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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第一章 錯綜(さくそう)

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錯綜2-2-⑩:いつまで経ってもサッカー少年のまま

「随分遅かったのね。演目、決め直しになったの?ほかのクラスと被ってた?」

「いや。大丈夫だったよ。ただ、吉岡先輩が…」

「ああ、あの人に捕まったのね」


吉岡というのは生徒会長の真理子と同じクラスの副生徒会長。とにかく理屈っぽい。和も先日、延々と彼の“説”を披露されたばかりだ。あの吉岡に捕まっていたのなら、遅くなったのも納得できる。


「君も捕まったことあるの?」

「ええ。前に、生徒会室に行ったとき。依然取りやめになった“数字の不思議”って研究題材を出したら、生徒会室に吉岡先輩しかいなくて。その題目を見ただけで、フレーゲとかラッセルとか、延々と語り出して。四十分よ? やっと生徒会長が戻ってきて、帰れたの」


どこで終わるのかと思って聞いていたが、まったく終わりそうにない。ただ、不思議ともう少し聞いてみたいという気にもなる。どこか奇妙な魅力を持った人である。ただ、非常に面倒臭い人でもあるということは分かった。


「もしかして、それであの題材はやめようって言ったの?」

「そうよ。生徒会長が『この研究は奥が深すぎるわよ』って。それに、『吉岡先輩が最も好きな分野だから、相当絡んでくると思うけど大丈夫?』とも言われたし」

「そう。生徒会長が『この研究は奥が深すぎるわよ』って。それに、吉岡先輩の大好物だから、かなり絡んでくると思うけど大丈夫? ってね」


話してみたいとは思った。けれど、毎回あんな調子で話をされたら、さすがに辟易する。しかも彼の場合、話の腰を折るタイミングがすごく難しい。だから結局、誰かが割り込んでくるまでその話を延々と聞く羽目になる。


「僕は今日『杜子春の論理』を聞かされた」


浩太の一言に、和は先日の出来事を思い出し、思わず笑ってしまった。


「想像できるわ」


その顔を見て、浩太がまるで珍しいものでも見るように目を丸くした。


「なに? 珍しいものを見るような顔して」

「……深見さんって、笑うんだなって……」


はっとした。無意識に笑っていたのだ。こんなふうに笑うのは、久しぶりだった。……吉岡のせい?それとも目の前に浩太がいるからか。


「わ、私だって面白ければ笑うわよ」

「そりゃ……そうだよね」


浩太の戸惑い気味な顔を見つめながら、和は思った。この人は、いったい、いつになったら気づくのだろうか。


「全く……上條くん、本当に思い出さないのね」

「え?」


和が言っても、浩太はただ不思議そうに首をかしげるばかり。和は眼鏡を外し、真正面から彼を見た。


「重いダサいないって、何を?」

「入試のとき、私、あなたの隣の席だったのよ」

「えっ……あ、そうだった?」


和の言葉に少し驚いた顔をするが、何を言いたいのかまでは全く伝わっていないようだ。


「でも、あのときは試験のことで頭がいっぱいでさ。隣の人の顔なんて…」


それは分かっている。和だって、浩太が知った顔だったから覚えているだけ。反対側にいた子の顔なんて、まるで記憶にない。


「違うの。私が言ってるのは、もっと別のことよ。私は、あの時すぐに気づいたの。あなたが“あのコータ”だって。だから、入学して同じクラスだってわかったときは、きっと私のことも思い出してくれるって……」

「えっと……?」


ここまで言っても、彼の表情には何の変化もない。本当に何も覚えていないのだろうか。和は、そっと前髪を上げた。サッカーをしていた頃、和はいつも前髪をおでこの上で結んでいた。浩太は首を傾げるようにして、じっと和の顔を見つめる。


 これで思い出さなければ、もう何も覚えていないということだ。和は諦めのように思った。もうこの話は、二度としない。和にとってはキラキラした懐かしい思い出でも、浩太にとっては記憶の橋にも残らないほどのことでしかないということなのだから。だがそのとき、浩太の目が大きく見開かれた。


「……わっ、ちゃん……?」


それは、サッカーをしていた頃、皆に呼ばれていたあだ名。


「やっと、思い出してくれたのね」

「え、あ、じゃあ君、わっちゃんの親戚?」


どうしてそうなるのだ。ここに、目の前に、その本人がいるのに。


「親戚じゃないわよ! 私そのが“わっちゃん”よ!」


思わず叫んでしまった。あまりに的外れな返答に、言葉が抑えきれなかった。


「は……?」


浩太はさらに目を見開いたまま、信じられない、とでもいうような表情で、首を横に振った。


「だって……君は女の子じゃないか。わっちゃんのわけ――」


その言葉を聞いた瞬間、


(そっちか……)


とは思った。浩太は、あの頃サッカーをしていた和のことを、ずっと「男の子」だと思い込んでいたのだ。そう思わないわけではなかったが、こうやって近くにいれば、もしかして、と思うのではないか、などと考えていた。そんなことを思っていた和自身にも、まるで気づきもしなかった浩太にも妙にイラっとした。


「はあ?」

お読みいただきありがとうございます。

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