表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/10

1・折原俊一

 しっとりと暑い、夏の日の朝六時。


 厚いコンクリートに隔てられた隣の部屋から、今朝も耳障りな目覚まし時計の音が響いてくる。


 ここは壁の薄いボロアパートではない。きちんと頑丈に造られた、立派な新築高級マンションなのだ。


 ……にも関わらず、毎朝毎朝俺を豊かな安眠から引き起こす、この雑で下品な騒音のうるささといったら!!


 俺はむっつりとベッドから起き出すと、いつものように洗顔・髭そり・コーヒーメーカーのセットなどを始める。


 俺の仕事は昼過ぎから始まる。


 故に、こんな朝っぱらから身仕度を整えている必要などは無い。


 しかし、壁向こうの敵に己の行為の無意味さを伝える為に、俺はあえて毎朝こうしている。


 同じマンションに住んでいるのだ、間取りからして、俺の寝室の場所を予想するのは簡単だっただろう。わざとその真横にあのような騒音器具を置いて、ささやかな嫌がらせを楽しんでいることは間違いなかった。


 しかし、そんな小細工など俺には何の効果も無い。


「冷静沈着・品行方正」


 軽くリズミカルに呟きながら、濃く落としたコーヒーを飲む。


 舌を滑って喉に落ちる、深い苦みが心地良い。


「学歴優秀・将来有望」


 ビリビリ痺れるような熱さ。一気にゴクリと嚥下し、その感触に目を細める。


「俺は勝ち組。生まれながらのスーパーエリート」


 食道を焼いていく熱は、そのまま俺のエネルギー。


 そう、エネルギーが必要なのだ。


 俺のような完璧な人間というのは、どうしても一般庶民からひがみや妬みを買ってしまうもの。事実、他人からの理不尽で唐突な攻撃は日々後を絶たない。


 隣の部屋の爆音目覚まし女など、典型的で実に分かりやすいというものだ。


 俺は飲み干したコーヒーカップをテーブルに置き、ラフだが上品でセンスのいい、某ブランドのシャツに着替えた。


 時計を見る。


 ほら、いつも通り。


 隣の部屋からバタバタと、玄関に走り込む騒がしい音が響く。


 俺はシャツの襟元を整えると、ダストボックスから小さなゴミ袋を取り出して口を縛った。


 それを片手にひょいと持ち、ピカピカに磨いてある革靴を履いて外に出る。タイミングはばっちりだ。


 ちょうど扉を閉めた時、隣の家の玄関が開いた。


「あ、おはようございます」


 俺の爽やかな挨拶の声に、隣の部屋の住民、爆音目覚まし女がパッと反応する。


「あらぁ、おはようございますぅ!」


 わざとらしい舌足らずな喋り方。非力で無害な女を演じているつもりなのだろう。


 しかしながら、斜め下から睨みあげるような狡猾な視線、その滲み出す敵意を俺が見逃すはずもない。


「いやあ、この時間って本当に清々しいですね」


 マンション設置のゴミ収集用物置は一階にある。


 女と一緒にエレベーターに乗ると、俺はにこやかに上機嫌を演じてみせた。


「今日はこれから、出勤時間までテラスで読書を楽しむつもりなんです。大切ですよね、こういう趣味に費やす時間っていうのは」


 女の浮かべる笑顔、やたら大袈裟な反応の一つ一つが滑稽で、吹き出すのを堪えるのが精一杯だ。


「それじゃ、失礼しますぅ」


 女はペコリと頭を下げ、去り際に鋭い一瞥を残して車に乗り込んだ。


 車の走り去る音を聞きながら、俺は今朝も勝利の手応えに身震いする。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