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この社会(システム)、バグだらけにつきAIが最適化します  作者: 冷やし中華はじめました
第2章

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隠蔽されるバグと、病床のオプション取引

 咳の音よりも早く、市場から「信用」が蒸発した。


 始まりは、難民居住区での数人の急死だった。だが、ウイルスそのものの致死性よりも、それが引き起こした「情報不全パニック」の方が、システムにとっては致命的だった。


 市場の広場。 「おい、あいつの顔色が悪いぞ! 難民区に出入りしてたんじゃないか?」 「近寄るな! 店に入れるな!」


 疑心暗鬼。  咳を一つしただけで、その人間は社会的に抹殺される。店からは叩き出され、商売は停止し、家族ごと村八分にされる。  その恐怖ペナルティがあまりに巨大すぎるため、人々は最も生存本能に忠実な行動を取った。


 ――「隠蔽」である。


 高熱があるのに無理をして店を開ける。咳を押し殺して人混みに出る。  結果、見えない感染源(シャドーIT)は地下で爆発的に増殖し、気づいた時にはクラスターとなって顕在化する。


 アクスは執務室で、急激に減少する労働人口のグラフを見つめていた。


[解析]感染拡大フェーズ:制御不能。 [原因]感染者の「報告」に対するインセンティブがマイナスに設定されているため。 [結論]このままでは、労働リソースの40%が永久欠損(死亡)する。


 ミラ・サフランが悲鳴を上げて飛び込んできた。 「アクス、どうにかして! 従業員が次々と倒れてるわ。でも、みんな『ただの風邪だ』って言い張って、休もうとしないの。クビになるのが怖いから!」 「当然です。休めば飢える。隠せば(運が良ければ)稼げる。期待値計算として、彼らは合理的な行動をしています」


 アクスは立ち上がった。 「ルール(仕様)を書き換えます。隠すことが『損』になり、病気になることが『利益』になるように」


***


 翌日、広場の掲示板に、常識外れの布告が貼り出された。


【傷病者買い取り制度バイバック


発熱、咳などの症状がある者は、直ちに指定の療養所へ申告せよ。


申告した者には、療養期間中、**「通常の給与の1.2倍」**を毎日支給する。


さらに、家族全員分の食料を無償で配給する。


ただし、隠蔽して発覚した場合は、以後潟湖の街での一切の商取引を禁止(BAN)する。


 広場がざわめいた。 「病気になったら金がもらえるのか!?」 「働かないで飯が食えるってことか?」


 ヴォルフ軍務伯が、信じられないという顔でアクスに詰め寄った。 「正気か!? ただでさえ人手が足りないのに、そんな大金をばら撒いたら、健康な奴まで『俺は病気だ』と嘘をついてサボり始めるぞ!」


「それが狙いです」  アクスは平然と答えた。 「現在の最大リスクは『感染者が健常者のフリをして街に混じること』です。逆に、『健常者が感染者のフリをして隔離される』分には、感染リスクはゼロです。これは必要経費(誤検知コスト)です」


 アクスは続けた。 「それに、彼らをただ寝かせておくわけではありません。隔離所には、単純作業(軽作業)を持ち込みます。網の修繕、縄ない、豆の選別……。動ける者はベッドの上で稼働させます」


***


 効果は劇的だった。  昨日まで「俺は元気だ」と咳き込んでいた男たちが、我先にと療養所に殺到したのだ。 「俺を隔離してくれ! 熱があるんだ!」 「家族に飯を食わせるために、俺はここに入る!」


 アクスは、ヴォルフの兵士を使って彼らを物理的に隔離(パーティション分割)した。  症状のある者を市場から引き剥がす。そのためのコストは莫大だったが、感染の連鎖は物理的に遮断された。


