【49】夜更けの訪問者(2)
またちょっと間が空いてしまいました。
続きです。
「制約……? 制約って何……!?」
その言葉に不穏なものを感じたメイベルが問うと、んーと少し考えてから言葉を選ぶように魔法使いは答える。
「制約っていうのは、思考や行動に制限をかける類の魔法のこと。
さっき僕は、黒装束のお客さんたちに『ここで見たこと聞いたことをすべて忘れろ』って暗示をかけた。あれもある意味、制約魔法にあたる。
対象の思考や行動の自由をある程度奪い、制限する。呪いの一種で、表向きは禁呪になっている魔法だ。
出会った当初からローゼスさんには何らかの制約魔法がかけられていた。かなり念入りに、何重にも。
おそらく、特定の事象について言及したり書き記したりすることを禁じる制約を重ねがけされている状態だったと思う。
神域内に踏み込んだ時点で、その制約魔法は強制力をほぼ失っている。たぶん、“神域内についての情報の秘匿”が主な制約だったんじゃない?」
神域に踏み込んだ時点、と聞いて、メイベルの脳裏に大神殿の扉を潜った時の情景が蘇った。
あの時、ローゼスは一瞬身体の力が抜けたようになり倒れかけた。もしかしなくても、あれが制約魔法の解除された瞬間だったのではないか。
魔法人形は藤色の瞳を伏せ目がちにしたまま何も言わないが、静かなその表情がアルフレッドの推測が正しいのだと言っている気がした。
「どうして、ローゼスにそんな呪いみたいな魔法がかけられてたの?」
「それがさ」
アルフレッドはサリシャに整えられた黒髪をガシガシと乱しながら唸った。
「制約魔法はローゼスさんにだけかかってるわけじゃないんだ。
というか、大なり小なり、神域の近くにいる者ほぼ全員にかけられてるみたいなんだよね、これが。
それこそ、大神殿で出迎えてくれた神官や、案内役。それから警備してた神域内の神殿兵からさっき食事を運んできてくれた神官さんたちまで、全員。首都内でも、何人かは見かけたし。
制約の内容と拘束力の具合はまあそれぞれだったけど」
「我々には、それほど強い魔法の気配は感じられなかったが……」
首都の住民にも魔法がかかっていると聞いて、メイベルはもちろんサリシャやヴィーゴも驚いていた。高位魔法使いたるアルフレッドだけが、神官や信徒たちにかかった制約魔法の存在に気付いていたらしい。
「魔法の痕跡を感じ取りにくいよう、なのに長期に渡り強く暗示効果が出るように巧妙に練り上げられた術式だ。
それに、どうもかけられる側が唯々諾々と暗示を受け入れているかのように思えるんだよ」
アルフレッドの説明を聞きながら、メイベルはかつて誰かに聞かされた話を思い出した。
「聞いたことがある。神殿内で行われていることについては信徒は口外しないのが暗黙の決まりだって。
単にそういうお約束なんだよってことだと思ってたけど、もしかして信徒たちは皆、分かった上で秘密を守る暗示にかかってるってこと?」
「神殿の教えの一環、ってところかもしれないね。
神域は国の中枢が集まっている場所でありかつ、皇王とその一族や神殿の高位神官の居所なわけだから、外部に秘しておきたい情報で溢れてるのは確かだ。
神域内の建物の配置、その構造、そこに住む者達の詳細な情報、とかね。
でも、一番秘匿しておきたいのは、おそらくそういった類のものじゃない」
一度言葉を切ったアルフレッドは、その青い瞳をローゼスに向けた。
「繰り返し用意されていたあのお茶。あれの効果が出る頃を見計らって僕達も制約魔法の影響下に置くつもりだったということだろう? 当然、僕達の了解は得ないままに、だ。
相手の了承を得ないままに魔法を行使することは、その魔法がどんなものであれ、攻撃と同じだ。
僕はこれでも一応フェアノスティ王国現国王の弟で王族だ。
王族に対しての魔法攻撃の意図があったと訴え出れば、国際問題に発展しかねないね」
「レッド……」
窘めるように名を呼んだ叔母にアルフレッドは「冗談ですよ」と笑った。
「もちろん、事を荒立てるような真似はしません。
ただ僕は知りたいんです────他国の王族に暗示をかけてまで守ろうとする秘密とはなんなのかを」
アルフレッドの視線の先で、ずっと黙っていた魔法人形がその美しい顔に見惚れるような笑みを浮かべた。
「国の中枢だからこそ秘匿したい情報はたくさんあると、殿下御自身も仰ったでしょう。
でもそれはシャルティアに限ったことではない、でしょう?」
「そうれはそうだね。でも、この国のやり方は常軌を逸してる。
神域にいる者のみならずベーゼ市街に住む普通の民にも禁呪である制約魔法をかけてるなんてさ。
確かに精神や記憶に異常をきたすようなきついものじゃない。でもここまで多くの民の精神を制約魔法で縛り付けてるなんて、普通にどうかしてる」
「シャルティアの民のことを憐れんでくださるのですか?
