が崩れたのを感じる。
上半身を置き去りに、私の身体は無造作に空中に投げ出される。
気持ち悪い。
ただでさえ身体に負担の大きい反動を使った動きなのに。
そのうえ、平衡感覚まで失われ、上下が狂う。
そんな状態での2歩目。
しかし、絶対に踏み外す訳にはいかない。
前後不覚の中でさっき踏み出した方とは反対の負傷している足を出す。
息が止まる。
体重を乗せたときに、重さに耐え切れず、膝の関節がキリキリと震えた。
膝下でキツく結んである上着の腕が、緩急の差でしなるのを感じる。
もう一度、反動を使う余力は私にはない。
だから、ここで。
足の力が抜け、身体が更に上へと押し出される。
腕を目一杯伸ばした拍子に、私の掌の影が鴉に覆い被さった。
足りなかったあと少しの高さが埋まっていた。
相手はいきなり現れた私の手から逃れようと羽を広げるも、意思とは裏腹に身体が左に流されているようだった。
私の拳を受けたとき、着込んでいた金属の刃に守られ、威力は完全に殺されていたかに見えた。
だがその実、拳に当たった衝撃で左の羽を支える部位の骨が若干ひん曲がっていたらしい。
そのため、鴉は今現在、正確な飛行動作というものができない状態にある。
このままでは私の手に捕まってしまうという状況で、鴉は磁力を発生させた。
恐らくだが、自身の身体を周囲に浮く鉄へと引き寄せて難を逃れようとしたのだろう。
この板挟みの状況。
私でもそうする。
「でも、いいの?
私の身体、鉄だから引きつけちゃうけど」
私の声が届いたのか、そうでないのか。
身体がぐんと急激に持ち上げられる感覚を覚えたときには、もう後の祭り。
鴉は磁力を解く前に私の指にグシャリと押しつぶされた。
「・・・・・・・・・・・・」
指の隙間から黒い羽根が覗く。
続いて、上向きに私を引き上げていた力がなくなるのを感じた。
身体が再び重さを持つ。
それを確かめてようやく、胸の奥で深く息をつけた気がした。
ゆっくりと高度が下がり始める。
重力に引っ張られ私の身体は急速に地面に引き戻された。
あ、落ちる。
冷や汗が頬を伝う。
抵抗虚しく私の悲鳴は風切り音に消えた。
ヨヌンが息を切らせて駆けつけたときにはもう全ては終わった後だった。
五体満足のドロテアを見かけて、ホッと胸を撫でおろす。
それが表情に出るより早く、駆け足だっていた筈の足が止まった。
空から抜け落ちた黒い羽根がパラパラと降っている。
その中で一人、返り血を頭から被って佇むドロテアの姿は非常に目が引いた。
首根っこを掴むようにして、その手には鴉の死骸が握られている。
羽根の飛び散り方からしてよほど抵抗したのだろう。
とにかく、あの空き家に入っていった後に何かがあったのは確実だった。
顔に影が差し込んでいるため、どんな表情をしているかは読み取れない。
そのときのドロテアは極めて機械的で淡々として見えた。
拒否感から自分が半歩引いたことにヨヌンは気づく。
解体のために生きた鶏を絞めているのを目にしたような、そこはかとない罪悪感に襲われた。
そうして、動けないでいると、ドロテアの方もヨヌンの存在を見つけたらしく、目を白黒させている。
そのときには、顔に落ちていた影は消え、よく見知った彼女の顔があった。
ドロテアが駆け寄ってくる。
気づけば、自分からは一歩もその場から動いてないのに、ドロテアとの合流は済んでいた。
ガーゼで押さえたうえからテープが巻かれる。
私は自分の指の傷が隠れていくのを眺めているだけで良かった。
鴉につけられた指の傷も昨日からだいぶ良くなっている。
なので、私はほっといて良いと思っているのだけど、ヨヌンの目にはそうは映らなかったらしい。
以前来たのと同じカフェで待ち合わせしていたところを捕まって今に至る。
談笑する声が耳につく。
やってもらっているヨヌンには悪いけれど、前回来たときと違ってカフェの席には他の客も入っている。
そのため、周りの目が無性に気になった。
「こんなところですかね」
そのひとことがあって、ヨヌンは私の手を離した。
ありがとう、と言いかけて指を引っ込めた際に、偶々(たまたま)ヨヌンの靴に値札がつけたままなのが目に入る。
普通出かけるときに気づきそうなものだけど。
と、私はそこで、鴉の死体処分のことで、ひと悶着あったことを思い出した。
異能力の中には、それと知らずに手を突っ込んだだけで、無差別に周囲を巻き込むものもある。
おまけに、どこに地雷があるのかも分かっていない。
それ故、その死体は適切な方法にて迅速に処分することが求められるということらしい。
ヨヌンもそれで、昨日はあの後、忙殺されていた。
