押し寄せる負荷
地平線が、土煙で霞んでいた。 軍隊ではない。それは、足を引きずり、虚ろな目をした人間の波だった。 城壁の監視塔から警鐘が乱打される。
「……開けてくれ! 頼む、パンを!」 「アクス様が救ってくれると聞いたんだ!」 「子供だけでも!」
城門の前は、阿鼻叫喚の坩堝と化していた。その数、およそ三千。近隣の紛争地帯から流れてきた戦災難民たちだ。 彼らが押し寄せる圧力は、都市というサーバーを物理的に押し潰そうとしていた。
評議室の空気は凍りついていた。 テーブルの上には、去ったはずのイグナティウス枢機卿からの親書が置かれている。 上質な羊皮紙に、美しい筆記体でこう記されていた。
『親愛なる監査補殿。 先日の論争における貴殿の言葉――「効率こそが多くの命を救う」という主張に、私は深く感銘を受けた。 よって、戦火に追われたこの哀れな子羊たちの行く末を、貴殿のその素晴らしい「システム」に託すこととした。 神の愛と、貴殿の計算が、彼らを飢えさせないことを祈っている』
一見すれば、信頼による委託。 だが、その実態は「処理不能なゴミデータの押し付け」だ。 ヴォルフが吐き捨てるように言う。 「食わせ者め。三千人も入れれば、治安は崩壊する。紛れ込んだスパイが放火すれば終わりだ。門を閉ざせ(ポート遮断)」
ミラも青ざめて首を振る。 「無理よ。三千人? 今の備蓄食料じゃ、一週間も持たない。彼らを入れれば、元からいる市民まで道連れに餓死するわ(リソース枯渇)」
拒絶すれば、門の前で三千人が死ぬ。その光景は「アクスは冷血な悪魔だ」という絶好のプロパガンダになり、周辺諸国に討伐の大義名分を与えるだろう。 受け入れれば内部崩壊。拒絶すれば外部侵攻。 枢機卿が仕掛けたのは、倫理と物理の二重拘束だった。
アクスは城壁から、眼下の群衆を見下ろした。 [解析]対象=難民3000名。ステータス=飢餓、疲労。 [エラー]処理能力超過。
だが、アクスの視界には、別のデータも映っていた。 彼らには手がある。足がある。 「……ヴォルフ様、ミラさん。定義を変更します」 アクスは振り返った。 「彼らは『ただ飯食らい(負荷)』ではありません。『未稼働の演算リソース(労働力)』です。即時対応策を実行します」
***
城門が、重い音を立てて開いた。 どっと雪崩れ込もうとする群衆を、ヴォルフ率いる兵士たちが槍の壁で押し留める。 その前に、アクスが立った。拡声の魔道具を手に、淡々と告げる。
「入城を許可します。ただし、条件があります」 群衆が静まり返る。 「当都市は、あなたたちに施しはしません」 絶望のざわめきが広がる。「見捨てるのか!」という怒号。 「代わりに、『仕事』と『対価』を提供します。働かざる者、食うべからず。――ただし、働く意志のある者は、決して飢えさせません」
アクスが提示したのは、慈善事業ではなく、冷徹な「契約」だった。
第一フェーズ:オートスケーリング(拡張) アクスは彼らを城壁の外、荒れ地へと誘導した。 「住む家はありません。今からあなたたちが作るのです」 用意されたのは、製材所から運ばれた規格化された木材。「ツーバイフォー工法」により、マニュアル通りに釘を打てば、素人でも半日で簡易住宅が建つ。 自分たちの寝床を確保するため、男たちは目の色を変えて木材を運んだ。
第二フェーズ:カロリー効率の最大化(歩留まり改善) ミラがアクスに詰め寄る。「家は建つでしょうけど、今日食べるパンがないのよ! どうするの!?」 「あります。パンの『仕様』を変えます」 アクスは製粉所の工程を強制変更させた。 これまで上流階級向けに、小麦の表皮を取り除いて「白いパン」を作っていたが、アクスはこれを禁止した。 「表皮ごと挽きなさい。『全粒粉』です。白いパンを作るために捨てていた表皮を混ぜれば、同じ麦の量でも粉の量は1.4倍になります(歩留まり向上)」 「でも、そんな黒いパン、ボソボソして不味いわよ」 「それが狙いです」アクスは即答する。「白いパンは柔らかく、すぐに消化されてまた腹が減る。対して、繊維質の多い黒パンは硬く、消化に時間がかかります」 アクスはデータを提示した。 「腹持ちがいい(血糖値スパイクの抑制)。つまり、一日三食必要だった空腹感を、二食で満たすことができる。物理的な『増量』と、生理的な『消費抑制』。この二重の効果で、食料消費速度を半分に落とせます」
