Ⅳ
「おやあの方は…」
その日、我が主・ギルベルト殿下を探していたら、珍しい人を見つけた。エミリー・ノースヴェルト公爵夫人だ。
護衛も供の者も付けず、楽しそうに歩いていた夫人は、にこりと笑ってこちらへ近づいて来る。私は頭を下げて礼を尽くした。
「久しぶりね、ランバルト卿」
「はい、お久しゅうございます。公爵夫人」
「いやだわ。ランバルト卿にそう呼ばれるのは慣れないわね。もう昔のように‘エミリー様’とか‘エーリッヒ’とか呼べないものねえ」
穏やかに笑った彼女を見て、幸せそうで何よりと思った。
「そうそうランバルト卿、殿下はどちらに?ご挨拶を申し上げたいのですが」
「…それが…私も探しているのですが…」
「………あら、本当ですの?わざと、わたくしと殿下を会わせないようにしているのではなくて?侍従のあなたならば、殿下のいらっしゃるところは把握できていますでしょう?」
「…誤解です。本当に私も殿下を探しているのです」
公爵夫人は殿下のいとこにあたる方で、幼い頃はよく共に遊んだ仲だそうだ。ノースヴェルト公爵とご結婚をされてからは全く顔を合わせなくなったが、お二人は非常に仲が良かった。それは巷で言うところの、男女の友情で結ばれた仲…というところだろう。
しかしギルベルト殿下からは「もしエミリーが来ても、俺は公務で忙しいとか言って追い返せ」と言われていた。
理由は大体分かる。殿下の奥方・セラフィナ様について公爵夫人があれこれ聞きたがっているからだろう。公爵夫人は幼い頃から、それはそれは逞しく雄々しく、相手が殿下であろうとも怯まなかったと聞いている。故に、殿下は公爵夫人に頭が上がらないそうで、世間で噂されるセラフィナ様との仲について聞かれたら答えざるをえない。以上の理由から夫人の事を避けているのだ。
「そんなに警戒しなくてもいいでしょう?別に殿下をからかったり、いじめたりなんかしませんよ」
「……そうなのですね。安心しました」
「ただ、王太子妃殿下の事で聞きたい事もありましてね。お茶に誘おうと思ったのです」
やっぱりその件かー!殿下はただでさえセラフィナ様の事を他人から聞かれるのを嫌がる傾向がある。私も何度か、「セラフィナ様の事をどう思っていらっしゃるのですか」と聞いた事があるが、ジロリと睨まれ後悔したものだ。
「公爵夫人…。あの…、大変失礼かと存じますが、殿下とお茶をするのが目的ならば事前にお知らせを頂き、日程を合わせてから…」
「いやですわ。そんな事をすれば、全て殿下に無視されるに決まっているじゃありませんか!わたくしに色々聞かれないか警戒しているに違いありませんもの」
その通りで…。これはもう何言っても無駄だと悟った私は、早々白旗を掲げる事にして、思い当たる場所を探す事にした。
「それで?エーリッヒから見て、セラフィナ様とはどんなお方ですの?ギルベルトとセラフィナ様は不仲という説もあれば、いやいや仲がいいという説もあるのですよ?侍従のエーリッヒから見て、そこのところどうなの?」
「…どう、と言われましても…」
「セラフィナ様は元気で明るく周りにも気遣いができる女性と聞いております!わたくしもゆっくりお話ししてみたいと思っていますのよ。ギルベルトの事を好きなのかどうなのかも聞きたいですしね!」
「………」
先程までは私のことを「ランバルト卿」と貴族のご夫人らしく呼んでいたくせに、誰も聞いていないと分かるとヒソヒソ声で「エーリッヒ」呼びか。しかも殿下の事も弟のように呼び捨てだし。加えて、噂話を楽しむその姿は使用人の娘達とそんなに変わらないではないかと思い、少々呆れてしまった。本当にこの方はマイペースと言うか何と評すればいいのやら。
「私から見て、仲睦まじいご夫婦だと思いますよ。セラフィナ様は殿下の事をお好きでしょうし、殿下も憎からず思っているでしょう」
「あら、そうなの!?意外だわ…あのギルベルトがねえ…。元敵国の王女にねえ…」
「まあ…そうですね…。政略結婚ですしね。殿下ならばご結婚されても、冷たい対応をするのかと思っていたのですが…」
「それが違うと!へええ~…実際に聞いてみるものですわね!想像もつきませんわ」