そう考えると、つけっぱなしの値札も、疲れているせいに思えてきた。
本当は値札のことを、本人に教えた方がいいのだろうけれど。
疲れているだろう相手への配慮もあって、このときの私は指摘しなかった。
「やっぱり・・・その。
先日の件は私のミスです。
1人で行かせるべきではなかったのではないか、と」
ヨヌンは言うが否や、カップに視線を沈めている。
相当思うところがあったのだろう。
正直言うと、私は心配の前に、ヨヌンがあのときどうして私の元に駆けつけることができたのかという方が気になっていた。
それが口にも出ていたらしい。
「え・・・ああ、あれは・・・」
どうやら、私と鴉が乱闘していたのに気がついたのではないらしい。
ただ単に激しく争うような物音が聞こえてきて、不安になって表に回ったら、私が高く飛び上がっているのが目に飛び込んできたというだけのことだった。
まあ、なんというか。
あれだけ激しく争ってたらそりゃ気づくよね、っていう。
そして、その話は次第にどうやって私があんなに高く跳び上がったのかというところにも波及していく。
私も、彼女にはそのことについて、言っておかなくてはと思っていた。
なので、ちょうど良いとして、時々身体に負傷を負った分、強い力を引き出せるときがあることを語った。
「なんというか・・・私の場合、身体が損傷を受けたときに、それが蓄積される感じがあって。
1発、強い力を引き出すぞ!
ってときに今までの反動分の力が引き出されるというか・・・」
これは多分だが、鉄とゴムの凹んだ分の反動で押し返す弾性力に起因する能力なのだろう。
そう考えると色々納得するものがあった。
「反動を使うと、身体を繋ぐ鉄パイプの部分がぐらついて、暫く気持ち悪くなるのであんまりしょっちゅうは使えないんですけどね・・・・・・」
「・・・・・・ドロテア?」
「はい?」
なんだろう。
と思って見つめ返すと、ヨヌンと目が合う。
その表情は真剣そのものといったもので、発言を遮るのも憚られる気迫があった。
「あんまり・・・その・・・反動を使った動きというのはやらない方が良い気がします」
「それは・・・・・・」
どういう意味だろうと聞き返そうとして、ずいっと身を寄せるヨヌンに口を塞がれる。
「約束してください。
不用意に身を削るような真似はしないと・・・」
「それは・・・・・・はい、もちろん」
それだけ私から言質を取ると、ヨヌンは身を引いて椅子に腰掛け直す。
話はそれで終わってしまい、それ以上問いただすことは出来なかった。
どういうことかと追及しようとしたときに限って、間が悪く、ヨヌンは飲み物の入ったカップを手に取る。
気持ちを落ち着かせようとしたのだろう。
それで、すっかり機会を見失ってしまった。
もやもやは残るが、この場で無理やり聞き出すのは違う気がする。
押されっぱなしで、半ば言わされたようなものだけど。
とにかく、これからはそういうことになった、らしい。
と、手持ち無沙汰になったところで、私は自分のカップの中身が減っていないことに気づいた。
慌ててなみなみ注がれているカップを皿ごと持ち上げる。
「あれ?」
会話はないが、ゆったりと落ち着くひとときを過ごしていたときのこと。
ヨヌンのカップの中身が、自分と同じ紅茶であるのが目に入って思わず声を上げていた。
「コーヒーじゃないんですね?」
前に来たときは、コーヒーを注文してたのを覚えていたからこそ出た発言だった。
この私の指摘にヨヌンは過剰に反応した。
ぎこちなく抱えるようにして、ヨヌンが持っていたカップが大きく縦に震える。
「はい?
いえ・・・それは・・・その・・・あの・・・ちょっと・・・ね?」
動揺のあまりか、目が泳いでいる。
何かを察して私はそれ以上の追及をやめた。
ヨヌンの真似をして、私も両手で抱えるようにカップを持ち、口まで運ぶ。
教科書にはないやり方。
褒められたものではない。
けれど、ここには私とヨヌンの2人しかいないのであまり気にならなかった。
視界の端で靴の値札がまたヒラヒラと揺れた。
ヒール、3cm。
書かれている内容のうち、たった一行には結局、気づかなかった。
【SE-01】
主人公、ドロテアの能力名。
Elastic Steel(弾性鋼)の頭文字を取っている。
それを逆から並べてあるのは、戦いでダメージを受けるほど真価を発揮するこの能力の逆転構造を象徴するため。
(×ES→⚪︎SE)
【分類番号】
各種機関に認知されている異能力はその能力の頭から英文字2つと振り分けられた数字2つで計4桁の分類番号が与えられる。