 だが、問題は「心」のレイヤーに残っていた。


 医師ギルドの長老ガレノ。彼は、アクスのやり方に真っ向から反対していた。  ガレノは隔離所の柵の外で、患者たちに向かって叫んでいた。 「人の温もりを絶つな! 病は気からじゃ! 孤独は免疫を殺す。家族の手当てと、神への祈りこそが特効薬なんじゃ!」


 アクスにとって、ガレノの行動は非合理的だった。 「接触は感染確率を上げます。あなたの祈りは、ウイルスの増殖係数に寄与しません」


 しかし、データは嘘をつかなかった。  アクスが用意した「清潔で、食料のある隔離所」。そこで、なぜか死亡率が下がらない。  患者たちは孤独に震え、絶望の中で衰弱していく。  「金はもらえるが、俺たちはここで見捨てられて死ぬんだ」という精神的ストレス(デバフ)が、肉体の回復機能を阻害していたのだ。


[エラー検知]ハードウェア(肉体)の維持には、OS(精神)の安定性が不可欠。 [再評価]ガレノの「祈り」=プラシーボ効果による免疫賦活化プロセス。


 アクスは、ガレノの元へ歩み寄った。老医師は、アクスを睨みつける。 「また追い出しに来たか、計算機め」


「いいえ。業務提携アライアンスの提案です」  アクスは言った。 「あなたの言う通り、孤独は致死率を上げています。システムには『希望』というリソースが不足しています。……実装してください」


「実装だと?」


「接触は許可できません。ですが、『接続』は可能です」


***


 その夜から、新しい儀式が始まった。  隔離所と、居住区の間にある「見えない壁」。その距離を保ったまま、ガレノ率いる聖歌隊が、毎晩歌を歌った。  そして、アクスは「光」を使った。  ムラーノ島のガラス職人に作らせた、数百のランタン。それを隔離所の患者たちに持たせた。


「生きている者は、光を掲げてください」


 夜の闇に、無数の光が浮かび上がる。  それを見た家族たちが、壁の向こうから手を振り、自分たちのランタンを掲げ返す。    光による通信ハンドシェイク。  「俺は生きている」「待っているぞ」。  言葉も接触もなく、光の明滅だけで互いの存在を確認し合う。


 ガレノは、涙を流しながら祈りを捧げた。 「……神よ。この光が消えませぬよう」


 ガレノの祈りと、アクスの金。  「精神的ケア」と「経済的保証」。  この二つが揃った時初めて、人々の免疫システムは正常に稼働し始めた。


***


 一ヶ月後。  隔離所の解散リリースが決まった日。  生き残った男たちが、痩せた体で、しかし誇らしげに出てきた。彼らの懐には、療養中に稼いだ(というか支給された)給金が入っている。


「アクス様、ありがとう。あんたのおかげで、家族は飢えずに済んだ」


 感謝の言葉。  だが、アクスは冷徹に現実を見つめていた。


 ミラの店にて。  彼女は、空になった金庫を見て、乾いた笑いを漏らした。 「……終わったわね。病気は治ったけど、街の貯蓄はゼロよ。あの手当、全部私たちが立て替えたんだもの」


 アクスがばら撒いた「1.2倍の給与」。その原資は、潟湖の街の備蓄資金だった。  疫病という負債を、未来への借金で相殺したに過ぎない。


財政破綻デフォルト寸前です」  アクスは淡々と事実を告げた。 「ですが、労働力ヒューマン・キャピタルは守られました。金はまた稼げばいい。ですが、死んだ人間は再インストールできませんから」


 ミラは溜息をつき、それから力強くアクスを睨んだ。 「稼げばいい、ですって? ……簡単に言うわね。次はどうやってこの穴を埋める気?」


「プランはあります」  アクスは、汚れた硬貨を指先で弾いた。 「街の中から金が消えたのなら、外にある『価値のない金属』に、新しい価値を吹き込めばいいのです」


 パンデミックは去った。  だが、その代償として生じた巨大な財政赤字が、次の「悪貨」の時代を招き入れようとしていた。

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