錯綜2-2-⑪:名前を何度変えても、私は変わらない
そう思っていた者は多かったのだろう。もちろん、自分から「女だ」とわざわざ言った記憶はない。けれど、本当に全く気付いてなかったなんて。当然のように受け入れていたことに、理由もなく腹が立った。
「やっぱり、上條くんもそう思ってたんだ」
「思ってたって……現に“わっちゃん”は男だったし」
「誰がそんなこと、言ったの?」
「……え?」
そう、誰も「男だ」と明言したわけではない。ただ、周囲が勝手にそう“思い込んで”いただけだ。そして、その誤解に途中で気づいた者が、全くいなかったわけでもない。
「確かに、うちのチームは男ばっかりだったし、チーム名にも「少年」って入ってたけど、女子が入れない決まりはなかったわ。まあ、私1人だけだったけどね。でも、女扱いされるのが嫌で。男だと思ってる人には、そう思わせてた」
「でも……」
「女だと分かった瞬間、相手チームからマークされたり、集中攻撃されたり。嫌がらせもあったし。ゼッケンにわざわざ私女の子です、ってつけるわけないでしょ。それで手加減されるのも嫌だったし」
実際、男の子のフリをしていたわけじゃない。サッカーのユニフォームに男女の区別はなかったし、周囲が誤解してくれるなら、その方が、楽だった。だから敢えて否定もしなかった。それを、どこかで楽しんでいた部分もなかったとは言えないが。
「名前は……君の名前は“まどか”だよな?」
「ええ。“平和”の和で“まどか”。だから“和っちゃん”。あの頃はそう呼ばれてたわ」
「あ……でも。君の姓は“深見”じゃなかったような気がするんだけど」
浩太は少し困った顔をしてる。何と答えて良いのか分からないという感じだ。前に親は殺されたと言っていたせいかもしれない。
(わたしの苗字、覚えていたんだ……)
思い出してほしかった。なのに、いざ思い出されると、心がざわつく。佐藤和。そんな名前、この世にいなかったことにしていたのに。ずっと、そう言い聞かせて生きてきたのに。
(バカだな……私)
「名字は……変わったの」
「変わったって……あ、親の離婚とか?」
「そうじゃない。あ、うちの母はとっくに離婚してたけど、サッカーやってた頃にはもう一人だったから」
そういえば、と和は思い出す。佐藤になる前、別の名字だったのだ。父の苗字、思えは和の苗字が変わったのはこれで三度目だったのだ。小学校に入って間もなくだったが、すっかり忘れていた記憶だった。
「……あ、そっか。ごめん。変なこと聞いて」
「ううん、平気よ。もう昔のことだから」
「でも、じゃあ……どうして名字が?」
「母が死んで、叔母さん夫婦の養女になったの」
すごく戸惑っている様子。そう言えば、前に浩太に「私の母親も殺された」と言ってしまっていた。今の言葉で自分の母親の事件の事をまた思い出したのかもしれない。
「上條くん、あの事件のあと、サッカー、やめちゃったのね?」
「うん……」
「あんなこと、あったら仕方ないよね。私も、お母さんが死んだあとサッカーやめちゃったし」
でも、それは本当ではない。和がサッカーをやめたのは、母が死ぬよりずっと前のことだ。本当は岳が原因だ。でもあの男の事は語りたくない。あの男のことを思い出すだけで、吐き気がする。口に出すことすら、おぞましい。
浩太はぽかんと口を開けたまま、和を見つめていた。あの“わっちゃん”が和で、しかも女の子だったなんて、どうしても信じられない……そんな表情だ。
「そんな、いつまでも狐につままれたような顔してないでよ」
そう言っても、浩太の顔からはまだ混乱がにじみ出ている。
「あ、否……でも、驚いちゃって…」
そう呟いて、また首を横に振る。
「それなら、それともっと早く言ってくれればよかったのに」
「何度か言おうと思ったんだけどね。なんとなく……気づいてほしいなって。でも、上條くん、全然気づかないから」
それが、少し悔しかった。なぜこんなに悔しいのか、自分でもわからなかったが。
「それは……まぁ、そうだけど」
そしてこうして話してしまった今、少し後悔すらしている。
「それに、分かったからって、別に何かが変わるわけじゃないし」
「かもしれないけど……」
「第一、私だけ気づいてて、上條くんは全然気づかないって……なんか、それって何なの、って思ってた」
和の言葉に浩太が少し申し訳なさそうな顔で俯く。
「でも、なんか――懐かしいね」
浩太が目を細めるようにして微笑んだ。その表情は、あの頃のままだ。
「――あの頃に、戻れたらいいのに」
思わず、言葉がこぼれ落ちた。心の底に沈んでいた、偽りのない本音……願望と言うべきだろうか。あの頃の、自分に戻れたら――まだ、汚れていなかったあの日々に。
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