この国は、シャルト神殿の教えと違う歴史を持つフェアノスティのことを否定しようと躍起になっているというのに。
妖精の守護者たる王弟殿下は寛容で慈悲深い方だ」
「はぐらかさないでよ。
さっき僕が使った暗示魔法の効力はもって数刻。夜が明ける頃には彼らにかけた暗示は消える。
この程度の暗示にしたって乱用は絶対しない。そのくらい、制約魔法は危険なものなんだ。
この国で用いられてる制約魔法はかなり持続時間が長い。ここまでして守る秘密が、安易に想像できる内容なはずがない。
この国は、一体何を隠してるんだ?」
「……」
重ねて問いただされ、ローゼスは笑みを浮かべたまま少しだけ眉尻を下げた。
「……魔法使いというのは、目に映る情報と自分の中に蓄えた膨大な知識から凡人には辿り着けない答えを導き出してしまう。そしてその答えが正しいのかを確かめずにはいられないのですね。
本当に、あの方と同じだ……」
”あの方”とローゼスが呼ぶのはメイベルの母アシュリーのことだろうか。眩し気に細められた藤色の瞳の奥で、ローゼスは母のことを思い浮かべているのかもしれないとメイベルは思った。
また一方で、心配になったこともある。神域について口外しないように魔法がかけられていたのなら、シャルティアを離れてアシュリーの所に辿り着いた時にはすでに制約魔法がかかった状態だったはず。それほど長く禁じられた魔法の影響下にあったなら、今現在何らかの不調を感じているかもしれない。
「ローゼス、もしかして話すのが辛かったりする? まだ、制約魔法の影響が残ってたり……」
心配そうに眉を顰めるメイベルに、ローゼスはいつものように藤色の瞳を細めてふわりと笑った。
「大丈夫ですよ、メイベル。
アルフレッド様のおっしゃったとおり、今は制約魔法はほとんど解けています。特に苦痛などはありませんから」
「……ほんとに?」
「本当にです。ただ……何からお話したらいいものやらと、少々考えていました」
ローゼスは応接室を横切り、先ほどサリシャが元の場所に戻したばかりの茶葉の缶を手に取った。
「これは神域では昔から普通に飲まれてきた物です。ジイユ自体が、シャルティアでは禁止されていないので」
「そうなの?」
「はい。
神域に住む皇王家の方々、神官、使用人、そして神官の治癒を受けるために神域に近づく信徒たちも皆、日常的にこのお茶を口にします。
神殿での儀式の内容、そして神域内についての全てを口外しないこと、それは神域に生きる者に課された戒律として祈りの中に盛り込まれていますから。
治癒の魔法を受けるために神殿に訪れた信徒もこのお茶を飲み、見たこと聞いたことを口外しないことを祈りの形で誓約します。
アルフレッド様のおっしゃる制約魔法は、おそらくそれであると思います」
「なるほどね……」
さきほどジイユの効き目を実感したばかりのアルフレッドが納得の声を上げた。
「少量焚いただけであの効果だ。
お茶として常用してるなら制約魔法もかかりやすいだろう。
宗教上の戒律として祈りの文言に盛り込み、繰り返し暗示をかけ制約魔法で縛っているわけだ」
「皇王殿とこちらの小離宮で用意されたこの茶葉は、私がこの国にいたとき目にしたものよりかなりジイユの配合量が多い。
現在に至るまでの間に一般に流通する茶葉へのジイユの配合量が多くなったのか、はたまたこれが我々のために特別に用意されたものなのかは定かではありませんが」
