錯綜2-3-⑪:「私が殺したの」――少女たちの密やかな告白
一瞬、空気が凍りついたような気がした。寧々は今、何と言ったのだろう。自分の耳を疑いたくなる。そして、どこかで聞いたような、既視感。
「な、何言ってるの? 悪い冗談……」
「本当だよ」
「そんなわけ……」
「だよね~、嘘に決まってるじゃん」
そう言って、寧々は笑った。和は思わず胸を撫で下ろすが、その笑顔の奥に、暗い影が差したように見えた。今まで見たことのない表情。なのになぜか、どこかで見た記憶があるようにも感じられる。その顔が、じわりと脳裏に焼きついた。
「でも、妹が死んだのは本当。まだ小さいときにね」
「そう……なの」
寧々は、なぜこんなことを言ったのだろう。和の反応を見て楽しんでいるのか、それとも何かを試しているのか。彼女が和に近づいてくる理由が、ますます不穏に思えてくる。やはり、何科意図があるのでは。でも、分からない……。
「和は、ない?」
「……何が?」
「人を殺したこと」
寧々は、まっすぐ和の目を見て、口の端をゆっくりと持ち上げた。その笑みは、どこか奇妙で、不自然だった。まるで能面のような笑。
「な、何言ってるの……そんなの普通、ないでしょ。あったら今、こうして学校になんて通えてないじゃない」
和が答えたその瞬間、頭の中にある映像がフラッシュバックする。
「ま、そりゃそうだよね。でもさ、完全犯罪ができたら……ありかもよ」
「完全犯罪? 一体、何言ってるの?」
「何って?」
「何か意味があって、そんなこと聞いてるの?それとも小説の話でもしてる?」
和が問い詰めるように言うと、寧々はクスクスと笑った。
「やだなあ、和。なんでそんな怖い顔してるの。なんにも深い意味なんてないって。ただ、ちょっと聞いてみただけ」
その乾いた笑いにイラっとする。何を考えているのか見当もつかない。
「私、ミステリー好きなんだよね。サスペンスドラマとか観てるとさ、もうハラハラしっぱなし。“これじゃバレるよ~”とか、“ああ、詰めが甘い”って突っ込んじゃうくらい。だから、完全犯罪とか、ちょっと興味あるんだ」
さっきまでの不気味な表情とは打って変わって、寧々は浮き立つような声で語った。
「サスペンスドラマって……」
何が本心なのか?寧々が、ただのミステリーファンだとは思えない。彼女の言葉には全て何かの意図が隠されている様な気がする。
「私、人を殺そうとしたことならあるよ」
和はふと、そう口にした。逆に、寧々がどんな反応を見せるのかを見たくなった。
「どうやって?」
寧々は、まるで驚きもせず、笑顔のまま聞き返してきた。
「こうして、包丁を握って……」
和は、包丁を持つように手を構える。頭の中にまた、あの男、岳に襲われた時の情景がよみがえる。
「刺し殺そうとしたんだ……すごいね!」
寧々はまるで武勇伝を聞いたような口調で、楽しそうに言った。
「すごいって……人を殺そうとしたって言ってるのよ。わかってる?」
普通なら引くはずだ。けれど寧々は平然としている。
「だって、その相手は和にひどいことをしたんでしょ?」
寧々は、まっすぐに和を見てそう言った。やはり何かを知っているのでは、そう思わずにはいられない。でも、何故?寧々がそんなことを知る術など、ないはずなのに。
「どうしてそう思うの?」
「だって、そうじゃなきゃ、和がそんなことするはずないもん」
寧々はあっけらかんとした口調で、まるでそれが当たり前のことのように答えた。
「で、殺せたの?」
嬉々とした尋ねる寧々に対して違和感がさらに大きくなる。
「……そうできたら良かったけど」
和は視線を落とした。何度、この手であの男を殺したいと思ったかわからない。でも、結局はできなかった。顔を見るだけで恐怖がこみ上げて、逃げることしかできなかったのだ。
「なんだ、殺せなかったの」
寧々は、ひどく残念そうな顔をして見せた。その表情の意味が、和にはうまく読み取れなかった。まるで、和が人を殺していたほうが良かった、とでも言いたげに見える。あるいは、寧々にも、誰かを殺したいと思った経験があるのか。だから、こんなことを平気で聞いてくるのか。
「紫園さんは、誰かを殺したいと思ったことがあるの?」
「あるよ」
その問いにも、寧々はなんのためらいもなく即答した。今日の寧々は、いつもの明るく奔放な姿とはまるで違って見える。
「殺したの?」
そんなことあるはずがない、そう思いながらも、つい訊いてしまう。寧々は首を横に振った。
「残念ながら……いつかは、って思ってたけど、思いは叶わなかった」
「叶わなかった……?」
そう聞き返したちょうどそのとき、叔母が、紅茶とクッキーを乗せた盆を持って入ってきた。
「あら、なんだかすごく良い香り」
その叔母を見た寧々は紅茶の香りに、鼻をヒクヒクさせる。
「カモミールティーよ。最近ハーブティーに凝ってるの。紫園さんが嫌いじゃなければいいんだけど」
「大丈夫です、私、好き嫌い全然ないんで。この香り、すごく好きです」
「良かったわ。こちらのクッキーは、お持たせですけどね。さっき、ひとつ頂いちゃったの。あんまり美味しそうだったから。紫園さん、とても上手ね」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです」
「じゃあ、夕飯まで、ゆっくりくつろいでいてね。もし遅くなりそうだったら、主人が車で送るって言ってるし。ご実家にも私からお電話させてもらうから」
「大丈夫です。父はどうせ家にいませんから」
「あら、日曜日なのに?」
「あの人、仕事忙しいみたいで」
「そうなの……」
叔母はちらりと和を見てから、盆を置いて部屋を出ていった。
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