さらに、近隣の漁村から、売り物にならず捨てていた雑魚を大量に買い付けた。 骨ごとすり潰し、ペースト状にしてスープに投入する。 「味は二の次です。必要なのは熱量と、満腹中枢への信号です」
アクスは、大鍋の中で煮える灰色のつみれを見つめ、密かにログを更新した。 [備考]魚肉のペースト化(すり身)。現在は単なる栄養塊だが、焼く、揚げる、乾物にするなど拡張性は高い。 この「すり身」が、やがて難民たちの知恵と混ざり合い、色とりどりの魚料理として食卓を彩ることになるのは、まだ少し先の話だ。
第三フェーズ:先物による緊急調達 それでも足りない分は、「金融」で解決する。 アクスはミラに一枚の契約書を渡した。 「彼らに荒れ地を開墾させます。土壌分析によれば、三ヶ月後には大量の麦が収穫できる。この『未来の麦』を担保に、他都市の商会から『家畜用の安い麦』を緊急輸入してください」 「先物取引……! 収穫前に売るの?」 「はい。彼らの労働力を信用に変えて、今日の食料を買うのです」
***
数日後。 難民居住区の片隅で、不穏な空気が流れていた。 枢機卿が紛れ込ませた扇動者が、男たちを集めて囁いていたのだ。 「騙されるな。あのアクスって奴は、俺たちを奴隷にする気だ。黒いパンに、魚臭いスープ……こんなの家畜の餌だぞ!」 「で、でも、腹は膨れるし……」 「今夜、本物の食料倉庫を襲おうぜ。白いパンが食えるぞ!」
扇動者が松明を掲げようとした、その時だった。 バシッ! 石が飛んできて、扇動者の額に当たった。
立っていたのは、難民の少女エレナだった。泥だらけの手には、配給された黒く硬いパンが握られている。 「……ふざけんな」 エレナは睨みつけた。 「奴隷? 冗談じゃない。あたしは今日、自分で屋根を葺いた。自分で稼いだ札で、このパンを買ったんだ!」 彼女は黒パンを掲げた。 「このパンは硬い。だから、噛みしめる時間がたっぷりある。……生きてるって味がするんだよ!」
彼女の叫びが、周囲の男たちの目を覚まさせた。 自分たちで作った家。労働の対価として得た、腹持ちの良い食事。それは「施し」では得られない、「尊厳」という名の報酬だった。 「そうだ……ここは俺たちが建てた街だ!」 「壊すなら、てめえが出て行け!」
扇動者は、ヴォルフが出る幕もなく、難民たち自身によって取り押さえられた。 システムは、構成員が「自分のものだ」と認識を持った時、最も強固なセキュリティを得る。
***
一ヶ月後。 城壁の外には、整然とした新しい街区が広がっていた。 ミラは新しい帳簿を見て、信じられないという顔をした。 「……嘘みたい。全粒粉のおかげで消費量が抑えられたし、開墾された畑の資産価値が、輸入した食料費を上回ってる。これ、黒字よ」 難民(負荷)は、都市を成長させるエンジン(動力)に変換されていた。
アクスは執務室で、枢機卿への返書をしたためた。 『リソース(人材)の提供に感謝する。お陰で当都市の演算能力(GDP)は30%向上した。追加の送客も歓迎する』
ヴォルフが横から覗き込み、苦笑する。 「皮肉な奴だ。あの枢機卿が読んだら、泡を吹いて倒れるぞ」 「事実です。システムは、負荷をかけるほど強く進化しなければなりませんから」
窓の外では、エレナたちが新しい畑で種を撒いている。 Win-Win。 都市は安価な労働力と未来の食料を得て、難民は命と居場所を得た。感情論ではなく、利害の一致こそが、持続可能な救済を作る。
だが。 アクスでさえ、検知できないバグがあった。 活気あふれる居住区の路地裏。一人の男が、激しく咳き込んでいた。 「ゴホッ、ゴホッ……! ……なんだ、寒気が止まらねえ……」
彼が吐き出した痰は、黒く濁っていた。 衛生環境の激変。人口の密集。そして、遠方からの人の移動。 それは、システムを根底から破壊する「見えざるバグ(ウイルス)」にとって、最高の培養環境(培地)だった。
[警告]異常データを検知できませんでした。 (……まだ、誰も気づいていない)




