混沌2-1-⑧:明かされた過去ー背負った傷
「あの笑い方……というか笑い声は、今も覚えている。母を嘲笑っていた……」
それは遠い昔の記憶のはずなのに、妙にはっきりと和の耳の奥に残っている。浩太は頷いた。
「確かに、そんな感じだったかも」
小さく息を吐く。
「あの女が笑うと、ちょっとゾッとしたんだ」
確かにそうだ。耳障りでゾワゾワする、どこかまとわりつくような笑い声。だから今も覚えているのかもしれない。こんなところで浩太の記憶と重なっているなんて。暫く沈黙が続いた後、和は再び口を開いた。
「お母さんを、あの女に殺されたと思っていたのなら……やっぱり恨んでいた?」
言ってから、和は内心で自分を責めた。そんな事は聞くまでもない。母親を殺されたのだ。恨まない人間などいるはずがない。
(どうして、こんな事を聞いたんだろう……)
そう思いながら、ふと気付く。
(ああ……そうか)
自分が何故そんな質問をしたのか、漸く分かった。しかしその理由は、口には出せなかった。浩太はすぐには答えなかった。少し考える様に視線を落とし、指先でテーブルを軽く叩いた。
「恨んでいたっていうか……どうかな」
その答えは、和にとって意外だった。浩太はゆっくり顔を上げる。
「恨むって、どういう感情だと思う?」
「どういうって……」
改めてそう聞かれると、和は言葉に詰まった。浩太はそのまま続ける。
「死ねばいいのに、とか。あいつのせいで、って思う事?」
和は困った様に眉を寄せた。
「そんな事聞かれても……」
改めて考えた事など無かった。だが、和には思い当たる感情があった。山下岳。あの男の事を、和は確かに恨んでいた。死んでくれればいいと何度思ったか分からない。あの男のせいで、和の人生は大きく変わってしまった。他の皆と同じではいられなくなった。
誰にも言えない秘密を抱える事になった。もしこの秘密が無かったなら、どれだけ楽だっただろう。何度もそう思った。何もかも、あの男のせいだ。そう思い続けてきた。でもそれは、誰にも言えない。
浩太はふと小さく笑った。
「あ、そうだよね」
そして何気ない口調で言った。
「深見さんは、別に誰かを恨むなんて事ないよね」
「あ……ええ……」
和は曖昧に頷いた。その瞬間、胸の奥に小さな痛みが走った。鋭い針で刺された様な、チクッとした感覚。
「腹は立ったよ、憎みもした。ばあちゃんの最期が悲し過ぎてさ。でも、死ねば良いのにとか、そんな風には考えなかったかな。兎に角、ばあちゃんの無実を晴らしたい。そればっかり考えていた気がする」
浩太は一度言葉を切り、少し考えるように視線を落とした。
「うーん……でも、やっぱり恨んでいたと言えば恨んでいたのかな。あの女のせいで、っていう思いも確かにあったしさ。なんか、深見さんに聞かれるまで、そういう事をちゃんと考えた事がなかった気がする。変だよね」
そう言うと浩太は首を竦め、小さく笑った。その笑顔を見た瞬間、和は浩太との違いを改めて思い知らされた。浩太だって、辛い思いをしてきた筈だ。母親が殺されるという非日常が、その身の上に起こったのだ。その上、その罪で祖母が捕まった。
当時の心情など、到底想像が及ばない。それなのに、浩太の笑顔にはその影が殆ど感じられない。まるで過去の闇を抱えていないかのような、屈託のない笑みだった。どうしてなのだろう。今だって、こんな普通とは言えない会話をしているのに。それでも浩太は、こんな風に笑える。どうして自分とはこんなにも違うのだろう、と和は思った。
「どうかした?」
浩太が首を傾げて和の顔を覗き込む。
「あ、ううん」
「ってか、何かすっかり変な話になったね。まさか深見さんと、こんな話するとは思わなかった」
「そうね……あ、今の話。うちの父親の事は……」
和が言いかけると、その先を察したように浩太が先に言った。
「勿論、誰にも言わないよ」
「他人は勝手な事を言う。それは俺が一番よく知っているから」
その言葉には、軽い口調とは裏腹に重みがあった。
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