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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第一章 錯綜(さくそう)
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錯綜2-2-⑬:現れた招かれざる男

岳が、どうしてこんなところに。誰かを探している。その姿に、和は息を呑んだ。まさか、自分を探しているのでは? そんなはずはない。前のアパートと今の家は全然、場所も違う。名前も変わった。和の居場所や、通っている高校など、あの男が知っているはずがない。それでも、あの男の顔を見ただけで、胸が苦しくなる。和は思わず胸を押さえ、その場にしゃがみこんだ。


「大丈夫ですか?」


店員が、和の様子に気づいて声をかけてくる。


「だ、大丈夫です……」


そう答えたが、心臓の鼓動はますます激しくなるばかりだった。


「顔色が悪いですよ。ちょっと、奥で休まれますか?」


そう言って差し出された店員の手を、和は縋るように取った。


「すみません……」


背を支えられるようにして店の奥に入り、和は椅子に腰を下ろした。


「少し待っててくださいね」


頭の中には、さっき見た岳の姿がこびりついて離れない。消そうとしても、何度も何度も甦ってくる。呼吸が浅くなる。やがて、店員が水を持って戻ってきた。


「大丈夫。慌てないで、ゆっくり息を吸って」


優しく背を撫でてくる店員の手の温もりが、少しずつ和の身体に伝わってくる。そしてやっと、少し落ち着きを取り戻した。


「よかった、大丈夫みたいね」

「……はい。すみません、ご迷惑をおかけして」

「いいえ。うちの妹も、よく過呼吸になるから。なんだか放っておけなくて。はい、お水。ゆっくり飲んで」

「ありがとうございます」


和は両手でコップを受け取り、慎重に口をつける。


「しばらく休んでいって。無理しないでね」


そう言って、店員は店内に戻っていった。岳が、この近くにいる。そう思うだけで、また心臓が早鐘を打ち始める。なんとか落ち着こうと、和は意識して思考を切り替え、ゆっくりと立ち上がった。そっと店内を見回す。数人の客がいるが、岳の姿はない。安心しながら、和はさっきの店員に一礼し、外へ出た。そのまま駅の方向には向かわず、反対側へと歩き出す。


 姿が見えなくなったとはいえ、岳がどこに潜んでいるかわからない。絶対に見つかりたくない。あの男がいた場所へ戻る気にはなれなかった。和は歩いて、次の駅まで行くことにした。


 それにしても、どうして岳は、あの駅にいたのか?あの様子では、誰かを探していたのは確かだ。和があの駅を利用していることを、知っていたのか。どこかで見られた?けれど、今さら岳が和に会う理由などないはずだ。金づるだった母はもういない。あの男に金をくれてやるような酔狂な人間はいない。


(あの男はまだ母の死を知らないのだろうか?)


その可能性もないとは言えない。母が死んだと気には、もうアパートの周りで岳を見掛けなくなっていたから。いや、たとえ生きていたとしても、今さら岳に金を渡すようなことはないはずだ。ならば、あの男が駅にいたのは偶然だったのだろうか。誰かを探していたとしても、和のはずがない。あの身なりではろくに働いてもいないようだ。岳にとって必要なのはお金をくれる大人の女のはず。


 そんなことを考えているうちに、和は次の駅にたどり着いていた。周囲を用心深く見渡しながらホームに上がり、目立たない場所に立って電車を待つ。電車が到着すると、車内を素早く確認し、岳の姿がないことを確かめて、すばやく乗り込んだ。まだ夕方のラッシュには早かったため、車内はそこまで混んでいない。それでも和は座らず、ドアの近くに立つ……もし、あの男の姿を見たら、すぐに降りられるように。


 背後に人の気配がするたび、ビクッと身体が反応してしまう。たった一度、姿を見ただけでここまで怯える自分が情けない。何も悪いことなどしていないのに。


(この先ずっと……あの男の影に怯えながら生きていくの?)


そんな思いが胸に広がり、悔しさとやるせなさが込み上げてくる。そして、和の心に、ある思いが過った。


――あの男さえいなくなれば、私の過去を知る者は誰もいなくなるのに、と。


 それから一週間、和は岳の姿を見なかった。あれは、やはり偶然だったのかもしれない。そう思い始めた矢先だった。恐れていたその日は、唐突にやって来た。 


「やあ」


改札へ向かって歩いていた和の背後で、声がした。その声を聞いた瞬間、誰なのか分かった。


(振り返っちゃダメ!)


心の奥で警告する声が響く。だが、その意思に反するように、和はゆっくりと振り返ってしまった。そしてそこに、岳がいた。


「やっぱり、お前、和だろ?」


岳は和を見下ろし、にやりと笑った。心臓が凍りつくような感覚に襲われる。


「なんか、昔とずいぶん違ってたから、一瞬違うかと思ったけど……やっぱり俺の目に狂いはなかったな」

「前に、お前が電車に乗ってるの見かけたんだよ。その制服、見覚えがあってさ。昔、サッカーチームにいた子の姉が同じ制服着てたんだよな。明星学園か? ずいぶん良い学校に行ってんじゃん」


そう言いながら岳は和を舐め回すように見る。昔と同じ、獲物を密蛇のような目。体が委縮していく。


「それで、この駅にいれば、いつか会えるかもって思って、仕事の休みにちょこちょこ見に来てたわけよ」

地面が揺れているように感じる。頭の中が真っ白になって言葉も、考えも、全てが止まる。まるでこの世に和と岳しかいない、真っ暗な世界に引きずり込まれたような感覚に陥る。


「会いたかったよ、和。……そんな成りしてるけど、全然変わってないな。背は伸びたみたいだけど、相変わらず細くて、少年みたいな身体つきだな」

お読みいただきありがとうございます。

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