錯綜2-2-⑮:終わりのない悪夢
和はゆっくりと立ち上がる。まだ足が震えていた。そっと外に出てあたりを見回す。女の子の姿も、朝陽たちの姿も見えない。岳も、もうどこにもいなかった。全身から力が抜けたような感覚に襲われる。
(岳は……どこまで喋っただろう?全部言ってたら……)
どうしても、悪い方へと考えが引きずられる。学校なんてもう行けない。この駅すら、通りたくない。岳はまた現れるに違いない。学校か、駅か、もしかしたら家までくるかもしれない。
叔父や叔母に、あのことを話される可能性だってある。もしそうなれば、家にすら居場所はなくなる。誰もが、和を「汚れた存在」だと思うに違いない。電車に乗っても、岳の顔と言葉が脳裏を巡って吐き気が込み上げるばかりだった。
「あなた、大丈夫?」
ふいに、目に座っていた女性が声をかけてきた。
「随分、具合が悪そうだったけど……良かったここに座って」
女性が立とうとしたのを見て、窓はそれを制する。
「だ、大丈夫です。ちょっと風邪気味で。でも、次の駅で降りますから」
「そう?でも無理しないで辛かったら、どこかで休んだほうがいいわよ」
「……ありがとうございます」
今日だけで二度も、見知らぬ誰かに「大丈夫?」と訊かれた。自分では隠しているつもりでも、相当な動揺が顔に出ているのだろう。
(逃げられない……)
岳の魔の手が、すぐそこまで迫っている気がしてならない。まるでアリ地獄に落ちたアリのように、もがくほど深みに沈んでいく。電車を降り、重い足取りでホームに立つと、まるでホームが大きく揺れて、足元が崩れて落ちていくような気がした。
(もう、限界だ)
足が重く、フラフラした足取りで、どうにか家にたどり着く。
「ただい……ま……」
玄関を開けた瞬間、天井が崩れてくるような感覚に襲われ、意識が遠のいていった。
「和ちゃん!」
駆け寄ってくる叔母の声が遠くで聞こえた。
* * *
遠くに人影が見えた。靄の中で、誰かがこちらを見ている。和はふらふらと、その影に向かって歩いていく。段々とその影の姿がはっきりとしてくる。
(あれは……)
「お母さん……」
母だった。生前と変わらぬ姿で、ただじっと和を見下ろしている。その目は、まるで和を責めているように見える。
「あなたのせいで……」
母は唇を動かす。
「あなたのせいで私は死んだのよ。本当は、死にたくなんてなかった……。でも、あなたが“あの人”を奪ったから……」
和は耳を塞ぐ。けれどその声は、まるで脳内に直接流れ込むように響いてくる。耳を塞いでもその声尾は大きくなるばかりだ。
「和は、私が死ねばいいと思っていたのよね。お母さんがいなくなって嬉しいよね?」
違う、そんなこと思ってない。そう叫びたくても、言葉にならない。心の中に母のせいであんな事に、という思いが消えてないからだ。
「だって、お母さんのせいで和は“傷物”になったんだものね。和が汚れちゃったのはお母さんのせいだから」
「やめて! やめて、やめてっ!」
頭を振って叫ぶと、母の姿がふっと消えた。
「……お母さん?」
「そうさ。お前は、俺の女なんだからな」
耳元で囁くような声。ゾッとする気配に振り返ると、今度はそこにはあの男、岳が、ニヤニヤして立っていた。
「やっと見つけたぞ。お前は、俺のものだ」
「嫌ッ!」
和は伸びてくる手を振り払った。
「そんなことしても無駄だ。もう、みんな知ってる。お前が俺に抱かれたこともな」
耳を塞ぐ。吐き気がする。脳が、拒絶している。
「……あんたなんか……!」
思わず、叫んだ。
「あんたなんか、死ねばいい!」
* * *
その瞬間、岳の姿が霧のように消えた。そして、自分の叫び声で目を覚ました。
和はベッドに横たわっていた。家に帰ってからの記憶が途切れている。ドアがそっと開いた音に、身を強張らせる。まさか――岳が……?
「和ちゃん?」
叔母の声だった。安心と同時に、涙がにじみそうになる。
「何だか、声がしたから。目が覚めたのかと思って。……大丈夫?」
額に手をあててくれるその温もりが、夢と現実の境を戻してくれる。
「……変な夢を見てたの」
「びっくりしたのよ。昨日、帰ってきたら玄関で倒れてて。お医者様は、疲れが溜まってたんじゃないかって」
「昨日……?」
「ええ。ずっと眠っていたのよ。ときどき魘されてたけど……悪い夢でも見ていたのね」
「……よく覚えてないけど。あ、学校は……」
「今日はお休みしますって、連絡しておいたから。お粥、作ってあるわ。すぐ持ってくるわね」
和はベッドの中で、昨夜の出来事を断片的に思い返す。不思議な女の子のこと。岳の言葉。浩太たちは、あの男から“あのこと”を聞かされたのだろうか。
(明日、学校に行きたくない……)
怖い。また岳が現れるかもしれないという恐怖。今度会ったら、逃げられないような気がする。「酷いことをした人には、きっと罰が当たる」あの女の子、確か、そんなことを言っていた。
(本当に、罰が当たってくれれば……)
もし岳がこの世からいなくなってくれたら――。和の胸の奥から、祈りにも呪いにも似た思いがこぼれ落ちた。
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