ギルベルト殿下はその容姿もあって女性の人気は高いし、過去に恋人がいた事もあるが、殿下はご自分の立場をよく理解していた。付き合う時は周りにバレないように立ち回っていたし、婚約が決まってからは、恋人とは後腐れなく別れているし、問題になるような事もしていない。殿下と恋人の噂が城の中に広まった時には、とっくにその恋人と縁を切っていた後だった。
しかし恋人達と上手くいっていたのかと問われれば、あまりそうではない。殿下は仕事が一番という方だったし、隠れて付き合っている事もあって、あまり一緒にいなかった。すると恋人のご令嬢の方が不安と不満で一杯になり、最後にはお別れする…が常だった。
「ギルベルトは…女性からしたら‘優しくない’男ですからねえ…。口は悪いし気遣いはできないし、俺様ですし。可哀想に、世のご令嬢はギルベルトの容姿に騙されて泣くのですよ」
「……公爵夫人から見ても、殿下はそのような方なのですね」
「勿論ですわ。わたくし、ギルベルトの王としての才能や器は認めていますけれど、女性に対する扱いは最悪と思っていますのよ。少しはわたくしの夫を見習えば良いのですわ」
口を曲げてそんな風に言う夫人に思わず笑ってしまった。確かに、この調子で責められたら殿下は頭が上がらないだろう。
二人で廊下を歩いていると、殿下とセラフィナ様の護衛四人を見つけた。彼らは少しだけ途方に暮れた顔をしている。場所は図書室前。ああ、護衛達がまとまっているという事は…もしかしてと嫌な予感。そのうち護衛の皆が私に気付き、頭を下げた。
「エーリッヒ殿…。実は図書室にギルベルト殿下とセラフィナ殿下のお二人がおりまして…。ええと…その……中には今、誰も入れるなと……」
「ああ、はい、はい。承知致しました。お疲れ様です、皆さま。今のお言葉でもう分かりましたから。いつも大変ですねえ…」
「…お察し下さいまして、ありがとうございます」
片手をあげて頷くと、騎士達はあからさまにほっとした。目の前にある狭い図書室は王立図書室と違って誰でも入れるわけではない。王族とその一族しか入れないところで、重要機密文書もある。殿下がそこにいるのは何ら不思議がないとしても、セラフィナ様は何も用がないはずだ。だとしたら…どうせ中でイチャついているということでしょう。
分からなかったのは公爵夫人だけだ。私は不満そうな顔をする夫人をその場から無理矢理引っ張り、小さな声で事情を説明した。お二人の、夫婦の時間を邪魔しては申し訳ないですよと。
だがそれがいけなかった。公爵夫人は目をキラキラさせて頬を赤らめ、「是非見たい!」とか言い出した。
「エーリッヒ、わたくしについて来なさい!ギルベルトとセラフィナ様の様子を見たいですし」
「は!?え!?見るって…!ですが図書室は入れないですよ!?護衛の方々ですら外にいたのに!」
「甘いわね、エーリッヒ。わたくしを誰だと思っているの?」
「え…だ、誰って…」
わたくしの父上は王の弟でしてよ、城の事なら知っておりますわ、とにっこり笑い私を引っ張った。
まさか連れて行かれたのが、王宮にある隠し通路の一つで、それが件の図書室に続いているとは…。なぜこのような通路を知っているのかと問い詰めれば、幼い頃に隠れん坊をして遊んだとか言うし。だからと言って勝手に使用しないで下さい!と抗議すれば、こんな時に使わないでいつ使うのですかとぴしゃりと言い返された。
かくして私と夫人は、隠し通路から殿下達のいる部屋を覗き見ているということになった。
真っ暗な通路には中の様子が分かるように覗き穴が数か所存在する。敵が入って来た場合、ここで確認をする為だ。
その穴を使って公爵夫人は室内を覗き見ると、「きゃあああ…!」と小声で叫び声をあげるものだから、一体何だと思い、私も穴から中を見た。
見てすぐに後悔した。
机の上に寝転がったセラフィナ様を覗きこむように、殿下が覆い被さっている。セラフィナ様は長く美しい髪を机の上に広げ、目をうるうるさせて殿下を見上げており、そして殿下の胸元を両手で押し返している。しかし殿下はびくともせず、セラフィナ様の髪を片手の指に絡めて遊び、もう片方の手はセラフィナ様の頬を、唇を、そして首筋をなぞり上げていた。
「殿下…!このようなところで…ん!」
