2・西田紗枝
〜愛され愛され、愛は私の存在そのもの〜
……なんちゃって。
ジリジリジリジリジリ
頭に響く嫌な音が、半覚醒の私の脳を容赦なく揺さぶる。
ジリジリジリジリジリ
だんだん大きくなる音。ああはい、起きる時間ですよね、分かってます。分かってますってば。
「んん〜〜〜……っ」
ベッドから這いずるようにしてテーブルに辿り着き、ようやく目覚まし時計を止める。時刻は6時。本当に朝が苦手で、店で最大音量の時計を買ったにも関わらず、毎朝毎朝この様だ。
けだるい眠気の残った体に喝を入れて、まずするのは熱いシャワーを浴びること。女の一日はシャワーから始まり、シャワーで終わると決まっているのです。
超スピードでシャワーを終えて出て来ると、テーブルの上でケータイが光っている。
ディスプレイ確認、『マンション管理人』。忙しいのでシカトする。
発泡性のミネラルウォーターが心地良く喉を潤し、半覚醒の頭をスッキリさせてくれる。
ドレッサーから溢れて床にまで散らばった、一流ブランドの化粧品や服やアクセサリー。
キラキラ。キラキラ。
慣れに慣れた自己流の華やかメイク出勤バージョンを始めると、不思議にシャッキリ伸びてくる背筋。
メイクは私にとってのプロテクトのような物。綺麗な服やアクセやいい香りの香水、隣に並べる男もそうね。
何に対してのプロテクトなのかは、正直自分でもよく分からないけど。
最近買い代えたばかりの大型テレビをつけ、DVDモードのボタンをON。
聞き慣れた静かで慎ましい音楽が流れ、テレビの大画面に、優美な自然に溢れた山の様子が映し出される。
『Beautiful World』
題名と共に現れる、数々の油絵と一人の女性。
ありふれたドキュメンタリーのありふれた流れ。
自然と自然を描く画家を追う、無数にあるつまらないドキュメンタリーDVDの一枚。
私は目元に陰影を描きながら、もしくは睫毛に濃くボリュームを与えながら、その映像を見るともなく見る。
何百何千と見た映像。
豊かな自然に溶け込み、絵画の愉しみを語り笑う、質素な主人公の姿を見る。
質素で化粧気も無く、地味で、そしてあまりにも自然の美しさに満ち満ちた。
懐かしい、実の姉の姿を見る。
キラキラ。キラキラ!
ささやかなラメを目元に飾って、今朝も完璧にメイク完了。
時間的に余裕は無いけど、左右・前後のフェイスチェックは欠かさない。
メイク道具を出しっ放しのまま、バタバタと玄関を出るのもいつもの事。
「あ、おはようございます」
出掛けに、爽やかな笑顔の男に挨拶される。隣人だ。
けれど自然に出くわしたわけではない。この男の活動時間が、もっと後であることは知っている。
「あら、おはようございますぅ」
とりあえず今朝も、にっこり極上笑顔をサービスしてあげる優しい私。整えた睫毛の滑らかな動きを意識しつつ、少し上目使いに相手を見る。
「いやあ、この時間って本当に清々しいですよね」
隣人の男は不自然な流れで、早起きの有意義について語っている。
私に会う為に時間調節しているのはバレバレなんだけどね。
ニコニコと相槌を打ち、全部分かっているのを悟られないようにしてあげる。
正直、エリートを鼻にかけたこのテの男はあんまり好きではないけれど。
自分に好意を抱いている高所得者、顔もまあそこそことくれば、ないがしろにする理由も見当たらないでしょ?
私は綺麗で華があって、相手を気持ち良くさせる接し方を心得ている。
秘書をしている会社でもファンは多く、内部外部問わずに誘いは多い。
自惚れ、なんて思わないでよね。これは日々の努力に対する代価。努力して学んで積み上げて、ようやく手に入れた当然の代償なのだから。
キラキラ、キラキラ。
頭の中に、さっき見ていたDVDの映像が紛れ込む。
《ここに溢れるのは無償の豊かさ。ただ受け入れ、ただ返し交わるだけ》
澄んだ姉さんの声。
私は目を閉じ、何度も頭の中でその声を反芻する。
(さやか姉さん)
惨殺されてしまった姉の、もう二度と聞けない悲しい声。