そこでローゼスは一度言葉を切り、手に持っていた茶葉の缶を机におくと、俯き加減になりながら再び口を開いた。
「二五〇年ほど前、北方の山岳地帯を根城に活動していた一団が、魔素の多いこの地に流れ着きました。
魔素の多く漂う場所だからか、この地には他では見ない貴重な動植物が生息しているのを発見しました。植物の中には薬に使える良質な物も多かったと聞きます。
その中でも最たるものが、これです。メイベル、こちらへきてくれますか?」
ローゼスは、借り物の騎士服の胸ポケットに仕込まれた空間庫から布に包んだ何かを取り出しながらメイベルを呼んだ。
何だろうという顔で歩み寄ってくるメイベルの後ろを、当然のごとくアルフレッドが着いて来ようと一歩踏み出したところで────
「殿下はこちらに近付かれませんように」
ぴしゃりとそう言われ、アルフレッドがむぅと唸った。
「メル! 保護者が意地悪する!」
「アル……」
ローゼスを指差しながら訴える王弟殿下を、メイベルは「子供か」という顔で見た。隣のローゼスもまた、彼女にそっくりな表情になった。
「別に意地悪で言っているわけではありません。あくまで御身のためを思って申し上げているので、大人しく聞き分けてください」
本当に子供に諭すように言われ、ますます不機嫌になるアルフレッドをよそに、ローゼスが布切れをはらりと開いた。
中にはまだ数枚濃緑の葉を付けただけの植物が、根も付いた状態で包まれていた。神域内のいたるところに生えていた、あの草だった。
「それ、あのローゼルムに似た草?」
「根っこごと引っこ抜いてきたんですか? 師匠」
「はい。先ほど、屋外に感知魔道具を設置しに行ったとき採集してきました」
アルフレッド以外の者がローゼスのすぐそばに寄り彼の手元にあるものを覗き込んでいる。
独り蚊帳の外に置かれた形の王弟殿下はむすっと唇を尖らせていたが。
「いーよ別に、ローゼルムもどきなら外にいっぱい生えてるし」
ケロリとそう言うと、アルフレッドは人差し指で空間にくるりと円を描くような動作をした。すぐに、開け放ったままになっていた窓からほんのり光る球状の結界にくるまれたものが飛び込んできた。結界内にあるのは数本のローゼルムもどきだ。こちらは鮮やかな薔薇色の花も付けているほど成長しているもので、茎の途中ですっぱりと切り取られていた。
「はい、標本ゲット」
「レッド様……」
「私には採ったら駄目だって念押ししたくせに」
「お前というやつはどこまで自分の好奇心に忠実なんだ……」
いつも通り自由すぎる魔法使いにメイベル達がそれぞれため息を落とす中、ローゼスが驚愕したように目を瞠った。
「殿下っ、いけません!」
「え?」
「ローゼス?」
「絶対にその結界を解いてはなりませんっ! 包み込んだままにして、今すぐ外へ出してくださいっ!」
血相を変えるローゼスにメイベルは困惑して眉を顰め、アルフレッドはきょとんと首を傾げた。彼の手の中で球状の結界が消え、その瞬間、濃く澱んだ魔素がぶわりと拡散した。
「あ…………」
結界から解放されたローゼルムもどきがアルフレッドの掌にポトリと落ちる。刈り取られた濃い紫をした茎の断面から沁み出した黒っぽい汁が魔法使いの掌を汚したのと、メイベル達の目の前で彼の身体がぐらりと傾いでいったのは、ほとんど同時だった。
「アル!!」