殿下はそっとセラフィナ様の首元に自分の唇を当てて音を立てた。しばらくセラフィナ様の首やデコルテにキスを繰り返していたが、やがてそれが彼女の唇に到達すると、お二人は激しい口付けを繰り返す。
甘すぎる夫婦のそれは私にとって色々とキツいものだったが、公爵夫人は楽しそうにうっとりと眺めている。他人の密事を見て何が面白いのか分からない。とか言いつつ私も夫人に付き合って、殿下とセラフィナ様を盗み見ているから同じ穴の狢ということか、これは。ああ…なんか落ち込む…。
「で…殿下は…。私の事をどう思っているのですか…」
一人で色々と考えていたら、室内から弱々しいセラフィナ様の声が聞こえ、思わず「ん?」と口に出してしまいそうになり、再び穴から中を見た。
いつの間にか殿下は椅子に座っており、セラフィナ様はその殿下の膝の上に座らせられていた。セラフィナ様は頬を赤くさせ、困り果てたように殿下にその質問をぶつける。
「殿下は…その…決して私の事を…好いて下さっているわけではないですよね…?それなのにどうしてこんなことを…」
「………別に理由はない。退屈しのぎだ」
「……退屈しのぎ…ですか。そんな…」
「お前は俺に逆らえない。逆らう事も許されない。ただ黙っていろ」
「そんな……!私はお人形ではありません……」
「俺は、煩い女は嫌いだ。いいから黙っていろ」
「殿下…!いいえ、本日はきちんと殿下のお気持ちをお聞きしたいのです…!でないと私……!」
「……でないと?何だ」
「……で、でないと私……おかしくなってしまいます!殿下のお気持ちが分からずに苦しいのです…!私ばかり殿下の事を想って……!苦しくて悲しくて、涙が出てくるのです…!」
「……ふうん?…実に下らない」
「…っ!!殿下は…なぜこのような所でこのような事をするのですか」
「その質問、先程もしてきたではないか。退屈しのぎだ」
「っ…!で、でしたらせめて夜の寝室でお願い致します…!このような昼間からは…!」
「夜はお前が泣くから駄目だ。わずらわしいから」
「………そんな……」
「泣かないと約束できるならば良い。さて、どうなのだ?」
「………」
「敵国に来た時から涙も見せなかった女のくせにな…。夜に泣かないと約束できるならば、お前の要求を聞いてやっても良い」
「………それは…」
「どうせできやしないだろうがな」
「ん…!あ……」
そうして殿下はまたセラフィナ様に口付けをする。一部始終を見ていた私は、思わず殿下に水をぶっかけてやりたくなった。何が「退屈しのぎ」ですか…。素直に好きだからと言えばいいのにと。
呆れながら室内を見ていたが、二人の行為が段々と激しくなり、やがてこれはヤバイと思ったところで私は退散する事に決めた。もうちょっと見ていたかったと文句を垂れる公爵夫人の手を引っ張り、暗くて狭い通路を引き返してその場を後にする。
明るい場所へ出た瞬間、ドッと疲れが私を襲う。が、公爵夫人はニヤニヤ笑って元気だ。
「いいもの見ました!王宮に来た甲斐がありましたわ!」
「………それはようございました……」
私はもう疲れましたけれどね…。はあと溜息をついた私に向かって、公爵夫人は楽しそうに口を開いた。
「ギルベルトは相変わらずですねえ…。あの子の、好きなモノに対する扱いは」
興味をひかれて夫人の言葉に耳を傾ければ、夫人はふふふと悪巧みをするかのように笑った。
「あの子、可愛いモノを見ればいじめたくなる性質なのですよ」
「……は?殿下が…?それはどういう事ですか?」
「たとえば子猫。小さくて可愛いですわよね?小さい頃の殿下の話ですけれど、庭で子猫を見つけたことがありましてね。大層可愛がっていました。けれど同時に大層いじめていました」
「…………」
「そうそう、ギルベルトには恋人がいましたでしょう?でもあまり長くは続きませんでしたわよね。ギルベルトの冷たさが原因だと恋人でいらしたご令嬢が言っているのを耳にしましたが、ギルベルトは自分なりに可愛がっていたと思いますよ。ですが女性からしたら、それは‘可愛がってもらっている’とは思えないのですよ」
「………」
えっと、まとめると。殿下は少々ひねくれ者という事ですよね?好きな子程いじめたいという、アレなのですね。うわ…まさかガチでこういう人が身近にいるとは思わなかった。しかもそれが我が主という!
