1・折原俊一
しっとりと暑い、夏の日の朝六時。
厚いコンクリートに隔てられた隣の部屋から、今朝も耳障りな目覚まし時計の音が響いてくる。
ここは壁の薄いボロアパートではない。きちんと頑丈に造られた、立派な新築高級マンションなのだ。
……にも関わらず、毎朝毎朝俺を豊かな安眠から引き起こす、この雑で下品な騒音のうるささといったら!!
俺はむっつりとベッドから起き出すと、いつものように洗顔・髭そり・コーヒーメーカーのセットなどを始める。
俺の仕事は昼過ぎから始まる。
故に、こんな朝っぱらから身仕度を整えている必要などは無い。
しかし、壁向こうの敵に己の行為の無意味さを伝える為に、俺はあえて毎朝こうしている。
同じマンションに住んでいるのだ、間取りからして、俺の寝室の場所を予想するのは簡単だっただろう。わざとその真横にあのような騒音器具を置いて、ささやかな嫌がらせを楽しんでいることは間違いなかった。
しかし、そんな小細工など俺には何の効果も無い。
「冷静沈着・品行方正」
軽くリズミカルに呟きながら、濃く落としたコーヒーを飲む。
舌を滑って喉に落ちる、深い苦みが心地良い。
「学歴優秀・将来有望」
ビリビリ痺れるような熱さ。一気にゴクリと嚥下し、その感触に目を細める。
「俺は勝ち組。生まれながらのスーパーエリート」
食道を焼いていく熱は、そのまま俺のエネルギー。
そう、エネルギーが必要なのだ。
俺のような完璧な人間というのは、どうしても一般庶民からひがみや妬みを買ってしまうもの。事実、他人からの理不尽で唐突な攻撃は日々後を絶たない。
隣の部屋の爆音目覚まし女など、典型的で実に分かりやすいというものだ。
俺は飲み干したコーヒーカップをテーブルに置き、ラフだが上品でセンスのいい、某ブランドのシャツに着替えた。
時計を見る。
ほら、いつも通り。
隣の部屋からバタバタと、玄関に走り込む騒がしい音が響く。
俺はシャツの襟元を整えると、ダストボックスから小さなゴミ袋を取り出して口を縛った。
それを片手にひょいと持ち、ピカピカに磨いてある革靴を履いて外に出る。タイミングはばっちりだ。
ちょうど扉を閉めた時、隣の家の玄関が開いた。
「あ、おはようございます」
俺の爽やかな挨拶の声に、隣の部屋の住民、爆音目覚まし女がパッと反応する。
「あらぁ、おはようございますぅ!」
わざとらしい舌足らずな喋り方。非力で無害な女を演じているつもりなのだろう。
しかしながら、斜め下から睨みあげるような狡猾な視線、その滲み出す敵意を俺が見逃すはずもない。
「いやあ、この時間って本当に清々しいですね」
マンション設置のゴミ収集用物置は一階にある。
女と一緒にエレベーターに乗ると、俺はにこやかに上機嫌を演じてみせた。
「今日はこれから、出勤時間までテラスで読書を楽しむつもりなんです。大切ですよね、こういう趣味に費やす時間っていうのは」
女の浮かべる笑顔、やたら大袈裟な反応の一つ一つが滑稽で、吹き出すのを堪えるのが精一杯だ。
「それじゃ、失礼しますぅ」
女はペコリと頭を下げ、去り際に鋭い一瞥を残して車に乗り込んだ。
車の走り去る音を聞きながら、俺は今朝も勝利の手応えに身震いする。




