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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第一章 錯綜(さくそう)
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錯綜3-1-③:母の過去、祖母の戸惑い

ある日、私は祖母に尋ねた。


「おばあちゃん、お父さんはお母さんの家庭教師だったんだよね?」

「そうよ」

「お父さんとお母さんは、その時からずっと好き同士だったの?」


 祖母は一度口をつぐみ、少し考えるような素振りを見せた。


「さあねぇ……おばあちゃんには分からないわ」

「でも、お母さんは高校を出てすぐにお父さんと結婚したんだよね?」

「ええ、あの時は本当に驚いたのよ。朱音(あかね)は進学すると思っていたから、それが急に“結婚します”なんて……」


まだ小学校一年生だった私は好き同士なら結婚するのは普通だと思っていた。同級生だって、好きな男の子が出来たら将来結婚するんだ、とよく言っている。私はそんな好きな人なんていた事がないからよく分からなかったが。


「しかも相手は家庭教師の公洋(ともひろ)さん」

「先生だったらダメなの?」

「ダメってわけじゃないけど……朱音のお腹には赤ちゃん、あなたがいるって聞かされて。おじいちゃんには、“なんで気づかなかったんだ”って散々言われたわ」


この時の私は好きになったら赤ちゃんができるんだ、と思っていた。でもそれなら私の父がお父さんである事は間違いない、なんて単純に思った。子供がどうやってできるなんて、まだまだ知る由もない年齢だったのであるから。


「好き同士だから赤ちゃんができたんだね?」


嬉々として応える私に祖母は少し戸惑っているようだった。


「私たちはね、朱音はまだまだ子供だと思ってたの。親って、みんなそうかもしれないけど……。あの子、身体も細くて小さくて、周りの子よりずっと幼く見えてたし。まさか、そんなことになるなんて思ってもみなかった」


祖母の顔に暗い影が走った。なんだかとても辛そうに見えた。


「おばあちゃんはお父さんが好きじゃなかったの?」

「あ、そうじゃないのよ」


祖母は慌てて否定する。


「公洋さんが朱音の家庭教師になったのは高校二年の時で、本当に“良い先生”って感じだったの。朱音も、先生として慕ってるだけだと思ってた。三年の春には、就職活動のために家庭教師も辞めたし、それからも会ってたなんて思わなかったわ」


祖母はふっと遠くを見るように顔をあげた。


「それが、卒業前になって突然“結婚したい”なんて公洋さんがやってきて……私たちはもう驚くばかりで……」


祖のが何かを言いにくそうにしているのが子供心にも分かった。祖父母は老臣の結婚に反対だったのだろうか、そんな風に感じた。


「私は……あの時、気づいてあげられなかった。そんなこと、全然考えてもいなかったのよ。あの子がどんな思いで……」


祖母の口がさらに重くなった。表情も暗い。


「おばあちゃん、どうしたの?」


私が祖母の顔を覗き込むと、祖母は目を伏せて何かを考えるような仕草を見せたが、すぐに笑顔を作った。


「朱音は結婚して、本当に幸せそうだったの。あなたが生まれて、莉子が生まれて、本当に良かったと思っていたのよ」

「うん……」

「これからもっともっと幸せになるはずだったのに……あなたたちの成長を見るのが、私たちの何よりの楽しみだったのに。どうして、こんなことに。まだ、二人がいないなんて信じられない。それも、あんな……惨い……」


 祖母は言葉を詰まらせ、顔を覆って泣き出した。


「おばあちゃん……」


私はそっと祖母の肩に手を置いた。そして、私も、母を思い出して、涙をこぼした。


 あの日まで、私たちは本当に幸せだった。優しい父、綺麗な母、そして可愛い妹。何一つ疑うことのない、幸福な毎日だった。もう二度と戻らない時間。そんな幸せを奪った“あの男”の存在を、私は隠している。


 あの日、あの男が残した一言を誰かに話せば、もしかしたら捕まるのかもしれない。……そう思うこともある。それでも、私は言えなかった。殺したいほど憎い男の情報を、私は隠した。


 私が階下に降りたとき、母と妹はすでに倒れていて、家の中には誰もいなかった。私は、ずっとそう言い続けている。そして警察は、「犯人は、寧々が二階にいるとは思わなかったのだろう」と判断した。

 そして、犯人が捕まらないまま三ヶ月が過ぎた。


 父は会社の単身寮に身を寄せていた。新しい住まいは探さず、海外赴任を希望していると祖父母に告げた。「このまま日本にいるのが、辛すぎるから」と。


 祖父母は特に反対しなかった。父は、赴任が決まれば私を連れて行くつもりだとも言ったが、その点には祖母が少し難色を示した。祖母はこのまま私を引き取りたい、と父に申し入れたようだ。しかし、それには祖父が首を振った。


「公洋君から、たった一人だけ生き残った娘まで取り上げるのは酷ではないか。お前が寂しいのは分かるが、公洋君はきっともっと辛い思いをしているよ」


祖父の言葉に、祖母はしばし沈黙したが、それでも引き下がらなかった。まるで莉々の私を預けるのが不安かのように。

お読みいただきありがとうございます。

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