「まあしかし、わたくしが見たところ、セラフィナ様もすごいですわね」
「…は?すごいって何がですか?」
「だってすごいじゃないですか。無意識ではギルベルトに想われていると分かっていると思いますよ。ですがそれを必死で否定していました。否定していたぶられる事に、ある種の快感を覚えている可能性がありましてよ」
「…………………」
セラフィナ様が?あの明るくて元気で、天真爛漫な女性が?むしろそういう事から程遠い方だと思うのだが…と夫人に言ってみても、夫人はケラケラ笑って手を横に振るだけ。
「ギルベルトの話、聞いていました?セラフィナ様は、夜は泣くのでしょう?」
「え…あ、ああ…。そのような事を言っていましたね…。でもセラフィナ様がお泣きになる…?それこそ想像がつきませんが…」
「全く、エーリッヒもまだまだですねえ」
夫人はふうと息を吐いた。
「ま、お似合いの夫婦という事で安心しましたわ!若干変態夫婦って言ってもよいですけれどね、あのお二人は」
「……は…はあ…」
でも、と夫人は小さな一言を洩らす。
「ギルベルトはセラフィナ様の涙に弱い可能性がありますねえ…。いじめるのは好きでも、泣いてしまうと手が出ないって事でしょうか…。馬鹿と言うか、変なところで小心者と言いますか。ああでも、泣いた顔を見ていたいという変態な面もある可能性がありますわね」
この公爵夫人にかかれば、我が主も形無しだ。いや、まるでクズ男のように言われているが…。普段の殿下はクールで知的で、王としての器も才能も持ち合わせている尊敬すべき人物だ。それがセラフィナ様の前だと崩れるらしいという事はよく分かったが、それにしても夫人の評価は辛い。
「あの様子だと、図書室で一線を越えているかもしれませんわね。ま、ここは目をつぶっておきましょう」
先程の光景を思い出してついつい赤面してしまう。確かに夫人の言う通り、一線を越えていそうな雰囲気だった。いや…もう何も知らない。何も見なかった事にしよう。
「エーリッヒ、また来ますわ」
いえ、もう来なくていいですとは言えず。
夫人は最後に、にっこり笑ってこう言った。
「ギルベルトにお伝え下さい。女は泣かせるものじゃなくて、鳴かせるものよ、って。今のあなたでは鳴かせる技術がなってなくてよ。もうちょっと違う手も使ってセラフィナ様を鳴かせなさいって」
「無理です。言えるわけありません」
「ああ、セラフィナ様にもお伝えして。涙を溜めて目をウルウルさせるの、とっても可愛いですと。何があって夜に泣いているのか知りませんが、その泣き方の使い道は色々ありましてよ、と」
「益々無理です。何を仰っているのですか、夫人」
「ではここで失礼させて頂きますわね、エーリッヒ。いえ、ランバルト卿。またお会いしましょう」
颯爽と去って行く公爵夫人はウキウキしているが、私はげんなりしてしまった。
公爵夫人を見送った後、私は護衛達が待機する図書室前に足を運ぶ。もう大分経つというのに、セラフィナ様が出てくる様子は一向に感じられない。
(あー…これはやっぱり……)
キスだけで済まなかったかな。勘弁して下さいよ、我が主…。
「今のうちに交替で休憩をとって下さい、護衛騎士殿。どうせまだ時間はかかるでしょうから」
低い声で護衛達にそう言えば、再び彼等はほっとしたような表情になる。ええ、ええ。アナタ達の言いたい事はよく分かります。私も殿下とセラフィナ様に言ってやりたいですけれど。
でもごめんなさい。こればかりは見て見ぬふりをさせて欲しい。どうせ子供ができればこういう事も無くなるだろう。早くセラフィナ様に子ができますように、と心の中で神に祈りを捧げたのだった。
これにて終幕です!ありがとうございました!