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深層の滓(しんそうのおり)  作者: 麗 未生(うるう みお)
第三章 陰影(いんえい)

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陰影2-5-⑱:消えない記憶ー燻る憎悪

「でも、どうしても聞かずにはいられなかった、という事ですね」


公洋は静かにそう言った。その声には責める響きはなく、確かめるような落ち着きがあった。


「はい……済みません」


鳴海は素直に頭を下げる。


「いえ。今日、あなたにお会いすると決めた時から、そういった質問もされるかもしれないとは覚悟していました。朱音から、あなたはそういう人だと聞いていましたから」

「そういう人、ですか」


鳴海は僅かに首を傾げる。


「思った事をそのまま行動に移す人だと。疑問を頭の中にしまっておけない性分だと。見習いたいところが沢山ある、とも言っていました」


公洋は遠くを見るような目をする。


「『正直で、裏表がない。鳴海ちゃんには嘘がない。そういうところが大好きだ』と、よく話していました」

「朱音が……」


鳴海の胸に温かい痛みが広がる。高校時代の記憶が過る。放課後の教室、他愛もない会話、進路の話で盛り上がった日々。朱音と過ごした時間は、今も色褪せていない。輝きはそのままに、手の届かない場所にある。


「オブラートに包むのが苦手なのは、当時から変わっていません」


鳴海は小さく息を吐く。


「尤も今は職業柄、言葉を選ぶようにはしています。まあ、それも患者さん相手に限ってしまいますが……」


その言葉に、公洋は微かに笑みを浮かべた。しかし、その表情はすぐに引き締まり、厳しいものへと変わる。


「……もし、心当たりがあったなら」


低く抑えた声が、部屋の空気を震わせる。


「私は迷わず、そいつのところへ行っていたでしょう。そして、この手で息の根を止めていたと思います」


その言葉には誇張がなかった。


「今でも、誰か分かったら、私は確実にそうすると思います」


第一印象は穏やかで実直な人物だった。だが、その内側にはこれほど激しい感情が渦巻いている。鳴海は改めて思い知る。家族を理不尽に奪われれば、人は容易く常軌を逸する。怒りと憎しみは、理性の上に幾重にも積み重なっていく。


「事件から十年が経ちました。それでも私は、あの日の事を昨日の出来事のように覚えています」


公洋の視線は虚空を見据えている。


「あの日の朝、笑って見送ってくれた朱音と莉子の顔も。帰宅して目にした、無残な姿も。冷たくなった手に触れた感触も」


言葉が途切れ、僅かに喉が鳴る。


「どれ程怖かっただろう。どれ程苦しかっただろう。そう考えるだけで、胸が張り裂けそうになるのです」


そこまで言って、公洋は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。感情が溢れ出すのを押し止めるような呼吸だった。


「仮に犯人が捕まり、裁きを受けたとしても、私の憎しみが消える事はないでしょう」


静かな声で続ける。


「人は簡単に言います。早く忘れろ、前を向け、と。ですが、そんな事が出来るはずがない。忘れられるはずがないのです」


拳が膝の上で強く握られる。


「家族が殺されるという事が、どれ程のものか分かりますか。自分が代わりに死ねば良かったと、本気で思うのです。ここが、どうしようもなく痛む」


公洋は胸を押さえる。


「息をしているのが苦しいほどに、痛いのです」


その告白は静かでありながら、凄まじい重みを伴っていた。十年という歳月は、傷を風化させるどころか、深い場所に沈めただけなのかもしれない。そしてその痛みは時がたつほどに深くなる。表面は穏やかに見えても、その奥底では今も怒りと悲しみが燻り続けている。


 鳴海は何も言わず、その痛みを(おもんぱか)る。言葉で慰められる類のものではないと分かっていたからだ。ただ、目の前の男性(ひと)が抱え続けてきた悲痛を、正面から見据えるしかなかった。


 息をするだけで疼く傷を抱えたまま、彼は十年を生きてきたのだろう。鳴海がどれほど想像を巡らせたとしても、彼の苦しみを本当の意味で理解する事は出来ない。同じ立場に立たされない限り、その深さには触れられないのだと、改めて思い知らされる。


「済みません……お辛い事だと分かっていたのに」


鳴海は静かに詫びた。

お読みいただきありがとうございます。

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